「岩月謙司」を振り返る3

鬱々としながらも、岩月の本を読み続けた私。しかし、読んでも読んでも「過去の傷を癒す具体的な方法」が見当たらないのです。たまに効果がある(ありそうな)方法を見つけても、よく考えると実現不可能なものだったり(保育園の担任の先生をどうやって探せと?)、単なる精神論だったり(’心の持ち方を変える’程度で、解決するのか?)。この辺り(2004年5月頃)から、心境に変化が現れました。(多分)対処法が載っていないであろう、絶望するだけの本なんて読んでも無駄なんじゃないか?と思い始め、立ち読み自体しなくなっていったのです。これが第一の転換点でした。

そして第二の転換点が来たのが、その年の夏頃。私は某ジャンルの女性向け恋愛小説にハマりだしました(小遣いの大半を突っ込むレベルで)。もう、その小説の楽しいことと言ったら! 岩月の本を読んで絶望するより、華やかな夢夢しい恋物語を楽しく読むほうが、金も時間も有効に使えると気づいてしまったのです。そしたら、岩月の本なんてもう読まない(笑)。本が手元にないのが幸いしました。手元にあったら絶対読み返していたでしょう。そうだったらどうなっていたことやら。

そして2004年12月、岩月逮捕。このニュースそのものも衝撃でしたが、私としてはTVで流れた映像の方が衝撃でした。具体的には

岩月教授がショートパンツ姿の相談者(若い女性)を肩車している

映像。そしてその女性は、ショートパンツの下は素足、つまりストッキングもタイツも履いていない、太もも丸出しの状態だったのです。見た瞬間、

うわっ、キモっ ! !

っと鳥肌。「これは絶対に何かがおかしい」と直感しました。いや、「相談者の傷を癒すための方法」として肩車をすることがある、というのは本読んで知ってたんですけど、実際映像で見てみると「キモい」としか言いようがなかった。逮捕の一報を聞いたときは、まだ「冤罪?勘違い?」と思っていたのですが、そんな考えを吹っ飛ばしたのがこの映像でした。百聞は一件にしかずとはよくいったものです。まぁ、「カウンセリングの一環」でサエない壮年男性が娘でもない、ショートパンツ姿の成人女性を肩車する、という状況は異様ですな(レスリングの浜口親子とは状況が違いすぎる)。んで私、これ以降は岩月本とはきっぱり縁を切りました。そしてこの件が世間どのような扱いで報道されるか、ということを大変興味深く見守っていました。特にフェミニズム界隈の動向に注目して。

 

「岩月謙司」を振り返る2

前回の記事で、なぜか私は「岩月の本にどっぷりハマってしまった」と書きました。その結果わかったことは何か?というと、この人の書く本は

「読めば読むほど不幸になる本」

だということです。どっかの怪談かよ!って感じですが、本当です。身の回りで怪奇現象が!とか、家にドロボーが!という方向ではなく、メンタルの面で。この人の本って、読めば読むほど絶望する本なんですよ。読んでいて問題解決の糸口が見つかった!と、ホッとすることも無くは無い。のですが、ショッキングで絶望的な内容がその何倍もあるのです。+10の発見をした後に、−200の発見をしてしまったようなもの。だからハマっていたという表現はヘンですね。まーったく楽しくなかったのですから。蟻地獄に引きずり込まれるような、憂鬱な読書タイム。こんなに楽しくない読書タイムは小学生の頃、戦争犯罪の本を読みまくっていた時以来でした。

んじゃ、なんで読み続けてしまったのか?といいますと、作中のある一文の影響が大だったと、今なら言えます。どの本だったか忘れましたが、確か

「幸せな恋をするためには、自分の過去の傷を癒さなければいけない。そのままでは間違った相手を選んでしまい、結果として不幸になる」

のような文でした(うろ覚え)。これがとにかく衝撃でして、衝撃のあまり直後に虚脱してしまい、その状態でまんま無批判に受け入れてしまいました。当然ですが、誰だって不幸にはなりたくない。じゃあ幸せになるには?どうしたら?→そうだ、過去の傷を癒そう!→その方法をこれらの本から汲み取るのだ!何としても見つけなくては!との流れでもって、強迫観念に駆られて読んでいましたね。もう目を皿のようにして。父がだめ男だった訳ではなく、だめ恋愛をしたこともなかったのに心の傷があるのか?と、不思議に思います。しかし約20年女やっていると、それ故に遭遇した嫌なことがそれなりにあるわけで。もしや、そのことなのか?と思ってしまったのです。

また

私を信じなくても良いが、絶対幸せにはなれない」

という文もありまして。今だったら、「これって脅し?そもそもアンタ何様?」と突っぱねられるのですけど、当時は「た、大変だー!なんとかしなくては! 」と逆に危機感を覚えてしまい、ますます切羽詰まって焦燥感に追い立てられて読んでいました。

「岩月謙司」を振り返る1

「岩月謙司」という人物を覚えている人、いますか?

「誰それ?」「ンな奴、知らねーよ」となる人が大半だと思いますが、「思い残し症候群」・「幸せ恐怖症」という言葉を思い出す人が、極少数いるかもしれません。それよりも「育て直し療法」の衝撃映像でしょうか?

この人は今から20年ほど前(2000年前後)に、恋愛指南本のベストセラーを飛ばしていた元・大学教授です(詳しくはコチラ)。その頃はちょうど男女の性差を論ずるハウツー本の出版が相次いでいて、その流れに乗る形でメディアに登場した感じの人でした。著作数は、Wikipediaを見ていただければ分かる通りの多さです。

そしてこれらの本の大半が、出版不況もどこ吹く風、とばかりにベストセラーになりました。その後準強制猥褻で逮捕され(2004年)、大学を解雇され、裁判で有罪が確定(2009年)し、世間から忘れ去られていくという末路を辿ろうとは想像もできません。はっきり言って「過去の人」です。

なんで今更、そんな人についての記事を書いたのか?といいますと、まぁ、色々と思うところがあるのですよ。男とは~、女とは~という決めつけが頻発する本がベストセラーな事にダンマリなフェミニストやら、作者と対談しながら有罪確定に対してほっかむりな共著者やら、「売れるから」と、根拠の怪しい俗流心理学の本を刷りまくっておきながら、有罪確定後も検証も反省もしない出版業界に対して。特に出版社に対しては、最近のヘイト本出版ラッシュにも通じるものがある気がします。

それに、#Metoo運動が展開され、「男性脳」「女性脳」という言葉を使った本がベストセラーとなっている現在、もう一度この人物について考えてみたら新たな発見があるかもしれない、と考えたからです。

さて、2000年当時成人するかしないか、だった私は当初「なんか最近、この人本出しまくってんなぁ」くらいしか思っていませんでした。元々そんなに興味なかったのです。むしろ、世に溢れる「男女差異本」には疑いの目を向けていた方でした。「ホントウか〜?」と、一応理系らしく。しかし「岩月本」はちょこっと立ち読みしただけなのに、なぜかどっぷりハマってしまったのです。当時「だめ恋愛」なんて全くしておらず、親子関係だって悪くはなかったにも関わらず。

一体なぜ?Why?

平易な読みやすい文体のためか、自分の意識が作中の相談者に同化してしまったからか、所々に出てくる「それっぽい」理論や用語が、一見科学的で説得力があったからなのか。いまだに理由はよくわかりません。

そして、気がついたら出版される著作を本屋で片っ端から立ち読みしまくっていた、という訳です(←んな暇あったら勉強せんかい)。結果、理系の端くれであるにも関わらず、一時期その理論を8割方信じていました。所々違和感や疑問、引っ掛かりを感じてはいましたが(だから8割)、ページをめくる手が止まりませんでした。この状態が2004年の6月頃まで続いたのです。

さて、ハマってしまったと書きましたが私、実はこの人の本、一冊も購入していません。All立ち読み(新刊or古本)、または図書館です。しかし今になってつくづく思うのは、

買わなくて、よかった ! !

です。えぇ、本当に。性犯罪者に金渡すなんて冗談じゃない。それに上記で著者が逮捕された、と書きましたが実はこの人、逮捕後数年間裁判で無罪を争って、なんと最高裁まで行ってるんですよね。そこまで争うには、当然多額の費用がかかります。弁護士費用、etc、etc…そのカネどっから出したんだ?って本の印税しか思いつきません。何たってベストセラー本の作者です。つまり恋愛指南本で稼いだ印税を、強制猥褻の無罪判決を得るために活用したってことです。まぁ、個人のカネを何に使うかは個人の勝手ですがね。

それ、フツーやるか?

まともな神経してたらできないと思うのですが。道義的にも、世間体的にも。まぁ、この行為そのものが、この人の人間性を証明な訳で。もし私がこの人の本を買っていたとしたら、大ショックだったでしょう。しばらく自己嫌悪で身動き取れない位に。ですから、本当に買わなくてよかったなぁ、としみじみ感じます。この点に関しては、自分で自分を褒めてあげたい! !(ドヤ顔)

「援護射撃のつもりで背中から打ってくる人々」の話

今回のタイトルですが、「本人は応援しているつもりの行動が、実は相手を不利益を与えている」という状況を意味します。

これを最初に「発見」したのは、2006年(古!)4月の千葉県の衆議院補欠選挙の時でした。一つの議席を5人の候補者が争う展開となったのですが、メディアが注目したのは自民党候補で元通産官僚の新人・斎藤健氏と、民主党(当時)候補で同じく新人・太田和美氏。この二人の一騎打ち状態でした。で、斎藤氏の応援に自民党の武部勤幹事長(当時)が赴いたのです、が。その応援演説にて幹事長は、

「最初はグー!斎藤ケーン!!」

というフレーズを連発。聞いた瞬間、

うわぁ…」

という感想しか出てこなかったですね。斎藤氏や政策について何も語っておらず、中身がなく、当然ながら全く応援になっていない(演説)。むしろ悪影響です。一体幹事長は何がしたかったのか、本人は応援しているつもりだったんでしょうか。今も昔もまーったくわかりません。しかし、周囲も止めなかったんかい。結局この千葉補選、斎藤氏は落選しました。元エリート官僚 VS 元キャバクラ嬢という構図(太田氏は元キャバ嬢)が「格差社会」を露骨に意識させた、という見方もありますが、武部幹事長の最初はグー!斎藤ケーン!!」という「応援なのか、足引っ張ってるのかわからない」、意味不明なスローガンの影響は少なからずあったと思います。

それから10年後、2016年東京都知事選挙において、また似たような事が起きましたね。記憶に新しい方だと思いますが、舛添前都知事の辞職に伴って行われたこの選挙は、21人が立候補したにも関わらず、事実上3人の争いになりました。中でも元防衛大臣の小池百合子氏と、元総務大臣の増田寛也氏のトップ争いは激しかった記憶があります。

そんな中、増田氏の応援をしていた元都知事・石原慎太郎氏の小池氏に対する

「大年増の厚化粧」

という発言。またしても「うわぁ…」としか言いようがない。どうみても応援じゃなくて、足を引っ張っている、そして政策について何も語っていない発言。石原慎太郎らしいっちゃらしいんだけど(悪い意味で)、「応援の場」で言ったらお終いでしょう。応援されてる増田氏の人格まで疑われてしまいます。息子がそれに乗っかっちゃうのが何とも。この一連の報道を聞いてうっかり「あぁ、石原親子は増田氏がよほど嫌いなのだな」と思ってしまいました。「援護射撃のつもりで背中から撃ってくる」という高等テクニックを使うくらいですから、ねえ?

しかし、男性政治家はなぜ「化粧」について口出しするのでしょうか?IKKOではあるまいし、「化粧の素人」が何言っても無意味だと思うのですが。そもそも一体どんな化粧だったら彼らは満足するのか。(すっぴんだったらそれで「マナー知らず」とかいうでしょう)「香害」が発生していない以上、何も言わないでおくべきです。…と、真面目に論じたところで無駄かもしれません。まぁ、「化粧」というのは批判の糸口として「使える」ものなんでしょうな。要は

「相手を批判したいが、批判材料(資金・政策面等)がない時の取っ掛かりとして利用しやすいポイント」

のが「化粧」なのでしょう。

日経新聞では「増田氏は、腕まくりをしてフレッシュさをアピール」と書いてありましたが、そのくらいでは石原親子の破壊力を消し去ることは出来なかったでしょう。それはそうと、かんぽ問題で揺れる郵政の改革、頑張ってください。

医学部不正入試問題3

さて、医学部における不正入試(特に女子差別)。疑われながらも否定した大学がいくつかあります。その一つが慶應大学です。慶応医学部の男子合格率は女子の1.3倍。と、これまたビミョーな数値。高すぎないが同レベルでもないという、しかしまだ「偶然」と主張できる範囲です。

しかし私の憶測ですが、実は慶応医学部もやってておかしくないのです、女子差別。それも「みんなやってるから、ここでも当然やってるだろ?」という単純な理由ではなく、慶応特有の事情を踏まえた上での憶測です。

大学側が男子学生を優先的に入学させたかった理由の一つは、大学病院でできるだけ長期間、ハードワークをこなしてくれる人が必要だったから、とされています。要は「戦力」・「労働力」が欲しかったわけです。そしてここに加わる「慶応特有の事情」とは…

「慶応大学」と言えば、生殖医療の分野で有名です。「非配偶者間人工授精(AID)」、いわゆる精子提供の中心的な存在でした。提供者は長年、医学部の男子学生(特に運動部)から選ばれてきたとのこと。そう、男子学生から。

慶応医学部にとって男子学生は、「労働力候補」のみならず「商売のネタ」でもあった

のです。要は「馬車馬」兼「種馬」。種馬確保のために男子学生を多めに入れておきたい、という意向が働いていたとしても、おかしくありません。女子学生が精子を提供するのは、ぜーったい無理ですので。

さらに考えると、身内に遺伝病患者や障害者がいたりする男子学生を、推薦入試やAO入試で落としていた、ということも可能性としてあり得ます。彼らは精子提供者には不向きですから。ここまでゲスじゃない、と思いたいですが「女子に対する不当な減点」という’十分にゲスな事態’を引き起こしていた人達のお仲間ですから、もう何をやってても驚きません。

医学部不正入試問題で、一番やりきれないのは女性医師の65%が「女子の減点措置は仕方がない」と認めてしまったことです。(35%は認めてない、とも言えるが)差別される側がその差別を許容してしまっている、「自分達は努力を踏みにじられてもしょうがない存在」と自己規定してしまっているのは問題です。何て自罰的な! 何たるウーマンヘイト! ミソジニーの内面化、ここに極まれり!

医学部不正入試問題2

さて、東京医科大学での不正入試が発覚した後、学長が女性になりました。しかし私はここで「おぉっ!初の女性学長!」と、素直に喜ぶ気にはなれないんですよね。小手先で誤魔化している、と言うか目くらましに利用されている感がアリアリで。

組織において何か性差別的な不祥事が発覚すると、その後組織のトップが女性になる

というこの現象。はて、どこかで見た気が…

それは2008年(丁度10年前!)に発覚した、毎日デイリーニュースWaiWai問題、です。日本と日本人に対する侮蔑的・差別的な記事(嘘や誇張を含む)が英字版で垂れ流されていた問題で、当時ネット上では大騒ぎに!(と言うか大炎上)この騒動の後も後任の編集長が女性になりました。発生原因の一つが「女性の視点がなかった」という事だからだそうで。(記事の内容は女性云々のレベルじゃなく酷かったが)

もう、こういうのやめませんかね?差別的な不祥事の後始末に、ここぞとばかりに女性を起用するのは。女は煙幕ですか?確かに世間に対して「改革してます!頑張ってます!」と、一番手っ取り早くアピールできます。ポーズが取れます。しかし、大事なのは実際に組織を立て直し再発防止策を練る事であって、トップの性別は関係ありません。起用された後任の女性トップも複雑でしょう。自分の「能力」よりも「性別」が好ましい、と評価されての抜擢ですから、それが原因で周囲と摩擦も起きるかもしれません。(女だから出世できたんだろ、とか言われそう)色々とやりづらいと思います。そして何より、自分の責任ではないのに前任者の分まで世間からの批判を浴びつつ、事態の沈静化を諮らなくてはいけない。しかも自分の「属性」が不当な扱いをされていた事例について批判される。これは相当苦しいのではないでしょうか。事実、初の女性学長は厳しい批判の声が上がる中、TVカメラの前で頭を下げていました。当時は全く知らなかったのにも関わらず。

しかし常日頃、女は使えない・労働力にならない・すぐやめる、から減らせという指令を出しておきながら、火消しの最前線には盛大に女性を起用する。経営陣の辞書に「恥」という言葉はないのか?女性活躍ってこういう事ではないはずです。絶対に。

医学部不正入試問題1

2018年、大学医学部の入試において、様々な不正が行われていたことが発覚!中でも女子受験生に対する不当な減点に対して、世間の非難が集中しました。

私も「今時、こんな時代錯誤なことやってんのか!?」と驚き、怒りを感じましたが、同時に

「あぁ、こんなカラクリがあったのか」

と、ある意味納得してしまったのです。

その源は2010年頃見たグラフ。「医師免許合格者における女性の割合」と言う折れ線グラフでした。このグラフによると、女性の占める割合は80年代後半からじりじり上昇を続け、2000年あたりでついに30%に到達。そしてこれからも延び続けるだろうと予測できました。これを見た時、ワクワクしましたね。「そのうち’医者の二人に一人が女医さん’の時代がやってくる!」って。しかし

21世紀になってからは30%前半で頭打ち、

のまま10年近くが経過していたのです。明らかに不自然。それまで右肩上がりだったグラフが、いきなり平らになっているのですから。試験の傾向が変わったと言う報道はなく、医師を志望する女子学生が減った、と言う話も聞かない。一体全体なぜなのか。当時の私はそれ以上の判断材料がなかったので、そこで思考停止してました。しかし、心の奥底でずーっと疑問が燻っていました。

その疑問が今回の報道により8年越しで解けた訳です。医師免許以前に医学部入試の時点で女子学生を撥ねていれば、そりゃ女性医師は増えませんわ。

それにしてもなぜ「女性医師は戦力にならないから減らしちゃえ★」という発想がすぐさま出てくるのか。戦力になるように改善策を練ったのか?創意工夫はしたのか?と、問いたくなります。限界まで改善しても無理だった、のなら苦渋の決断と取れますがそうではないのに、あまりにも短絡的です。

そもそも、女性患者が診察で女性医師を希望することも多々ある中、女性医師を減らすという判断をしてしまう。そんな、顧客の要望に応えられない経営陣は、経営者として問題があるのでは?

しかし彼ら経営陣は、毎年やってくる女子受験生をどんな目で見ていたのでしょうか?まさか

「無駄な努力 ご苦労様♠︎」(CV:高橋 広樹)

とでも思っていたのか。まぁ私は医学部とは無関係な人間ですけど、女の端くれ。腹たちますわ、これ。

障害詐欺2 佐村河内騒動

さて、今回は2014年2月に発覚した「全聾の作曲家 佐村河内守 ゴーストライター問題」について。もう6年近く前になるのか、としみじみ思います。

実を言うと私、週刊文春の広告を見るまで、この人を全く知りませんでした。なんでもこの人は世間で話題の人物、クラッシックに縁遠い人にもブームを巻き起こしていた、業界の有名人だったらしいのですが。私はあまりテレビを見ないので、知らなかったのです。

しかし以前、広島で行われた国際会議でのコンサートにて「HIROSHIMA」という曲が演奏されたことは、うっすら記憶に残っていました。(調べてみたら、これは2008年9月に行われた、第7回G8下院議長会談での記念コンサートでした)「広島」にて行われる国際会議にて、被曝二世が作曲した「HIROSHIMA」というタイトルの曲が演奏される、という状況は明らかに「あぁ、狙ったな」というものだったので。が、作曲した人についてはてんで興味がなかったのです。あまりに狙いすぎていて逆に冷めてしまった、というのもあります。

ゴーストライター発覚後のメディア報道を見ていて、やはり思いましたね、「今まで、よくバレなかったな」と。しかし一部の人間は薄々わかっていた、が誰も指摘できなかったというのがなんとも。やっぱり障害ってデリケートなことですから、明らかに怪しくても指摘しづらいのでしょう。この辺りは愛媛の保険金詐欺の構図と似ています。が、クラッシック業界を盛り上げるためにあえて黙っていた、という業界特有の事情も存在するようで。また、脳科学者の中野信子氏の指摘ですが、個人の境遇と仕事の成果を混同して評価してしまう、という社会風土も背景の一つかもしれません。(フォレスト出版 努力不要論より)

余談:私の父は、2013年3月31日に放送された、NHKスペシャルの佐村河内特集を録画していました。新聞のテレビ欄を見て「すごい人がいるんだな。よし、見てみよう!」と思ったらしいです。

が、その録画を見る前にゴーストライター問題が発覚。

(←録画放置しすぎ)でその後、ツッコミをいれながら見たようで。「いやぁ〜。ウンウン唸りながら、頭打ち付けてたよ〜(笑)」と報告してくれました。こんな鑑賞法って楽しいのか?

障害詐欺1

今から15年ほど前、ハタチそこそこの頃、図書館で「笑う新聞 著:新保信長 MFペーパーブックス」という本を読みました。4大紙の社会面に記載された「微妙に笑える記事」を厳選しツッコミを入れまくる、という内容の本でして。このスタンスと、どこかズレた文章がかなり好きです。

で、その中に「墜ちた演技派」というタイトルで紹介されていた事件が

「失明を装い保険金を3億詐取」

(1984年、愛媛)というもの。バレたきっかけが間抜けなものだったので、全国ニュースになり、その後この本で取り上げられた次第。話の流れは、まず犯人が経営していた店に強盗が入った。そして全盲のはずなのに、強盗の人相を詳しく話したことに警察が不審をいだき、内偵→逮捕ということです。

この件を知ってまず著者同様、「5年も失明を装っていたこと」に驚きました。が、次の瞬間頭に浮かんだのは以下の考え。

「視覚障害を装った詐欺ができるなら、聴覚障害だってできるのでは?」

なんで、こんな思考が浮かんだか?と言いますと、小学生の頃読んだ福祉教材の内容を思い出したから。「聴覚障害は見た目でわかりづらい(ので、皆さん気にかけてあげてください)」みたいなことが書いてあったんですよね。で、見た目でわかりづらいなら人を騙すことも比較的ラクだよな、と思ってしまったのです。(我ながらイヤな思考回路だ…)

だからその数年後、北海道周辺で身体障害者手帳集団不正取得事件が発覚した時も、別に驚きませんでした。「あぁ、やっぱりやるヤツいたか」と思っただけで。しかし、不正取得した人数が800人超・逮捕者も20人超という大規模さは衝撃でしたし、そこそこ怒りも沸きました。

でも、聴覚障害を装った事件はこれで終わらないんですから、もう脱力してしまいます。この後に、あの「佐村河内騒動」が発覚するのですから。

余談:1984年の愛媛の件ついては「詐病 著:牧 潤二 日本評論社」という本に詳しく載っています。実は犯人はそこまで演技していた訳ではなく、家族や福祉関係者は「見えている」と薄々気づいていたようです。そして、犯人の周囲に暴力団や政治家の影が見え隠れしていた事、病院も患者を信頼するしかなかった事、病院同士の連携がうまく言っていなかった事、等の悪条件が重なって長期間発覚しなかったというのが真相のようです。また、意外なことに眼科は詐病がもっとも多く見られる診療科の一つだそう。すぐにバレそうなジャンルだと思うんですがねぇ。なぜでしょう?

笑う新聞  詐病

「〇〇ちゃんを救う会」考②

「〇〇ちゃんを救う会」と聞いて、思いだすエピソードが一つあります。それは、2008年か9年頃に立ち読みしたレディコミ。「病と闘う子供たち」のようなタイトルで、難病の子が主人公の話がメインの雑誌でした。キャッチコピーは確か「感動!母と子の絆!」だった気がします。その中に、重い心臓病のためアメリカで移植手術を受ける男の子の話がありました。(漫画家の名前は、忘れちゃいました)そして「移植のために募金をお願いします!」といって募金団体設立、という展開になる訳ですが。

で、へーへーはーはーほーほー、と読んでいくうちに仄かな違和感が。雑誌のキャッチコピーが「感動!母と子の絆!」である以上、母子関係に比重を置いた展開になるのは当然なのですが、それにしたって

父親の影、薄すぎ

父親は「治療に対する方針の違いから別れた」と、斜め後ろ姿一瞬出てくるだけで、具体的なエピソードがほとんど無かったのです。この子の半分は父由来なのに、どうしてこうなった。その他にもいくら母子家庭&難病と言えども、過度の母子密着描写が多く、思わず「母親が分裂して作った子じゃないのか?」(←無理だよ)と思ってしまったほどです。

そして残念なことにこの子は手術後に亡くなるのですが、その後の展開が

星に息子の名を付けました

というもの。私はここでやっと気づきました。「少し前、ネットで話題になってたあの子の話だったのか!」と。でも、母親が「星の命名権の購入」に募金を使ったことは伏せられてました。世間でからそれなりに批判を浴びていることでも、ここまで美化できるのか!と妙に感心してしまいました。編集ってすごいですよね。