「岩月謙司」を振り返る3

鬱々としながらも、岩月の本を読み続けた私。しかし、読んでも読んでも「過去の傷を癒す具体的な方法」が見当たらないのです。たまに効果がある(ありそうな)方法を見つけても、よく考えると実現不可能なものだったり(保育園の担任の先生をどうやって探せと?)、単なる精神論だったり(’心の持ち方を変える’程度で、解決するのか?)。この辺り(2004年5月頃)から、心境に変化が現れました。(多分)対処法が載っていないであろう、絶望するだけの本なんて読んでも無駄なんじゃないか?と思い始め、立ち読み自体しなくなっていったのです。これが第一の転換点でした。

そして第二の転換点が来たのが、その年の夏頃。私は某ジャンルの女性向け恋愛小説にハマりだしました(小遣いの大半を突っ込むレベルで)。もう、その小説の楽しいことと言ったら! 岩月の本を読んで絶望するより、華やかな夢夢しい恋物語を楽しく読むほうが、金も時間も有効に使えると気づいてしまったのです。そしたら、岩月の本なんてもう読まない(笑)。本が手元にないのが幸いしました。手元にあったら絶対読み返していたでしょう。そうだったらどうなっていたことやら。

そして2004年12月、岩月逮捕。このニュースそのものも衝撃でしたが、私としてはTVで流れた映像の方が衝撃でした。具体的には

岩月教授がショートパンツ姿の相談者(若い女性)を肩車している

映像。そしてその女性は、ショートパンツの下は素足、つまりストッキングもタイツも履いていない、太もも丸出しの状態だったのです。見た瞬間、

うわっ、キモっ ! !

っと鳥肌。「これは絶対に何かがおかしい」と直感しました。いや、「相談者の傷を癒すための方法」として肩車をすることがある、というのは本読んで知ってたんですけど、実際映像で見てみると「キモい」としか言いようがなかった。逮捕の一報を聞いたときは、まだ「冤罪?勘違い?」と思っていたのですが、そんな考えを吹っ飛ばしたのがこの映像でした。百聞は一件にしかずとはよくいったものです。まぁ、「カウンセリングの一環」でサエない壮年男性が娘でもない、ショートパンツ姿の成人女性を肩車する、という状況は異様ですな(レスリングの浜口親子とは状況が違いすぎる)。んで私、これ以降は岩月本とはきっぱり縁を切りました。そしてこの件が世間どのような扱いで報道されるか、ということを大変興味深く見守っていました。特にフェミニズム界隈の動向に注目して。

 

「岩月謙司」を振り返る2

前回の記事で、なぜか私は「岩月の本にどっぷりハマってしまった」と書きました。その結果わかったことは何か?というと、この人の書く本は

「読めば読むほど不幸になる本」

だということです。どっかの怪談かよ!って感じですが、本当です。身の回りで怪奇現象が!とか、家にドロボーが!という方向ではなく、メンタルの面で。この人の本って、読めば読むほど絶望する本なんですよ。読んでいて問題解決の糸口が見つかった!と、ホッとすることも無くは無い。のですが、ショッキングで絶望的な内容がその何倍もあるのです。+10の発見をした後に、−200の発見をしてしまったようなもの。だからハマっていたという表現はヘンですね。まーったく楽しくなかったのですから。蟻地獄に引きずり込まれるような、憂鬱な読書タイム。こんなに楽しくない読書タイムは小学生の頃、戦争犯罪の本を読みまくっていた時以来でした。

んじゃ、なんで読み続けてしまったのか?といいますと、作中のある一文の影響が大だったと、今なら言えます。どの本だったか忘れましたが、確か

「幸せな恋をするためには、自分の過去の傷を癒さなければいけない。そのままでは間違った相手を選んでしまい、結果として不幸になる」

のような文でした(うろ覚え)。これがとにかく衝撃でして、衝撃のあまり直後に虚脱してしまい、その状態でまんま無批判に受け入れてしまいました。当然ですが、誰だって不幸にはなりたくない。じゃあ幸せになるには?どうしたら?→そうだ、過去の傷を癒そう!→その方法をこれらの本から汲み取るのだ!何としても見つけなくては!との流れでもって、強迫観念に駆られて読んでいましたね。もう目を皿のようにして。父がだめ男だった訳ではなく、だめ恋愛をしたこともなかったのに心の傷があるのか?と、不思議に思います。しかし約20年女やっていると、それ故に遭遇した嫌なことがそれなりにあるわけで。もしや、そのことなのか?と思ってしまったのです。

また

私を信じなくても良いが、絶対幸せにはなれない」

という文もありまして。今だったら、「これって脅し?そもそもアンタ何様?」と突っぱねられるのですけど、当時は「た、大変だー!なんとかしなくては! 」と逆に危機感を覚えてしまい、ますます切羽詰まって焦燥感に追い立てられて読んでいました。

「岩月謙司」を振り返る1

「岩月謙司」という人物を覚えている人、いますか?

「誰それ?」「ンな奴、知らねーよ」となる人が大半だと思いますが、「思い残し症候群」・「幸せ恐怖症」という言葉を思い出す人が、極少数いるかもしれません。それよりも「育て直し療法」の衝撃映像でしょうか?

この人は今から20年ほど前(2000年前後)に、恋愛指南本のベストセラーを飛ばしていた元・大学教授です(詳しくはコチラ)。その頃はちょうど男女の性差を論ずるハウツー本の出版が相次いでいて、その流れに乗る形でメディアに登場した感じの人でした。著作数は、Wikipediaを見ていただければ分かる通りの多さです。

そしてこれらの本の大半が、出版不況もどこ吹く風、とばかりにベストセラーになりました。その後準強制猥褻で逮捕され(2004年)、大学を解雇され、裁判で有罪が確定(2009年)し、世間から忘れ去られていくという末路を辿ろうとは想像もできません。はっきり言って「過去の人」です。

なんで今更、そんな人についての記事を書いたのか?といいますと、まぁ、色々と思うところがあるのですよ。男とは~、女とは~という決めつけが頻発する本がベストセラーな事にダンマリなフェミニストやら、作者と対談しながら有罪確定に対してほっかむりな共著者やら、「売れるから」と、根拠の怪しい俗流心理学の本を刷りまくっておきながら、有罪確定後も検証も反省もしない出版業界に対して。特に出版社に対しては、最近のヘイト本出版ラッシュにも通じるものがある気がします。

それに、#Metoo運動が展開され、「男性脳」「女性脳」という言葉を使った本がベストセラーとなっている現在、もう一度この人物について考えてみたら新たな発見があるかもしれない、と考えたからです。

さて、2000年当時成人するかしないか、だった私は当初「なんか最近、この人本出しまくってんなぁ」くらいしか思っていませんでした。元々そんなに興味なかったのです。むしろ、世に溢れる「男女差異本」には疑いの目を向けていた方でした。「ホントウか〜?」と、一応理系らしく。しかし「岩月本」はちょこっと立ち読みしただけなのに、なぜかどっぷりハマってしまったのです。当時「だめ恋愛」なんて全くしておらず、親子関係だって悪くはなかったにも関わらず。

一体なぜ?Why?

平易な読みやすい文体のためか、自分の意識が作中の相談者に同化してしまったからか、所々に出てくる「それっぽい」理論や用語が、一見科学的で説得力があったからなのか。いまだに理由はよくわかりません。

そして、気がついたら出版される著作を本屋で片っ端から立ち読みしまくっていた、という訳です(←んな暇あったら勉強せんかい)。結果、理系の端くれであるにも関わらず、一時期その理論を8割方信じていました。所々違和感や疑問、引っ掛かりを感じてはいましたが(だから8割)、ページをめくる手が止まりませんでした。この状態が2004年の6月頃まで続いたのです。

さて、ハマってしまったと書きましたが私、実はこの人の本、一冊も購入していません。All立ち読み(新刊or古本)、または図書館です。しかし今になってつくづく思うのは、

買わなくて、よかった ! !

です。えぇ、本当に。性犯罪者に金渡すなんて冗談じゃない。それに上記で著者が逮捕された、と書きましたが実はこの人、逮捕後数年間裁判で無罪を争って、なんと最高裁まで行ってるんですよね。そこまで争うには、当然多額の費用がかかります。弁護士費用、etc、etc…そのカネどっから出したんだ?って本の印税しか思いつきません。何たってベストセラー本の作者です。つまり恋愛指南本で稼いだ印税を、強制猥褻の無罪判決を得るために活用したってことです。まぁ、個人のカネを何に使うかは個人の勝手ですがね。

それ、フツーやるか?

まともな神経してたらできないと思うのですが。道義的にも、世間体的にも。まぁ、この行為そのものが、この人の人間性を証明な訳で。もし私がこの人の本を買っていたとしたら、大ショックだったでしょう。しばらく自己嫌悪で身動き取れない位に。ですから、本当に買わなくてよかったなぁ、としみじみ感じます。この点に関しては、自分で自分を褒めてあげたい! !(ドヤ顔)

寸借詐欺?な兄妹の話

もう四半世紀も前、私が小学校高学年の時。その兄妹に遭遇したのは某市営バスの車内でした。当時私は、少し離れたスイミングスクールに市営バスで通っていたのです。(スクールのバスでなく)

ある日のスクールの帰りのこと、いつものバス停でいつもの様に降りようとしたら、小学生くらいの兄妹が乗ってきました。最初に、お兄ちゃんがそのままスーッと乗ってきたので、後から乗る妹ちゃんがお金払うんかな?と思って見ていたら、なんとその子も払わず乗ってくる!アレっと思って見ていたら、運転手が声をかけました。

運:ちょっとお客さん、お金払ってくださいよー!

ま、当然ですな。んで、この後に続く兄妹のやりとりが、以下こんなんでした↓。

兄:おい、お前払えよ!(←妹に対して)

妹:えぇ!お金お兄ちゃんに渡したでしょ?

兄:何言ってんだよ。お前に渡したじゃん!

妹:私、持ってないよー!

とかなんとか、うだうだと。当然バスは発車できず、車内に嫌な空気が立ちこめ始めた…その時、1人の中年女性が進み出ました。「もういいわ、今日のところはオバちゃんが払ったげる」と。ヲイヲイ、オバちゃん払っちゃうんかい、と私内心ツッコミましたね。甘やかしちゃダメでしょ、と。そして次の瞬間、返ってきた運転手のセリフにぶったまげました。

運:やめてください。この子たち、いっつもこうなんです!

常習犯かよ!しかも有名人かよ!?

私はここでバスを降りてしまったので、その後バスがどうなったのかはわかりません。帰宅後母にこの出来事を話しました。かなりの衝撃だったので。「今日ね、変な子たちがいたんだよ。お金落としちゃったのかな?私も気をつけるわー」と。そしたら返ってきた母の推理がコチラ↓

母:その子達、きっとジュースとか買ってお金使っちゃったのよ。最初から、親切な人にたかる気だったんじゃないかしら?

そんなヤツいるんかい!?再び驚きましたが、少なくとも2人は確実にいたんですよね。まぁ「いつも」お金を落としてちゃって払えない、というのは不自然。誰かにたかる前提でお金を使ってしまった、と考える方が自然です。この兄妹のことは、しばらく我が家で話題になりました。「バスただ乗り兄妹」として。私、これが「寸借詐欺」という犯罪であることを知ったのは、成人後です。

終わり

ではありません。この話には後日談があるのです。

バスでの出来事から、数年後。私が中学校を卒業した後、この兄妹の兄の方が中学校に入学してきました。どうやら、学区が同じだった由。んでこの兄貴、なんと

中学校の制服姿のままバスのただ乗りをやらかし、学校に通報が来たらしい

のですorz。あいつら、治ってなかったのか…とウチの一家全員思わず脱力。そしてその後、この兄貴が障害があるんだかないんだか、といった話が聞こえてきました。人にたかる為に一芝居打つアタマがあるのに、障害?と一瞬不思議に思いました。が、制服姿で(≠身元特定容易な姿で)堂々とタダ乗りをやらかすという考えの浅さを見ると、やっぱり障害があるの?とも思えてきます。人にたかる障害ってあるのでしょうか?それともこれは「誤学習」の結果なんでしょうか?(以前、偶然お金を落としてしまった時、偶然誰かに払ってもらい、それ以後それがデフォルトになってしまった、といったケース)