リアル黒犬騎士団?

毎日フツーに生活している中で、「マンガと現実の奇妙な一致」に遭遇することが、たまにあります。そういう時って、本当に驚きますよね!「まさか!」「マジ!?」って。最近、1番ホットだったのは手塚治虫の「オミクロン!」でしょうか。

それは私の場合、マンガ「ベルセルク」の黒犬騎士団でした。ダークファンタジーの先駆けにして金字塔である本作が、作者の急逝により未完の傑作になってしまった事は、大変残念です。ご冥福をお祈りいたします。

さて、作中でも一・二を争う極悪集団であるこの連中と現実にそっくりな奴らがいた!と知ったのは15年ほど前のこと。

それは、悪名高きナチスの部隊の中でも、とりわけ評判の悪かったという第36SS武装擲弾兵師団です。ディルレヴァンガーの部隊、といったほうがわかりやすいでしょうか。(詳しくはリンク先をどうぞ)知ったきっかけは、Wikipedia上の徘徊です。ちなみに、辿った経路は「日本の事件」→「福岡猫虐待事件」→「ディルレヴァンガー」でした。

両者の共通点は

  • 戦時中の兵士不足を補うために元犯罪者を集めて作られた部隊 
  • 規律はあってないが如し
  • 戦闘そっちのけで虐殺・掠奪・強姦
  • 国の恥と呼ばれている

ですかね。手元にベルセルクの10巻がないのでうろ覚えですが。知った当時は「そっくりじゃん!」と驚いたものです。

これは偶然の一致なのか、それとも作者が知っていてモデルにして黒犬騎士団を作ったのか、調べた範囲ではわかりませんでした。しかしここまで一致するのもスゴい。

主人公のガッツと、鉄腕ゲッツ(中世ドイツに実在した義手の騎士)、こちらは完全に偶然の一致らしいです。(昔、何かで読んだ)

しかし1番怖いのは、ワイアルドは魔物だけどディルレヴァンガーは人間だということです。人が人相手にここまで残虐非道なことができるなんて。生きてる人間が1番怖いという話はホントですね。

中華思想に出会った日

それは小学6年時。社会(歴史)の授業の、グループ学習の発表の時間で、でした。(当時の担任は、グループ学習・調べ学習が大好きな人でした)とある男子グループの

「中国の意地悪!?」

というタイトルでの発表だったと記憶しています。

内容はヤマトが「邪馬台」、ヒメコが「卑弥呼」となっている理由。「邪」・「卑 」と悪い意味の漢字が当てられているのは、中国側の意地悪のせい、という内容の発表でした。私の感想は「へぇ、そうなんだ」という単純なもの。「わざわざそんなことしてどうする?」以外特に何も出てきませんでした。担任は、中国・韓国と仲良く❤️なバリバリの左系統人でしたが、発表の邪魔をする、なんて事はしませんでした。ただ苦笑しながら見守っていただけです。これはごく普通の対応なのですが、世の中にトンデモ教師が多いことを考えると、褒めるべきなのかもしれません。

「相手に悪い意味の文字をわざと当てる」、その根底にあるのが「中華思想」だと知ったのは高校生の頃。図書室にて、あれこれ歴史の本をひっくり返して調べていて判明しました。そしてこれが、対日本特有のものでない、ということも。「匈奴」や「吐蕃」もその一例だということです。(確かに、’奴’も’吐’も良い意味ではない)わざわざ相手に蔑称をつけ、それを公文書に残す。考えてみれば、かなり陰険で底意地の悪い行いです。このことから、大陸の人々は単なるカワイソウな集団ではないらしい、とこの時うっすら気づきました。裏を返せばそれまで私にとって、

中国大陸の人々はカワイソウな人たちであった

というわけです。何かにつけ、「日本の振る舞いに傷ついた、謝罪しろ!」と叫んでいるシーンの報道を見ながら、「あぁ、傷ついているのか。なんて可哀想なんだろう」と素直に哀れむのが日常でした。ですので、この気づきは確実に私の思考のターニングポイントだったと言えます。

この担任(N先生)については、色々と香ばしいエピソードがたくさんありまして、追々書いていこうと思います。問題は、エピソードがありすぎて、どこから書けばいいのかわからないことです。orz。

活版印刷の第一印象

グーテンベルクの活版印刷のことを知ったのは、小学5・6年くらいの時でした。図書室で読んだ「マンガ 世界の歴史」みたいな本で。そしてその第一印象は、

そんなに便利なものなのか?

でした。「すっごーい!!」と素直に褒め倒す気分ではなかったことを、覚えています。

確かに、画期的です。いちいち人が書き写さなくてもよくなったのですから。そのため本の値段が下がり、大衆に知識が、聖書が行き渡った。そしてそれが、ルターの宗教改革を生んだ。歴史を大きく動かす原点になった、のはわかるのですが、そこまで褒め倒すほどのことなのかと。

そもそも面倒でしょう。

ひらがな・カタカナだけで100文字もある!

漢字を部首ごとに分けて作ったら、さらに数が増えちゃう!

そう、私は日本語で考えてしまっていたのですヨーロッパはアルファベット表記なので、26文字のセットがいくつかと、よく使う文字だけ追加で作ればそれで事足りる訳で。確かに調べてみると、活版印刷自体はグーテンベルクよりかなり前に中国で行われているのですが、大量の漢字の活字を作るのが大変だったため、あまり広がらなかったらしく。(これは日本も同様)素晴らしい技術があっても言語構造がその普及を阻むこともある、ということでしょうか。そして不思議なのは、活版印刷とは縁遠かった中国・日本の方が、出版点数では常にヨーロッパを上回っていた、ということです。技術があったから、本が増えた!というほど単純な状況でもないようです。

蛇足:活版印刷と宗教改革のコラボにより、聖書の中身が人々に広まったのはとても良いことです。が、一緒にユダヤ人差別まで広がってしまった。禍福は糾える縄の如し、と言いますが、禍が予想より深刻でした。

踏み絵考

小学校6年生の頃、歴史の授業で「踏み絵」を学びました。

踏み絵:Wikipedia

で、当時から疑問でした。

なぜ、沢山の人が踏み絵を踏まずに捕まってしまったのだろうか?

12歳の私は、キリスト教について詳しくなかったけれど、なんとなく「偶像崇拝禁止」だとは知っていました。なので「踏み絵」なんて偶像そのものなんだから、んなもん別に踏んだって問題ないじゃないか、片っ端から踏みゃいいだろ、と考えていました。単純に解説するとこんな感じ。

キリスト教は偶像崇拝禁止である

踏み絵は、どこからどうみても偶像である

踏み絵を踏むことは偶像崇拝を否定することである

踏み絵を踏むことはキリスト教の教義にかなうことである

踏み絵はどしどし踏むべし

さて、踏み絵を踏むことはキリスト教の教義上どうなのか?いいのか、悪いのか?教科書にも資料集にも載っていなかった上、うまく言葉にできなくて先生にも質問できませんでした。もちろん内心葛藤を抱えながら踏み絵を踏み、死刑を免れた人もそれなりにいたことは知ってました。(だから隠れキリシタンが存在したわけで)その人たちはイエスやマリアの像を踏んだことを、ずっと悔いていたんだろうか。心に後ろめたさを抱えたまま、その後の長い人生を過ごしたんだろうか。それを考えると重苦しい気持ちになることが、度々でした。

仕方がないので、20歳過ぎてから自分で調べてみました。すると、「踏み絵は踏んでいい」ということが判明。「キリスト教は内面と外面の区分が特徴」なので「偶像崇拝を拒絶する」と思いながら、どしどし踏めば良いとのこと。「イエスやパウロに相談したなら迷うことなく踏めというはず」という名言まで収穫できました。(参考文献:日本人のための宗教言論 著:小室直樹 徳間書店)

この記事を書くにあたり調べ直したところ、踏み絵は初期の頃は成果をあげたものの、後期になるとそうでもなくなった。「内面と外面の区分」の考えが広まった結果、役人の前ではシレッと踏み絵を踏んでおいて、信仰を守る人が増えてきたらしいです。つまり、後ろめたさ一色の人生を送った人は少なかったと推測できます。ああ、よかった。(先のWikipedia参照)しかし初期の頃からこの考えが広まっていたら、キリシタン狩りの犠牲者はもっと少なくて済んだはず。なぜ最初から広まっていなかったのか。残念です。