乙武サンについて11 親のしつけ?

さて乙武氏の不倫騒動の後、”氏があんな性格になってしまった理由”としてネットの掲示板に溢れたのは、「親のしつけが悪いから」という意見が大半でした。「どうせ、親が甘やかしたんだろ。かわいそう、かわいそうって」等々。まぁ、予想通り。当初、私もこれらの書き込みに「そうだ、そうだ!」と、全面的に同意して読んでいたのですが、ある時ふと疑問を感じました。

「本当にそうか?」

と。

なぜそう思ったかと言いますと、まず氏の年齢。当時の乙武氏はアラフォー、成人してから20年弱が経過した立派な大人でした。親のしつけの効果が及ぶには時間が経ち過ぎている、というか親の責任を問うには育ち過ぎている、という感じがしたのです。つまり、親のしつけが直接的に作用したとは考えづらい。

んじゃ、何が原因なのか。思い当たったのが、アメリカの心理学者、ジュディス・リッチ・ハリスの集団進化論です。この理論を一言でいうと「子供の人格形成は、親や家庭より友達や仲間の影響を受ける」というもの。要は「家庭環境よりも子供の人生に大きな影響を与えるのは学校」だということです。つまりこの理論に則って考えると、乙武氏があんな性格(助けてもらった当たり前・周囲に感謝しないというゲスい性格)になってしまったのは、周囲の人との関係が原因の可能性が高い、と推測できます。

乙武氏がどんな環境で育ってきたかというと、幼稚園〜大学まで一貫して健常者の中で過ごしてきた模様です。養護学校(当時)ではなく、普通の公立小・中・高の普通学級に通っていた事が著書からも確認できます。つまり、彼は健常者の集団の中でただ1人の重度障害者であった。この立ち位置がマイナスに作用したのではないか。

彼は一目で重度障害者とわかります。そのため、普通に接しよう接しようと心がけたとしても、やはり大なり小なり気を使ってしまう存在です。いくら先生が「特別扱いはやめよう」と指導したとしても限度があります。同級生も、差別だ!いじめだ!と言われたくないので、過剰に丁寧に接したり、遠慮したり、彼がスムーズに行動できるように先回りして助けたこともあったかもしれない。そして彼は、クラスどころか学校で唯一の重度障害者(多分)であり、周囲の気配りや手助けを独占することができるわけです。こんな状況が15年以上続いた結果、友達は自分を助けて当たり前!周囲が自分のために動くのは当たり前!気を使うのは当たり前!になってしまい、あの様な性格と化しまったのでは。

もし、彼が養護学校(当時)に通っていたらどうなっていたでしょうか?障害の重さ故、養護学校でもそれなりに気を使われたかもしれないが、それは普通学級の比ではないくらい小さいでしょう。とにかく周囲は、程度の差こそあれ全員障害者。氏が困っていたとしても、全面的に助けるのは無理。もちろん先回りして助けるのも無理。皆自分の障害のことで精一杯で、そんな余裕はありません。当然、周囲の気配りや手助けを独占なんてできません。とすると、少なくとも「友達は自分を助けて当たり前 !」という認識は生まれづらい。例え「ボクは手も足もないんだぞ!」と言ったところで「それが何?」と返されて終了でしょう(萎縮して黙ってしまう子はいないだろうし、もしかしたら言い返してくる子もいるかもしれない)。助けが欲しい時は、「助けてください」と自分で意思表示することも教わります。ということは、少なくとも「車椅子対応レストランを調べる」くらいはできる人間にはなったはずです。つまり、障害を盾にして周囲を意のままに動かす人間にはならなかった可能性は高い、と私は考えます。

結論:氏があの様な性格になった原因の大半は、親のしつけではなく、周囲の環境である。しかし、その環境を選んだのは氏の親である。従って氏の親の教育方針の所為だとは言えます。氏を養護学校ではなく普通の学校に通わせると決めたのは、氏の両親なのですから。それでも、家庭で感謝の心や周囲への気配りを教えていれば、ちょっとはましだったかもしれないませんが、結局それが失敗しているんですよね。氏のご母堂はあちこちで講演会を開いていたらしいですが、一体何を語っていたのやら。

乙武サンについて10 親戚編

一連のブログ記事を書くために、乙武氏絡みの本やネット記事を読み込んでいて、ふと疑問に思った事があります。それは

乙武さんって親戚いないの?

でした。「五体不満足」では、両親との温かなエピソードが、当然ながら沢山書かれていました。近所の人や友人との感動的な話も、それなりにありました。が、おじ・おば・いとこ、といった親戚との話が何一つなかったのです。どこか不自然な気がしました。「クラスメートとケンカした」、「いつもクラスの中心だった」というエピソードを堂々と載せる位なんだから、「いとこと取っ組み合いの喧嘩をした」やら「親戚が集まるといつも話題をさらっていた」やらの話が出てきてもおかしくないのですが。(こんな疑問が沸いたのは、私自身がそれなりに親戚付合いのある家庭に育った、という背景が影響しているのかもしれません)

「五体不満足」(完全版)を読み返しましたら、氏が小学生の時点で、祖母は1人実在したことは確認できました。が、それ以外の祖父母は、全く出てこない。もしや全員他界済みか?そしてその他の親戚については、「し」の字すら出てこない。早稲田大学教授との対談(こちら)では、「上の世代の親戚」と言う言葉がでてきます。この「上の世代の親戚」がおじ・おばを意味しているなら、彼には親戚がいるということになりますが、この対談ではそれ以上の言及はありません。そして、「乙武 親戚」と検索をかけてみてもほとんどヒットしない。なぜなのか、ちょっと仮説をまとめてみました。

  1. 本当に親戚がいない(祖父母は既に他界の上、両親ともに一人っ子、等)。
  2. 親戚が本に書かれるのを嫌がった(プライバシーの問題)。
  3. 単純に、書く機会がなかっただけ(インタビューや著作の本筋に関係がないため)。
  4. 「感動的」なエピソードが無いため、書けなかった。

まぁ、こんな所ですか。その他では、4.の発展形として「障害が原因で縁遠くなった」ということも考えられます。よく障害児の親の回想録等で、「子供の障害のことで親戚から責められた」やら「障害が原因で縁を切られた」等の話が出てきますが、乙武家ではそんなことはなかったのか?と、多少疑ってしまいます。が、これはゲスの勘繰りになってしまうのでしょうか。

そういえば、乙武氏が母と対面したのは生後1ヶ月の時。退院は当然その後ですが、その1ヶ月の間に両家の祖父母が面会を希望して来院した、ということはなかったのでしょうか?父親がシャットアウトしていたのか?一体どんな風に?その方法が知りたくなってしまいます。

乙武サンについて9 育休編

さて最近、小泉進次郎環境大臣の育児休暇取得を巡り、「男性の育休」についての関心が高まっています。私個人としては賛成です。ただ、2週間で育児をどこまで理解できるか、が疑問ですが。乙武氏もこの件についてコメント求められてましたね。

ここで、ふと思い出したのは

乙武氏も育休取ってたよな

ということ。小学校の先生だった頃、次男が生まれた後なので、多分2010年7月以降ですね。期間については調べた範囲ではわかりませんでした。そういや「イクメン」と書いていたネット記事もありましたっけ。

んで、ここで疑問が湧くわけです。

具体的に何してたの?彼にできる育児ってどんなの?

と。さて、「母乳を出す」以外の主な家事・育児をリストアップすると

  • 料理(幼児食・離乳食含む)
  • 食器洗い
  • 掃除
  • 洗濯
  • 布団干し
  • 買い物
  • ゴミ出し
  • おむつ換え
  • ミルク作り・ミルク飲ませる
  • 赤ちゃんのお風呂
  • 予防注射・検診に連れて行く

位ですが、氏はほとんど無理そうです。何せ両手足がないのだもの。予防注射・検診だって移動の困難やスピーディな手続きがネックになり、彼単独で連れて行くのは難しいでしょう。「手がなくても困らない」という発言、よく言えたもんです。まぁ、ゴミ出しは高級マンションだったら24時間可能かもしれないし、食器洗いは食洗機がやってくれるから、奥様の負担は少しは減ったかもしれませんが。

では、逆にできる事は?と、リストにしてみると

  • 上の子と遊ぶ(絵本を読む・歌を歌う・一緒に踊る・公園に連れて行く)
  • 赤ちゃんをあやす(絵本を読む・歌を歌う・目の前で踊る・変顔をする)
  • ネットスーパー発注
  • ヘルパー・家政婦さんの手配
  • 両実家への連絡

位ですかね。で、これらの事をこなすのに、仕事を丸一日休む必要があったのか?時短勤務じゃダメだったのか。本当に育児休暇が必要だったのでしょうか?(上の子は確か2歳だったはず。毎日4、5時間も全力で遊んでいたのか?そもそも赤ちゃんなんて最初の4ヶ月は、半日くらい寝ている)

いや、要らないでしょ。どう見ても。

周囲は突っ込まなかったのか?と思うのですが、正確には「突っ込めなかった」んでしょう。後になって「周囲から反抗的な目で見られた」「嫌味を言われた」と被害者アピールする位ですから。真正面から「具体的にどんな育児するの?ていうか育児できるの?」なんて聞いたら「差別だ〜!」と、ここぞとばかりに宣伝するに決まってます。周囲の精一杯の突っ込みが嫌味レベルだった、ということか。また、彼がいる事で何か学校運営に支障がでたため、これ幸い休んでもらおう、という判断がでた可能性もあります。

氏は不倫発覚後の懺悔パーティー(爆)で「長男が生まれた後、育児に参加できないのがコンプレックスで家庭から逃げてしまった」とコメントしてましたが。

育児に参加できないのになぜ育休を取った?

もう、詐欺じゃね?ってレベルですな。彼は一体何がしたかったのか。「今度こそ育児参加したいから、義手つけました! 」という訳でもないのだもの。単に「いい人」のポーズが取りたかっただけ?彼は「育休の先駆者」ではなく、「取るだけ育休の先駆者」だったのでしょう。んで、何をしてたのか?ですが、最悪(誰かの様に)不倫に勤しんでいた可能性すらあります。東京都は、氏やその周囲にヒアリング調査を行い、「育児の実態が確認できなければ、手当ての返却を請求する」位のことはしてもいいでしょう。コメンテーターも単にインタビューするだけじゃなく、少しは突っ込もうよ。「乙武さんは育休中、何をしてましたか?」って。

そう言えば次男が生まれる寸前、乙武氏は泥酔状態で女性を口説いていた、なんて話も飛び出しましたね。(こちら参照)元々家庭や子どもに関心が薄い人だったのかも。最初に「イクメン」と書いたライター、出てこい !

乙武サンについて8 義手・義足2

そもそもなぜ人は義肢や義眼を付けるのか?その理由は、単なる利便性や「機能の補完」のために留まらない気がします。(現在、義眼をつけても目が見えるようにはならない)それは、「見た目の補完」ですそして、「見た目の衝撃と周囲の精神的負担を減らす」ということ。平たく言うと周囲への配慮・気遣いです。

以前匿名掲示板「ガールズちゃんねる」にて、以下の趣旨の書き込みがありました。

昔、都内の某駅で乙武を見た事がある。一瞬、人間だと思えなかった。置物かと思った。乙武だ、と気づいた瞬間鳥肌がたった

ガールズちゃんねる より

というもの。私は単にこれを、投稿者の差別意識!と切って捨てることはできません。人間(というか生き物全般)は、「普通でないもの」を警戒し、恐怖心を抱くという特徴があります。彼の見た目が、脳にインプットされている「人間」の形態とはかけ離れているため、こんな反応になってしまったのではないでしょうか。大人であってもこの反応ですから、子供はどう感じることか。小学校の児童が「怖い」と言っていた理由も多分この辺でしょう。決して「先生は僕たちと真剣に向き合っているから〜」と言う理由ではなく。大体、そこまで考える小学生はいません。

彼は生まれた時から手足がなかったため、「欠損」という認識がなかったらしいですが、それは彼個人の認識であり、大半の人はどうしたって「欠損」という目で見ます。そしてショックを受けたり、同情したり、その感情を隠すため過剰に褒め倒したり下手に出たり。(’下駄をはかされていた’の下駄の一部は多分コレ)はたまた人によっては拒絶したり。

人は見た目が大事、と言われています。一度親しくなったら見た目は関係ないかもしれませんが、親しくなる以前に見た目で拒絶されてしまっては、人間関係が成立しません。(確か入院中のエピソードにそんな話があった)それでも彼の周りに人が絶えなかったのは、彼の知名度と社会的評判、そして皆分別のある大人だったため、今までこの路線でやってこれた訳です。彼は「障害者もおしゃれをしよう」「見た目に気を使おう」と言いかなり小洒落た格好をしていますが、実は全く見た目に気を使っていなかったのでは?(おしゃれ以前の問題?)見た目の衝撃を減らすために(周囲への配慮のために)義肢をつける、と言う選択をしないのですから。彼の周囲の人は相当気を使っていたと思いますが、彼自身は周囲に対して全く気を使っておらず、そしてそれを当然だと思っていた。彼は、思いやりに欠ける傲慢な人だったのです。

「ありのままの自分を見て欲しい」という気持ちを否定はしません。しかし未成年ならまだしも、30後半になってまでこの姿勢でいたのは、純粋というより幼稚、というか狡猾さすら感じます。以前の記事で「’カタワの甲羅干し’写真はインパクトがすごかった。これが彼の武器か?」と言う趣旨の文を書きましたが、これは事実でしょう。彼は「手足がない」と言うことを武器として世渡りしてきたのです。彼の見た目に衝撃を受けた側がそんな自分を恥じ、それを隠すために配慮したりなんだりするのを利用して、のしあがってきたのですから。

彼にとって「義肢をつけること」は武器を失う事、であると同時に健常者中心社会への迎合であり、謝ったら負け、ならぬ「義肢をつけたら負け」だったのかもしれません。

乙武サンについて7 義手・義足1

彼はなぜ、義手・義足(以下、義肢)をつけないのか?

これ、大抵の人が随分前から疑問に思っていた事だと思います。ご多分にもれず、私もそうでした。但し、途中からですが。

「五体不満足」出版時は単純に

「お金がなくて買えないんだな」

と、思っていました。補助が出ているとは言え、電動車椅子の購入・維持管理には費用がかかる。その上で(脳からの電気信号で動く)最新式の義肢を用意する経済的余裕なんてないだろう、と容易に考えられたので。という訳で、「五体不満足」がベストセラーになった、というニュースを聞いて、素直に「よかったね」と思えたのです。そして「印税で最新式の義肢を買うんだろう」と予想しました

が、彼は何も付けませんでした。ここで例の疑問が浮かぶわけです。なんでだろう?私が思いついた理由は二つ。一つ目は、義肢の性能があまり良くないから付ける意味がない。これがメインの理由だと、義肢の技術が進歩したらその内付けそうな気がします。二つ目は、切断面の形状からして義肢の装着が難しいから。こちらがメインの理由だと、これからも多分付けないだろう、考えられます。どちらがメインの理由なのか、私には判断が付きませんでしたが、多分後者だと勝手に思っていました。

その後10年以上経っても、彼はやはりなにも付けないのです。相変わらず、いつでもどこでも車椅子で参上。義肢の技術は進歩しているだろうから、一つ目の理由ではなさそう。だとしたらこれは二つ目の理由でしょう!と確信。義肢の装着が難しいなら、もうこれはしょうがないです。だから彼が義肢を付けることは、これから多分ないだろうと思いました。「こういう人なんだな」と。でも、何か違和感を感じたんですよね。「メーカーと協力して新しい義肢を開発する」という手もあったはずなのに、彼はそれをやらない、噂すら出てこない。これは大いなる謎でした。

そして不倫騒動の後、平成が終わったあたりで、彼は義足を装着し歩行訓練を開始

義足、付けれたんかい!つーか、今更かい!

思わず呆れと驚きの入り混じったツッコミを入れましたね。なぜこのタイミングで?で、なぜ足が先?

なぜこのタイミングで?というと、一つ目の理由はやはり、仕事がなくなったから、でしょう。今までは黙っていても仕事が舞い込んできたのに、自分で仕事を、センセーショナルな話題を作らなければいけないのですから。二つ目は妻が逃げたから。ただでなんでもやってくれる存在がいなくなったから、自分でやらなくてはいけない事が増えた。ここまでは、簡単に結論が出せます。

で、なぜ、義足を先に付けるのか?利便性を考えるなら、まず義手でしょう?そもそも義足を付けないのは、「転んだ時につく手がなく、危険だから」という理由もあったんですから。手があったら「自分でできる事」が飛躍的に増え、当然介護の負担も減ります。洗顔・髭剃りは言わずもがな(下世話な話ですが)TENGAの後始末だってできる!ってことは性欲発散に苦しむことも激減、複数の愛人もいらなくなる(笑)育児にだって参加できる!と、いいこと尽くめなのに。動機として「東京オリンピックで聖火ランナーをやりたいから」と語っていましたが、では東京オリンピックがなかったら、何もつけなかったのでしょうか?義足装着の理由が内部要因ではなく、外部要因。この人にとっては、周囲の負担を減らすことより、周囲に強烈なビジュアル・インパクトを与える方が大事なんでしょうか。

乙武サンについて6 ヤンキー先生との類似点

2016年、乙武さんが選挙に出る!と聞いた時も別に不思議はなく「まぁ、そうだろうな」と素直に納得していました。彼は「頑張ってる障害者」の代名詞的存在で、安倍政権の掲げるスローガン「一億総活躍社会」に実にピッタリ。明るく爽やかで中高年のウケも良く、ネガティヴイメージも殆どない(不倫バレまでは)人だったので。

しかし、この出世パターンどこかで見たような気がしました。特に仕事ができるわけでなく、すごい大発明・大発見をしたわけでもなく、世の中を変える運動をしているわけでもない。が、特殊すぎる生き方がメディアで話題を呼び、本が売れ(ついでに名前と顔も売れ)、最終的に政党から声が掛かって政界入り、というパターン。

えぇ、先達がいました。それは

「ヤンキー先生」事、義家弘介氏。

義家氏の政界進出は2007年なので、約10年ぶりの出来事となりますね。両者の共通点をまとめてみるとこんな感じ。

  • 特に仕事ができるわけではない
  • 何か大発明・大発見をしたわけでもない
  • 何か社会運動を展開していたわけでもない
  • 特殊な生き方が注目され、メディアの寵児となる
  • 著書がベストセラーとなる
  • 顔と名前が売れる
  • 二人とも1970年代生まれ
  • 二人とも教員経験有り
  • 二人とも教育委員経験有り
  • しかし選挙話が来た途端、二人とも任期途中で辞任する
  • 自民党から参議院出馬を持ちかけられる
  • 一部にアンチがいる
  • 二人とも「年下の、自分に自信のない女性」と結婚(←オマケ)

こうして並べてみて導き出される結論は、両者とも「強烈な自己顕示欲」と「強烈な上昇志向」を持っていると言った所でしょうか。

さて義家氏と乙武氏、選挙に強そうなのはどちらか?と考えると、即乙武氏になりそうなものです。前述のように、彼にはネガティヴイメージがほとんどなく、オマケに「障害がある」という点で、どこか批判がしづらい。(俗にいう’障害バリア’?)一方の義家氏は「元不良」。そして「元教師」でありながら「元教え子と結婚」という過去があり、これはどうしたって批判の対象になります。それに氏の言説や言動については、多くの矛盾が指摘されていました。

ですが、フタを開けてみれば当選したのは義家氏。乙武氏は不倫騒動のため、出馬すらできなかったためです。2007年と2016年、何が違ったかと考えるとやはりネット空間の発達でしょう。2007年当時も、義家氏に批判的な人たちが一部で活動していましたが、それは一部の週刊誌に載ったくらいで、大きなムーブメントにはなりませんでした。(結果、義家氏当選)しかし、乙武氏の不倫騒動は週刊誌発でありながらネット空間で増殖し、それがリアル社会を動かしてしまったのです。

歴史は繰り返す。ただし二度目は茶番として。

という言葉を思い出します。取り敢えず、税金の無駄遣いが避けられたのは良い事でした。しっかし、世の中何が起こるかわかりませんね。

蛇足:乙武氏の不倫騒動で、「パナマ文書」問題が影に隠れてしまったことを「陰謀だー!」と騒ぐ人はいないのだろうか?

参考文献:「若者論」を疑え! 後藤和智 宝島社新書

乙武サンについて5 女王蜂?

「五体不満足」以来、基本クリーンなイメージでひた走ってきた乙武氏。ですが、週刊新潮の不倫報道で全てがガラリと変化。不倫相手が「最低5人・最高50人」というのは、実にたまげましたね。そして、こんな下半身暴走族がいるから、梅毒の流行が止まらないのか!と別方面で納得しちゃいました。他にも続々と暴かれ出した彼の裏の顔。

モラハラと並んで衝撃だったのは

「筆談ホステス、こと斉藤里恵氏の秘書引き抜き」

ですかね。障害者が障害者の足を引っ張っている!!この状況がまるで「障害者の代表は俺一人で十分だ。その他大勢は引っ込んでろ!」と言っている様に受け取れるんですよね。この感じ、何だったっけ…と思ったらぴったりな単語がありました。それは、

クイーンビーシンドローム(女王蜂症候群)

クイーンビーシンドロームとは、男性社会で成功した女性が、自分の地位を守るために他の女性の活躍を邪魔しようとすること、です。彼はこの障害者バージョンなのでは?結果として斉藤氏の邪魔をしているわけですから。聴覚障害者の支援(タイピング・復唱)と身体障害者の支援(身体的介護)はまるで方向性が違うのに、わざわざ斉藤氏の秘書を引き抜いたのも、実に怪しい。彼が他の障害者との接点を殆ど持たないことも、この推測を補強する材料ですね。まぁ、ホイホイ引き抜かれる秘書も秘書ですが。モラハラ四十路オヤジの尻拭い(文字通り)ってそんなに魅力的な転職先なのか。

彼は不倫騒動後になって「自分は障害者の代表じゃない」と言っていましたが、発言するのが10年以上遅い。「誰か代わってくれ」という趣旨の発言もしているが、それが本音だとは到底思えない、その理由が上記の内容です。2017年以降は「身長100センチのママ」こと伊是名夏子氏や、「事故で三肢切断青年」と対談しているみたいですが、「今更?」感が否めません。それに彼らはどちらかというと「障害を感じさせない障害者」であり、「感覚が限りなく健常者に近い人」です。乙武氏は「The 障害者」な人との接触を意図的に避け続けている気がします。

彼の妻(今は元妻)のコメントも脱力モノでした。「乙武はなんでもできるイメージがありますが、ドアも一人で開けれない。風呂もトイレも介助が必要」というアレ。彼がいつも自信満々なのは、なんでも一人でできるから、だと私思っていたので。何から何まで人任せなのに、なぜあんなに態度がデカイのか、別に卑屈になることもないが、もう少し謙虚にできないのか、と。それにしてもモラハラはなかろうよ。

「五体不満足」の内容が「僕はあれもできる!こんなこともできる!」ばかりだったので、まさかここまで人任せだとは想定外でした。一応、「一人で用を足すことができない」と一文だけ書いてありましたが、印象に残っている人は少ないでしょう。(アリバイ作り?)「大事なのは何が書かれているか、ではなく何が書かれていないか、だ」という言葉がありますが、この見方で「五体不満足」を読んでみると疑問がたくさん出てきます。家庭科の調理実習の時は、どうしてたのか。修学旅行の班行動時のトイレは、誰が介助してたのか、等々。まさか班のメンバーじゃないですよね。(と信じたい)せっかくの修学旅行で、クラスメートの尻拝みたい人はいないですよ。

どーでもいい疑問:上の方で梅毒云々書きましたが、はて、乙武氏は一人でコンドームがつけれるのでしょうか?そこからして相手任せの状態でドン・ファン気取ってたとしたら、相当イタいです…

乙武サンについて4 「五体不満足」を振り返る

大ベストセラーとなった乙武さんの著書、「五体不満足」。出版は1998年、私は当時中学生でしたが、読んだのは成人してからになります。(母がどこぞから借りてきた本でした)

まず、いい意味で予想を裏切る内容でした。私はてっきり「障害ゆえの苦労や周囲の差別・無理解・偏見がありましたが、なんとか乗り越えて、現在楽しくやってます!」という内容かと予想してたのですが、そうじゃなかった。障害ゆえの苦労や周囲の無理解などほとんど無く(0でもなかったが)周囲に自然に溶け込み、毎日楽しく明るく前向きに!という内容でした。そんな障害者(しかも重度!!)がいるなんて想像したこともなかったので、これはかなり新鮮でした。「こんな人っているんだ〜」と。

しかし、

全く感動しなかった

のもまた事実です。単純に「症例:その1」でしかなかった。そもそもどこに感動のポイントがあるのか、いまだによくわかりません。どなたかに教えて頂きたいくらいです。

そして何度か読んでいるうちに「本当か〜?」とモヤモヤ感が深まっていったのも本当なのです。

まず、一つ目としては、「乙武さんの周りに、やたらと優しさ溢れる親切で物分かりのいい人々」が大集合していたこと。こんなことってあり得るのでしょうか?確率的に。いくら「世田谷は民度が高い」と言えども、ここまでなのか?

ついで二つ目は、乙武さんが、健常のクラスメートの中にごくナチュラルに溶け込んでいたこと。ここは、大抵の人にとっては感動ポイントなんでしょうけど、私にとっては引っ掛かるポイントでした。いえ、私も最初は素直に「本当にこんなことってあるんだ〜。いい人ばかりのいいクラスだな」と思ってたのですが。何度か読んでいるうちに違和感が沸いてきたのです。

あまりにうまく行き過ぎている…

と。例えるなら、ハイキングに行ったつもりが、スーパー林道のウォーキング大会だった様な。あまりに滑らかにスイスイと進んでいて不自然なのです。

なんでこんな考えに至ったのか?実は私、小中合わせて5年程、障害児と同じクラスで過ごしたことがあります。その時の記憶と比較してみると、この辺りの描写は疑問符がつくのです。彼ら障害のあるクラスメートに対して、乙武さんのクラスメートの様にごく自然に接することができたか?面倒を見ることも厭わず優しくできたか?と、考えるとどうしても「否」という結論が出てしまう。

  • 元クラスメート→知的と身体の重複障害者が大半
  • 乙武さん→知的障害が無い手足がないだけ

という違いのせいかもしれない、と当初考えてみました。しかし本当にそれだけか。例え会話が成立したとしても、「手も足もない肉体」はそれだけで衝撃です。実はクラスメートにかなりの精神的な負荷を掛けていたのでは、と推察できますが、その辺りの事情がほとんど書かれていない。なぜなんでしょう?私も子供時代の反省を踏まえて、障害者に対して自然に接するコツ・秘訣、みたいなのが書かれているかも!ぜひ吸収しなきゃ!と目を皿の様にして読んでみたのですが、これまたどこにも書かれてないんですよね。つまり、いくら熱心に「五体不満足」を読み込んでみても、その辺の身近な障害者に対して応用ができないのです。そして何度も読んでいるうちに段々と虚しくなっていって、ついには読めなくなるのです。

つまり「五体不満足」はかなり不思議な本なのです。最初の1回・2回読んだ直後は「みんなやればできるんだ!差別のない明るい世の中を作るんだ!」と明るく前向きな気持ちになれるのに。それが5回目・6回目となると、「で、具体的にどーすりゃいいの?結局’障害を感じさせない障害者’ならともかく’The 障害者’という人に自然に接するのはかなり難しいんじゃない?あれは乙武さんだからできたことでしょう?」と、どこかシケた投げやりな、諦めに似た気持ちになってしまうのですから。

乙武サンについて3 イタリアンレストラン編

イタリアンレストランの一件について、まず第一印象は、

「すごい偶然だな

でした。

  • たまたま男性スタッフのいない日に、
  • たまたまオサレスーツ着用で、
  • たまたま妻でない女性と「隠れ家的レストラン」で食事、

なんてそうそうある事じゃないです。しかし全くのゼロ、とも言い切れない。まぁ、確率100万分の1くらいかな〜と思っていました(←普通はそれをゼロと言うが)。妻でない女性と二人っきり、と言う点は一瞬「ん?」と思ったのですが、不倫の「ふ」の字も浮かびませんでしたね。その発想自体がなかったし、「不倫」だったら自分からここまで言い触らすなんて有り得ない、と考えるのが普通ですから。一部の鋭い人たちはこの時点から疑っていたらしい、と後に聞いて変に感心してしまった位です。

しかし、明らかに違和感を持った所が3つありました。

一つ目は、乙武さんが車椅子から降りて歩かなかった事。「スーツが汚れるから」と言う理由らしいですが、それっぽっちの理由で歩かなかったのは不自然に感じたのです。彼はいつも「僕はなんでもできる!」と自己PRしていますし、そもそも「五体不満足」の記述では歩けるはず、なのになんで自力で階段を登らないのか。そうしたら、

実はこの人、本当は歩けないんじゃないのか?

と言う疑念が沸きました。きっと、同情されたくないから、なめられたくないから、強がってハッタリかましてるんじゃないか。周囲も優しいからあえて指摘しないであげているのだろう、と思えてきたのです。考えてみれば、乙武さんはいつでもどこでも車椅子で参上していましたしね。私は、それまで彼が自力歩行している姿を見たことがなかったのです。野球の始球式の画像を見たのは、不倫騒動後が初です。

二つ目は、「自分が困っていたらいつも友人が助けてくれる!」と、自信満々で言い切っていた所。これにはかなりの違和感がありました。なぜ、そこまで言い切れるのか。「信頼しきっている」と肯定的な解釈もできますが、どうもそうじゃないニュアンスが感じ取れまして。「友人」だって色々と都合があるでしょうよ、時間的・体力的・精神的に。乙武さんのこの言い方では、まるで相手がお助けマンか便利屋のように聞こえます。そもそも彼がいつも助けてもらえたのは、彼が友人連中の中で「唯一の障害者」だから、じゃないでしょうか。他にも障害者がいたら「人手」が分散してしまって、そこまで助けてもらえないのでは。彼が障害者ではなく、いつも健常者とつるんでいる原因の一つは、これかもしれません。「今まで、車椅子可かどうか調べたことがなかった」って、周囲からどんだけ配慮されていたんでしょうか。これを「自慢」と受け取る人が出ても不思議じゃないです。

三つ目は、この件をいきなり「世に問うてみる!」と言い出した所。なぜ、問う相手がいきなり「世」になるのか。まずは身近な相手、例えば「車椅子仲間に問うてみる!」じゃないのか。そこまでスケールを拡大した発言になる理由が、全くわかりません。まぁ、まさか「車椅子仲間」が一人もいないさみしい御仁、だったとは想定外でしたが。

前々回の記事で書いた「多少のツッコミどころ」とは、こんな所です。

乙武サンについて2

冷静になって考えてみれば、乙武さんが不倫をしたこと自体は別に不思議ではありません。顔面偏差値は中の上、頭と口が回るしお金持ち、年齢も(当時は)30代、そして外聞の良い有名人、と来れば異性を惹きつけるのには十分です。そして、かばう人が2〜3人は出るだろうな、とは予想していました。が、フタを開けて驚き。

それ以上の人間が乙武さんを庇ったから。

何であんなに庇うんでしょうか?(弱みでも握られているのか?)友人連中は「あいつは特別だから、目をつぶろうよ」なんて言ってたらしいですが、それはひょっとして「差別」じゃないのか。それにしたって、わざわざ箝口令を敷かなくても、口止め料を払わなくても周囲が自発的に口を噤んでくれる、障害者とは実にお得な立場だな、と私、つい皮肉な眼差しを向けてしまいました。ベッキーに対する態度との違いはなんなのか。(私はベッキーに対して、特に関心はありません)

芸能記者のコメントで「乙武さんの女好きは、当たり前すぎて記事にならないと思っていた」なんてのもありましたが、どう見ても言い訳。むしろ今まで全く報道がなかったからこそ、クリーンなイメージが膨れ上がり、その反動でここまで大炎上したとも言えます。「乙武さんが、また美女とお泊まり!」なんて記事がしょっちゅう出てれば、「またあの人か〜」で済んだんですから。メディアの「忖度」が返って裏目に出たってことですね。過度の忖度は人をダメにする、という教訓がここに。

で、ふと思ったのは

乙武さんが女だったら、みんなここまで庇ったか?

ということ。(女だったらこんな性格になってなかった可能性はありますが)学生時代から複数のボーイフレンドを侍らせ、飲み会では下ネタ三昧。結婚後もホストクラブで豪遊を続け、大人しいのは妊娠中だけ。夫に生理用ナプキンまで換えさせておきながら、夫と子供を放置して若いツバメ(←死語)と海外旅行。こんな「女」だったら世間は庇ったか?「障害女性の性欲処理は大変なんです」と、理解を示したか、と考えるとそれは多分「否」でしょう。彼が不倫し放題の上、変に庇ってもらえたのは彼が「障害者」である以上に「男」だったから、とも言えます。

乙武さんがいつも若くてキレイな(華奢な)女性と一緒だったことに、誰も突っ込まなかった事も不思議です。親にこの疑問をぶつけた所、「介護だと思われてたんじゃない?」という回答が返ってきましたが、介護なら別に若くなくても美人でなくてもいいですよね。(そして体格はガッシリ系の方がいい)そもそも最近は障害者の羞恥心を考えて、介護は基本同性でという方針になっていたはずです。庇っていた有名人にもそんな事を言っていた人がいましたが、それは同性介護を推進してきた人たちの努力を無視するものなのでは?

蛇足:家人は、乙武さんにまーったく関心がありませんでした。話を振ったところ、「えっ、誰それ?あっ、わかった。口で筆を咥えて、みつおっぽい詩を書く人でしょ?」と返されました orz。まさかの星野富弘氏との混同。どうやら、「ハンデがあっても頑張っていいことしてる人」で終了していたらしいです。何かと話題になる人に対して、ここまで無関心を貫けるのもある意味すごいな、と変に感心してしまいました。