ネットDE知識上書き2 アスワン・ハイ・ダムの弊害

前回に続きまして「ネットDE知識上書き」の第2弾は、アスワン・ハイ・ダムの弊害です。

アスワン・ハイ・ダムとは、エジプトのナイル川に作られた巨大ダムです。詳しくは、こちらから。私がこのダムのことを知ったのは、やはり小学生の頃。このダムが出来たことで、ナイル川の洪水がなくなったため、人や家が押し流されることもなくなりました。川の流れが穏やかになったため、クルーズ船による観光も行われ、ダム湖では水力発電も出来て万々歳!

とはいかないんですよね。

光には影が従うもの。いいこともばかりではなく、当然悪いこともあった訳です。

悪いことの一つが感染症の流行。

この感染症ですが、小学生当時は、マラリアだと勝手に思っていました。私が読んだ本には、単に「感染症」としか書かれていませんでした。それ以外の熱帯病を知らなかった、というのもあるし(所詮小学生)、ダムができる→四六時中水がある→ヤブカ大発生、というプロセスが即座に頭に浮かび、「むしろそれ以外に何があるの?」という感じでした。

そして、マラリアだと思い込んで20数年経過…なんと寄生虫だったことがネット上の情報で判明。それは「ビルハルツ吸血虫」という寄生虫でした。Wikipedia文学で名高い、日本住血吸虫と同タイプのいわゆる「住血吸虫」。皮膚を食い破って感染するタイプの寄生虫です。ナイル川の洪水がなくなったため、中間宿主の巻貝が大繁殖してしまい、結果感染者激増、という次第だそうで。

知ってまず、「寄生虫って感染症に分類されるんだー」と妙に感心してしまいました。「感染症」といったら、細菌やウイルスしか浮かばなかったので。それに意外だったのが、この手の寄生虫の感染経路です。皮膚を食い破って体内に侵入するなんて、意外過ぎの上に厄介なことこのうえない。寄生虫といったら口から入るもの、だとばかり思っていましたので、とにかく驚きでした。それに症状が多彩すぎるし、実に深刻。私、これまで寄生虫にはどこかユーモラスなイメージすら持っていたのですが、認識を改めましたよ。寄生虫怖えぇぇぇ ! !

なんで、寄生虫にユーモラスなイメージが付いていたのか?寄生虫博士・藤田絋一郎氏の影響か、はたまたサナダムシダイエットのイメージか。勿論腸管に寄生するタイプの寄生虫も、栄養障害を引き起こすので、途上国への食料支援の大きな妨げになっていることは知ってました(いくら食糧を支援しても寄生虫が吸収してしまうので、人の栄養状態が改善しないから)。しかし、住血吸虫症の悪影響はその比じゃないですね。

ネットDE知識上書き1 ツァボの人喰いライオン

さて、「子供の頃、読書で仕入れた知識をネットDE修正」の回。まずは①ツァボの人喰いライオンから。

どんな出来事だったか?詳しくはこちらをどうぞ。大雑把に説明すると、1898年の東アフリカに現れた、2頭の人喰いライオンの話です。

私が小学生の頃、読んだ本には「この2頭はメス」と書いてありました。

普通、群れから離れて行動するライオンはオス、だということは、動物好きの私は当時すでに知っていました。なので、メスだけで群から離れるなんてライオンにしては珍しいな、と思いました。がその時は、「人喰い」という規格外の個体なのだから、行動も規格外なんだろうとすぐに納得してしまいました。

しかし、実はオスだったことがWikiの記事で判明

実は、このツァボという地域に住むライオンは、オスのたてがみが薄かったり、全くなかったりするそうです。蒸し暑い気候のツァボに適応するため、こう進化したらしい、とのこと。

確かに、リンク先のwikiの剥製の写真を見ても、2頭ともほとんどたてがみがありません。よく知らない人が見たら、メスだ、と思うでしょう。たぶん約40年前には、たてがみ云々の情報は入ってきていなかっただろうから、写真の見た目から判断して、2頭はメス、という記述になってしまったのかもしれません。やっぱり、いくら「人喰い」という規格外の個体でも、ライオンとしての行動はセオリー通りだったのですねぇ。メスだけで群れから離れるようなことはない、と。

ブログが書けない!

更新が途絶えまくりなこのブログ、もはや季刊報告な方がいいんじゃね?と、自分でも言いたくなります。いや、そもそも読者様がいるのかどうかも不明ですが。何はともあれ、久々の更新です。

書けなかった理由1

ぶっちぎりで書きたいネタがなかった、というのがまず一点。書きたい‼︎というネタは複数あったのですが、どれもどんぐりの背比べ状態だったのです。「書きたい度50」くらいのネタが5・6個ある状態で、一体どれから書けばいいのやら自分でもわからない。いつもならば、そのいくつかを頭の中で転がしているうちに、「書きたい度80」位に成長するのが一つくらい出てくるので、それを書くのですが、それができませんでした。脳内ネタ転がしはなんとかできても、きちんとした文章になってないのです。この辺は、理由2とも関連しています。

書けなかった理由2

書かないことはあまりに楽なので、それに慣れてしまうと二度と書けなくなる

アメリカの作家、ジョン・アップダイク

まさにこれでした。楽なんですよ。本当に!書かないことはラクなんです!頭を使わないのはラクなんです!!脳内ネタ転がしをきちんとした文章に練り上げるのには、当然頭を使うわけですが、それなりに大変で苦しいです。しかーし、同じ位楽しくてワクワクしてしまうのも事実です。いつもはなんとか、楽しい>>大変という状況に誘導して書いているのですが、疲労やストレスのせいかそれができなかったのです。

書けなかった理由3

ネット検索依存症になってしまったこと。と言うより、ブログを書く気力も時間も捻り出せず、さりとてぼーっとするのももったいない、という心理状態で、何かしなくては!と焦った結果飛び付いたのが、ネット検索でありました。ぼーっとするより、ネット検索してた方が何か生産性がある?と錯覚してしまったのです。そして、ずるずるとやめられない→余計に思考力低下・眼精疲労・睡眠不足→さらに何もできない、という悪循環でした。

理由3からのネタ拾い

ですが、ネット検索しまくっているうちに気づいたことがありました。それは、

その昔(主に小学生時)、読書で仕入れた知識のうち、実は間違っていたor思い込みだったものがいくつかあった 

ということでした。代表的なのが、①ツァボの人喰いライオンと②アスワン・ハイダムの弊害の2つです。何がどう間違っていたのか?それを次回から書こうと思います。

リアル黒犬騎士団?

毎日フツーに生活している中で、「マンガと現実の奇妙な一致」に遭遇することが、たまにあります。そういう時って、本当に驚きますよね!「まさか!」「マジ!?」って。最近、1番ホットだったのは手塚治虫の「オミクロン!」でしょうか。

それは私の場合、マンガ「ベルセルク」の黒犬騎士団でした。ダークファンタジーの先駆けにして金字塔である本作が、作者の急逝により未完の傑作になってしまった事は、大変残念です。ご冥福をお祈りいたします。

さて、作中でも一・二を争う極悪集団であるこの連中と現実にそっくりな奴らがいた!と知ったのは15年ほど前のこと。

それは、悪名高きナチスの部隊の中でも、とりわけ評判の悪かったという第36SS武装擲弾兵師団です。ディルレヴァンガーの部隊、といったほうがわかりやすいでしょうか。(詳しくはリンク先をどうぞ)知ったきっかけは、Wikipedia上の徘徊です。ちなみに、辿った経路は「日本の事件」→「福岡猫虐待事件」→「ディルレヴァンガー」でした。

両者の共通点は

  • 戦時中の兵士不足を補うために元犯罪者を集めて作られた部隊 
  • 規律はあってないが如し
  • 戦闘そっちのけで虐殺・掠奪・強姦
  • 国の恥と呼ばれている

ですかね。手元にベルセルクの10巻がないのでうろ覚えですが。知った当時は「そっくりじゃん!」と驚いたものです。

これは偶然の一致なのか、それとも作者が知っていてモデルにして黒犬騎士団を作ったのか、調べた範囲ではわかりませんでした。しかしここまで一致するのもスゴい。

主人公のガッツと、鉄腕ゲッツ(中世ドイツに実在した義手の騎士)、こちらは完全に偶然の一致らしいです。(昔、何かで読んだ)

しかし1番怖いのは、ワイアルドは魔物だけどディルレヴァンガーは人間だということです。人が人相手にここまで残虐非道なことができるなんて。生きてる人間が1番怖いという話はホントですね。

「岩月謙司」を振り返る3

鬱々としながらも、岩月の本を読み続けた私。しかし、読んでも読んでも「過去の傷を癒す具体的な方法」が見当たらないのです。たまに効果がある(ありそうな)方法を見つけても、よく考えると実現不可能なものだったり(保育園の担任の先生をどうやって探せと?)、単なる精神論だったり(’心の持ち方を変える’程度で、解決するのか?)。この辺り(2004年5月頃)から、心境に変化が現れました。(多分)対処法が載っていないであろう、絶望するだけの本なんて読んでも無駄なんじゃないか?と思い始め、立ち読み自体しなくなっていったのです。これが第一の転換点でした。

そして第二の転換点が来たのが、その年の夏頃。私は某ジャンルの女性向け恋愛小説にハマりだしました(小遣いの大半を突っ込むレベルで)。もう、その小説の楽しいことと言ったら! 岩月の本を読んで絶望するより、華やかな夢夢しい恋物語を楽しく読むほうが、金も時間も有効に使えると気づいてしまったのです。そしたら、岩月の本なんてもう読まない(笑)。本が手元にないのが幸いしました。手元にあったら絶対読み返していたでしょう。そうだったらどうなっていたことやら。

そして2004年12月、岩月逮捕。このニュースそのものも衝撃でしたが、私としてはTVで流れた映像の方が衝撃でした。具体的には

岩月教授がショートパンツ姿の相談者(若い女性)を肩車している

映像。そしてその女性は、ショートパンツの下は素足、つまりストッキングもタイツも履いていない、太もも丸出しの状態だったのです。見た瞬間、

うわっ、キモっ ! !

っと鳥肌。「これは絶対に何かがおかしい」と直感しました。いや、「相談者の傷を癒すための方法」として肩車をすることがある、というのは本読んで知ってたんですけど、実際映像で見てみると「キモい」としか言いようがなかった。逮捕の一報を聞いたときは、まだ「冤罪?勘違い?」と思っていたのですが、そんな考えを吹っ飛ばしたのがこの映像でした。百聞は一件にしかずとはよくいったものです。まぁ、「カウンセリングの一環」でサエない壮年男性が娘でもない、ショートパンツ姿の成人女性を肩車する、という状況は異様ですな(レスリングの浜口親子とは状況が違いすぎる)。んで私、これ以降は岩月本とはきっぱり縁を切りました。そしてこの件が世間どのような扱いで報道されるか、ということを大変興味深く見守っていました。特にフェミニズム界隈の動向に注目して。

 

「岩月謙司」を振り返る2

前回の記事で、なぜか私は「岩月の本にどっぷりハマってしまった」と書きました。その結果わかったことは何か?というと、この人の書く本は

「読めば読むほど不幸になる本」

だということです。どっかの怪談かよ!って感じですが、本当です。身の回りで怪奇現象が!とか、家にドロボーが!という方向ではなく、メンタルの面で。この人の本って、読めば読むほど絶望する本なんですよ。読んでいて問題解決の糸口が見つかった!と、ホッとすることも無くは無い。のですが、ショッキングで絶望的な内容がその何倍もあるのです。+10の発見をした後に、−200の発見をしてしまったようなもの。だからハマっていたという表現はヘンですね。まーったく楽しくなかったのですから。蟻地獄に引きずり込まれるような、憂鬱な読書タイム。こんなに楽しくない読書タイムは小学生の頃、戦争犯罪の本を読みまくっていた時以来でした。

んじゃ、なんで読み続けてしまったのか?といいますと、作中のある一文の影響が大だったと、今なら言えます。どの本だったか忘れましたが、確か

「幸せな恋をするためには、自分の過去の傷を癒さなければいけない。そのままでは間違った相手を選んでしまい、結果として不幸になる」

のような文でした(うろ覚え)。これがとにかく衝撃でして、衝撃のあまり直後に虚脱してしまい、その状態でまんま無批判に受け入れてしまいました。当然ですが、誰だって不幸にはなりたくない。じゃあ幸せになるには?どうしたら?→そうだ、過去の傷を癒そう!→その方法をこれらの本から汲み取るのだ!何としても見つけなくては!との流れでもって、強迫観念に駆られて読んでいましたね。もう目を皿のようにして。父がだめ男だった訳ではなく、だめ恋愛をしたこともなかったのに心の傷があるのか?と、不思議に思います。しかし約20年女やっていると、それ故に遭遇した嫌なことがそれなりにあるわけで。もしや、そのことなのか?と思ってしまったのです。

また

私を信じなくても良いが、絶対幸せにはなれない」

という文もありまして。今だったら、「これって脅し?そもそもアンタ何様?」と突っぱねられるのですけど、当時は「た、大変だー!なんとかしなくては! 」と逆に危機感を覚えてしまい、ますます切羽詰まって焦燥感に追い立てられて読んでいました。

「岩月謙司」を振り返る1

「岩月謙司」という人物を覚えている人、いますか?

「誰それ?」「ンな奴、知らねーよ」となる人が大半だと思いますが、「思い残し症候群」・「幸せ恐怖症」という言葉を思い出す人が、極少数いるかもしれません。それよりも「育て直し療法」の衝撃映像でしょうか?

この人は今から20年ほど前(2000年前後)に、恋愛指南本のベストセラーを飛ばしていた元・大学教授です(詳しくはコチラ)。その頃はちょうど男女の性差を論ずるハウツー本の出版が相次いでいて、その流れに乗る形でメディアに登場した感じの人でした。著作数は、Wikipediaを見ていただければ分かる通りの多さです。

そしてこれらの本の大半が、出版不況もどこ吹く風、とばかりにベストセラーになりました。その後準強制猥褻で逮捕され(2004年)、大学を解雇され、裁判で有罪が確定(2009年)し、世間から忘れ去られていくという末路を辿ろうとは想像もできません。はっきり言って「過去の人」です。

なんで今更、そんな人についての記事を書いたのか?といいますと、まぁ、色々と思うところがあるのですよ。男とは~、女とは~という決めつけが頻発する本がベストセラーな事にダンマリなフェミニストやら、作者と対談しながら有罪確定に対してほっかむりな共著者やら、「売れるから」と、根拠の怪しい俗流心理学の本を刷りまくっておきながら、有罪確定後も検証も反省もしない出版業界に対して。特に出版社に対しては、最近のヘイト本出版ラッシュにも通じるものがある気がします。

それに、#Metoo運動が展開され、「男性脳」「女性脳」という言葉を使った本がベストセラーとなっている現在、もう一度この人物について考えてみたら新たな発見があるかもしれない、と考えたからです。

さて、2000年当時成人するかしないか、だった私は当初「なんか最近、この人本出しまくってんなぁ」くらいしか思っていませんでした。元々そんなに興味なかったのです。むしろ、世に溢れる「男女差異本」には疑いの目を向けていた方でした。「ホントウか〜?」と、一応理系らしく。しかし「岩月本」はちょこっと立ち読みしただけなのに、なぜかどっぷりハマってしまったのです。当時「だめ恋愛」なんて全くしておらず、親子関係だって悪くはなかったにも関わらず。

一体なぜ?Why?

平易な読みやすい文体のためか、自分の意識が作中の相談者に同化してしまったからか、所々に出てくる「それっぽい」理論や用語が、一見科学的で説得力があったからなのか。いまだに理由はよくわかりません。

そして、気がついたら出版される著作を本屋で片っ端から立ち読みしまくっていた、という訳です(←んな暇あったら勉強せんかい)。結果、理系の端くれであるにも関わらず、一時期その理論を8割方信じていました。所々違和感や疑問、引っ掛かりを感じてはいましたが(だから8割)、ページをめくる手が止まりませんでした。この状態が2004年の6月頃まで続いたのです。

さて、ハマってしまったと書きましたが私、実はこの人の本、一冊も購入していません。All立ち読み(新刊or古本)、または図書館です。しかし今になってつくづく思うのは、

買わなくて、よかった ! !

です。えぇ、本当に。性犯罪者に金渡すなんて冗談じゃない。それに上記で著者が逮捕された、と書きましたが実はこの人、逮捕後数年間裁判で無罪を争って、なんと最高裁まで行ってるんですよね。そこまで争うには、当然多額の費用がかかります。弁護士費用、etc、etc…そのカネどっから出したんだ?って本の印税しか思いつきません。何たってベストセラー本の作者です。つまり恋愛指南本で稼いだ印税を、強制猥褻の無罪判決を得るために活用したってことです。まぁ、個人のカネを何に使うかは個人の勝手ですがね。

それ、フツーやるか?

まともな神経してたらできないと思うのですが。道義的にも、世間体的にも。まぁ、この行為そのものが、この人の人間性を証明な訳で。もし私がこの人の本を買っていたとしたら、大ショックだったでしょう。しばらく自己嫌悪で身動き取れない位に。ですから、本当に買わなくてよかったなぁ、としみじみ感じます。この点に関しては、自分で自分を褒めてあげたい! !(ドヤ顔)

珪藻土バスマットのコワイ話

…というと2021年1月現在、誰しも真っ先に連想するのは、アスベスト問題でしょう。珪藻土製のバスマットなどに有害なアスベストが混入しており、削ると飛散して健康被害をもたらす可能性があるというもの。ニトリの珪藻土バスマットにアスベストが!というニュースを聞いて、「あれ?カインズじゃなかったっけ?」と思いきや、どっちもだったというorz。その後別の会社の製品でも発覚し、年末から回収騒動になっているアレです。

いや〜、しかしここ2〜3年で珪藻土製品、急に増えましたね。インテリアショップのみならず、¥100ショップでも売り出す様になり、製品もバスマットから始まって、茶さじやら歯ブラシ立てまで。

「材料、足りてるのか?」

「¥100で売って、採算取れるのか?」

と、不安に思っていたところでした。そこに飛び込んできたこの騒動、「あー、そっちか」とある意味納得してしまうところがありました。問題は材料ではなく、それを加工する過程にあった訳です。安価すぎる商品では安全性の高い加工をした場合のコストが回収できない、しかし低コストの加工では安全性が確保できなかった、というところですか。(だから、アスベストが混入してしまった?)

ちょっと気になるのが、製品の危険度の違いです。バスマットは削ると危険、ですが普段は顔から遠いところで使用します。これに対してコースター、削ることはほぼ無い製品ですが、普段から顔に近いところで使用します。私としては、コースターの方が危険度が高い気がするのですが、実際のところどうなんでしょう?

珪藻土バスマットのコワイ話ですが、私の脳内にはもう1つありました。それは、3年ほど前に立ち読みしたホラー漫画(某実録心霊雑誌に掲載)。

「通販で買った珪藻土バスマット、なんとそれは珪藻土ではなく、人の骨でできていた!」

というストーリーでした(うろ覚え)。アスベスト入りバスマットと、人骨入りバスマット、どっちがコワイでしょうか?怖さのベクトルが違うだけで、どっちも同じ位コワイですね。

蛇足:我が家では、珪藻土バスマットは使っていません。「ビシャビシャにならない・洗濯不要、イイなぁ!」とは思ったのですが、「冬場、超冷たい!」という話を聞き、アッサリ諦めました(当方しもやけ持ち)。カバーがあるみたいですが、そこまでして使う予定はないですねぇ。結局、洗濯しなくちゃいけないし。塩の容器に入れるドライングブロックは大活躍なんですが。

乙武サンについて11 親のしつけ?

さて乙武氏の不倫騒動の後、”氏があんな性格になってしまった理由”としてネットの掲示板に溢れたのは、「親のしつけが悪いから」という意見が大半でした。「どうせ、親が甘やかしたんだろ。かわいそう、かわいそうって」等々。まぁ、予想通り。当初、私もこれらの書き込みに「そうだ、そうだ!」と、全面的に同意して読んでいたのですが、ある時ふと疑問を感じました。

「本当にそうか?」

と。

なぜそう思ったかと言いますと、まず氏の年齢。当時の乙武氏はアラフォー、成人してから20年弱が経過した立派な大人でした。親のしつけの効果が及ぶには時間が経ち過ぎている、というか親の責任を問うには育ち過ぎている、という感じがしたのです。つまり、親のしつけが直接的に作用したとは考えづらい。

んじゃ、何が原因なのか。思い当たったのが、アメリカの心理学者、ジュディス・リッチ・ハリスの集団進化論です。この理論を一言でいうと「子供の人格形成は、親や家庭より友達や仲間の影響を受ける」というもの。要は「家庭環境よりも子供の人生に大きな影響を与えるのは学校」だということです。つまりこの理論に則って考えると、乙武氏があんな性格(助けてもらった当たり前・周囲に感謝しないというゲスい性格)になってしまったのは、周囲の人との関係が原因の可能性が高い、と推測できます。

乙武氏がどんな環境で育ってきたかというと、幼稚園〜大学まで一貫して健常者の中で過ごしてきた模様です。養護学校(当時)ではなく、普通の公立小・中・高の普通学級に通っていた事が著書からも確認できます。つまり、彼は健常者の集団の中でただ1人の重度障害者であった。この立ち位置がマイナスに作用したのではないか。

彼は一目で重度障害者とわかります。そのため、普通に接しよう接しようと心がけたとしても、やはり大なり小なり気を使ってしまう存在です。いくら先生が「特別扱いはやめよう」と指導したとしても限度があります。同級生も、差別だ!いじめだ!と言われたくないので、過剰に丁寧に接したり、遠慮したり、彼がスムーズに行動できるように先回りして助けたこともあったかもしれない。そして彼は、クラスどころか学校で唯一の重度障害者(多分)であり、周囲の気配りや手助けを独占することができるわけです。こんな状況が15年以上続いた結果、友達は自分を助けて当たり前!周囲が自分のために動くのは当たり前!気を使うのは当たり前!になってしまい、あの様な性格と化しまったのでは。

もし、彼が養護学校(当時)に通っていたらどうなっていたでしょうか?障害の重さ故、養護学校でもそれなりに気を使われたかもしれないが、それは普通学級の比ではないくらい小さいでしょう。とにかく周囲は、程度の差こそあれ全員障害者。氏が困っていたとしても、全面的に助けるのは無理。もちろん先回りして助けるのも無理。皆自分の障害のことで精一杯で、そんな余裕はありません。当然、周囲の気配りや手助けを独占なんてできません。とすると、少なくとも「友達は自分を助けて当たり前 !」という認識は生まれづらい。例え「ボクは手も足もないんだぞ!」と言ったところで「それが何?」と返されて終了でしょう(萎縮して黙ってしまう子はいないだろうし、もしかしたら言い返してくる子もいるかもしれない)。助けが欲しい時は、「助けてください」と自分で意思表示することも教わります。ということは、少なくとも「車椅子対応レストランを調べる」くらいはできる人間にはなったはずです。つまり、障害を盾にして周囲を意のままに動かす人間にはならなかった可能性は高い、と私は考えます。

結論:氏があの様な性格になった原因の大半は、親のしつけではなく、周囲の環境である。しかし、その環境を選んだのは氏の親である。従って氏の親の教育方針の所為だとは言えます。氏を養護学校ではなく普通の学校に通わせると決めたのは、氏の両親なのですから。それでも、家庭で感謝の心や周囲への気配りを教えていれば、ちょっとはましだったかもしれないませんが、結局それが失敗しているんですよね。氏のご母堂はあちこちで講演会を開いていたらしいですが、一体何を語っていたのやら。

「飲食店従業員」の怪

私、10歳ごろからニュースをみていて、漠然と疑問に思ったことがあります。それは、

なぜ飲食店従業員は、しょっちゅう事件に巻き込まれるのか?

ということ。なぜそう思ったかというと「飲食店従業員の〇〇さんが、どこそこで遺体で発見されました…。」等のニュースが、やたらと多いから。飲食店、つまりファミレスや居酒屋は、そんなに危険な所だったのか?一体なぜ?と思いまして。しかし、その理由が全く考えつかない(子供だったし)。なんでだろう?とずっと疑問に思い続けていました。

やっと真相がわかったのは、約10年後でした(きっかけは忘れました)。ニュースで「飲食店従業員」と表現する場合、それはフツーのファミレス・居酒屋の店員ではなく、大半が

キャバクラ・高級クラブ・ホストクラブの従業員

なのだということが。まぁ、確かに飲食店、なのだが、メインが「飲食」ではない飲食店(なんじゃ、そりゃ?)。要は異性にチヤホヤしてもらう事がメイン、というか酒と金を媒体に、男女の生臭い欲望が渦巻く店で働く人々であったと。そりゃ一般社会よりも人間関係が拗れやすく、従って事件に発展する確率も、一般社会より高いはずですわ。と、アッサリ納得してしまいました。10年弱悩んだ割に、いともアッサリ。

この「飲食店従業員」という曖昧な表現は、まともなレストランや定食屋に失礼だ ! 別の呼び方をしよう! と主張しているコラムニストがいたと思いますが、その主張には全面的に同意します。真っ当な「飲食店」への風評被害が起きかねません。しかし、なんと表現すべきか、適正な代用語が見つからないのがネックです。(淫食店、なんつー表現も目にした事がありますが、これは口頭では表現しきれないですよね)

コロナ禍の現在、「夜の店」やら「接待を伴う飲食店」という、無意味に婉曲的、というか表現しきれてない言葉を聞いて思い出した出来事です。

P.S 「夜の店」を文字通り解釈したのか、「夜は危険だから、昼に来ました☆」という人をTVで目撃した時は、内心ズッコケました。この人何もわかってない…と。曖昧すぎる表現の生んだ弊害ですかねぇ?