中華思想に出会った日

それは小学6年時。社会(歴史)の授業の、グループ学習の発表の時間で、でした。(当時の担任は、グループ学習・調べ学習が大好きな人でした)とある男子グループの

「中国の意地悪!?」

というタイトルでの発表だったと記憶しています。

内容はヤマトが「邪馬台」、ヒメコが「卑弥呼」となっている理由。「邪」・「卑 」と悪い意味の漢字が当てられているのは、中国側の意地悪のせい、という内容の発表でした。私の感想は「へぇ、そうなんだ」という単純なもの。「わざわざそんなことしてどうする?」以外特に何も出てきませんでした。担任は、中国・韓国と仲良く❤️なバリバリの左系統人でしたが、発表の邪魔をする、なんて事はしませんでした。ただ苦笑しながら見守っていただけです。これはごく普通の対応なのですが、世の中にトンデモ教師が多いことを考えると、褒めるべきなのかもしれません。

「相手に悪い意味の文字をわざと当てる」、その根底にあるのが「中華思想」だと知ったのは高校生の頃。図書室にて、あれこれ歴史の本をひっくり返して調べていて判明しました。そしてこれが、対日本特有のものでない、ということも。「匈奴」や「吐蕃」もその一例だということです。(確かに、’奴’も’吐’も良い意味ではない)わざわざ相手に蔑称をつけ、それを公文書に残す。考えてみれば、かなり陰険で底意地の悪い行いです。このことから、大陸の人々は単なるカワイソウな集団ではないらしい、とこの時うっすら気づきました。裏を返せばそれまで私にとって、

中国大陸の人々はカワイソウな人たちであった

というわけです。何かにつけ、「日本の振る舞いに傷ついた、謝罪しろ!」と叫んでいるシーンの報道を見ながら、「あぁ、傷ついているのか。なんて可哀想なんだろう」と素直に哀れむのが日常でした。ですので、この気づきは確実に私の思考のターニングポイントだったと言えます。

この担任(N先生)については、色々と香ばしいエピソードがたくさんありまして、追々書いていこうと思います。問題は、エピソードがありすぎて、どこから書けばいいのかわからないことです。orz。

中華思想と幻獣の意外な関係

私は昔からファンタジーが、想像上の生き物が好きでした。7歳くらいの時には、ペガサスが存在しないことを本気で悔しがっていた記憶があります(笑)。高校生位になると、「幻想生動物事典」やら「幻想世界の住人たち」といった本を主に学校の図書室で漁っていました(今は文庫版が出ているようです)。ファンタジーの世界にドップリ浸かる、とても幸せな時間。時々ゲームやマンガの元ネタを見つけては、ニンマリしていたものです。

幻想生物もいくつかのカテゴリーに分けられます。神獣(例:麒麟)や合成動物(例:キマイラ)という風に。その中に「異形人類」というカテゴリーがありまして、これは読んで字の如く異形の人間のこと。例としては耳長人のような。大量に前掲書やその類似書を読んでいて気づいたのですが、この異形人類、中国大陸由来のものがやたらと多いのです。前掲の耳長人に加えて、長股人・長臂人・一目人・貫匈人etc…

なんでか?少し考えてみたら結論が出ました。答えは

中華思想

でした。

東夷・西戎・南蛮・北狄。中原以外は皆蛮族の住む地、異形の人間がたくさん住んでいるに違いない、という想像がたくさんの異形人類を生んだのだろうと思います。それにしてもすごい想像力です。

しかし思想でもなく歴史でもなく、ドップリ趣味の世界に浸かっていて中華思想に遭遇するとは思いませんでした。

蛇足:「ペガサスは存在しない、というか不可能」という身も蓋もない現実を私に突きつけたのは、奥本大三郎訳の「ファーブル昆虫記」でした。「500kgの馬の巨体を宙に浮かすには大量の筋肉が必要。だがそんなことをしたらもっと重くなって余計に飛べなくなってしまう、だから無理」という単純明快な理論の前に、幼い私は完敗でした。ちなみに「でもカマキリならできるよ、小さいから」と続くのですが、ソレジャナイ感がすごかったです。