「援護射撃のつもりで背中から打ってくる人々」の話

今回のタイトルですが、「本人は応援しているつもりの行動が、実は相手を不利益を与えている」という状況を意味します。

これを最初に「発見」したのは、2006年(古!)4月の千葉県の衆議院補欠選挙の時でした。一つの議席を5人の候補者が争う展開となったのですが、メディアが注目したのは自民党候補で元通産官僚の新人・斎藤健氏と、民主党(当時)候補で同じく新人・太田和美氏。この二人の一騎打ち状態でした。で、斎藤氏の応援に自民党の武部勤幹事長(当時)が赴いたのです、が。その応援演説にて幹事長は、

「最初はグー!斎藤ケーン!!」

というフレーズを連発。聞いた瞬間、

うわぁ…」

という感想しか出てこなかったですね。斎藤氏や政策について何も語っておらず、中身がなく、当然ながら全く応援になっていない(演説)。むしろ悪影響です。一体幹事長は何がしたかったのか、本人は応援しているつもりだったんでしょうか。今も昔もまーったくわかりません。しかし、周囲も止めなかったんかい。結局この千葉補選、斎藤氏は落選しました。元エリート官僚 VS 元キャバクラ嬢という構図(太田氏は元キャバ嬢)が「格差社会」を露骨に意識させた、という見方もありますが、武部幹事長の最初はグー!斎藤ケーン!!」という「応援なのか、足引っ張ってるのかわからない」、意味不明なスローガンの影響は少なからずあったと思います。

それから10年後、2016年東京都知事選挙において、また似たような事が起きましたね。記憶に新しい方だと思いますが、舛添前都知事の辞職に伴って行われたこの選挙は、21人が立候補したにも関わらず、事実上3人の争いになりました。中でも元防衛大臣の小池百合子氏と、元総務大臣の増田寛也氏のトップ争いは激しかった記憶があります。

そんな中、増田氏の応援をしていた元都知事・石原慎太郎氏の小池氏に対する

「大年増の厚化粧」

という発言。またしても「うわぁ…」としか言いようがない。どうみても応援じゃなくて、足を引っ張っている、そして政策について何も語っていない発言。石原慎太郎らしいっちゃらしいんだけど(悪い意味で)、「応援の場」で言ったらお終いでしょう。応援されてる増田氏の人格まで疑われてしまいます。息子がそれに乗っかっちゃうのが何とも。この一連の報道を聞いてうっかり「あぁ、石原親子は増田氏がよほど嫌いなのだな」と思ってしまいました。「援護射撃のつもりで背中から撃ってくる」という高等テクニックを使うくらいですから、ねえ?

しかし、男性政治家はなぜ「化粧」について口出しするのでしょうか?IKKOではあるまいし、「化粧の素人」が何言っても無意味だと思うのですが。そもそも一体どんな化粧だったら彼らは満足するのか。(すっぴんだったらそれで「マナー知らず」とかいうでしょう)「香害」が発生していない以上、何も言わないでおくべきです。…と、真面目に論じたところで無駄かもしれません。まぁ、「化粧」というのは批判の糸口として「使える」ものなんでしょうな。要は

「相手を批判したいが、批判材料(資金・政策面等)がない時の取っ掛かりとして利用しやすいポイント」

のが「化粧」なのでしょう。

日経新聞では「増田氏は、腕まくりをしてフレッシュさをアピール」と書いてありましたが、そのくらいでは石原親子の破壊力を消し去ることは出来なかったでしょう。それはそうと、かんぽ問題で揺れる郵政の改革、頑張ってください。

医学部不正入試問題3

さて、医学部における不正入試(特に女子差別)。疑われながらも否定した大学がいくつかあります。その一つが慶應大学です。慶応医学部の男子合格率は女子の1.3倍。と、これまたビミョーな数値。高すぎないが同レベルでもないという、しかしまだ「偶然」と主張できる範囲です。

しかし私の憶測ですが、実は慶応医学部もやってておかしくないのです、女子差別。それも「みんなやってるから、ここでも当然やってるだろ?」という単純な理由ではなく、慶応特有の事情を踏まえた上での憶測です。

大学側が男子学生を優先的に入学させたかった理由の一つは、大学病院でできるだけ長期間、ハードワークをこなしてくれる人が必要だったから、とされています。要は「戦力」・「労働力」が欲しかったわけです。そしてここに加わる「慶応特有の事情」とは…

「慶応大学」と言えば、生殖医療の分野で有名です。「非配偶者間人工授精(AID)」、いわゆる精子提供の中心的な存在でした。提供者は長年、医学部の男子学生(特に運動部)から選ばれてきたとのこと。そう、男子学生から。

慶応医学部にとって男子学生は、「労働力候補」のみならず「商売のネタ」でもあった

のです。要は「馬車馬」兼「種馬」。種馬確保のために男子学生を多めに入れておきたい、という意向が働いていたとしても、おかしくありません。女子学生が精子を提供するのは、ぜーったい無理ですので。

さらに考えると、身内に遺伝病患者や障害者がいたりする男子学生を、推薦入試やAO入試で落としていた、ということも可能性としてあり得ます。彼らは精子提供者には不向きですから。ここまでゲスじゃない、と思いたいですが「女子に対する不当な減点」という’十分にゲスな事態’を引き起こしていた人達のお仲間ですから、もう何をやってても驚きません。

医学部不正入試問題で、一番やりきれないのは女性医師の65%が「女子の減点措置は仕方がない」と認めてしまったことです。(35%は認めてない、とも言えるが)差別される側がその差別を許容してしまっている、「自分達は努力を踏みにじられてもしょうがない存在」と自己規定してしまっているのは問題です。何て自罰的な! 何たるウーマンヘイト! ミソジニーの内面化、ここに極まれり!

医学部不正入試問題2

さて、東京医科大学での不正入試が発覚した後、学長が女性になりました。しかし私はここで「おぉっ!初の女性学長!」と、素直に喜ぶ気にはなれないんですよね。小手先で誤魔化している、と言うか目くらましに利用されている感がアリアリで。

組織において何か性差別的な不祥事が発覚すると、その後組織のトップが女性になる

というこの現象。はて、どこかで見た気が…

それは2008年(丁度10年前!)に発覚した、毎日デイリーニュースWaiWai問題、です。日本と日本人に対する侮蔑的・差別的な記事(嘘や誇張を含む)が英字版で垂れ流されていた問題で、当時ネット上では大騒ぎに!(と言うか大炎上)この騒動の後も後任の編集長が女性になりました。発生原因の一つが「女性の視点がなかった」という事だからだそうで。(記事の内容は女性云々のレベルじゃなく酷かったが)

もう、こういうのやめませんかね?差別的な不祥事の後始末に、ここぞとばかりに女性を起用するのは。女は煙幕ですか?確かに世間に対して「改革してます!頑張ってます!」と、一番手っ取り早くアピールできます。ポーズが取れます。しかし、大事なのは実際に組織を立て直し再発防止策を練る事であって、トップの性別は関係ありません。起用された後任の女性トップも複雑でしょう。自分の「能力」よりも「性別」が好ましい、と評価されての抜擢ですから、それが原因で周囲と摩擦も起きるかもしれません。(女だから出世できたんだろ、とか言われそう)色々とやりづらいと思います。そして何より、自分の責任ではないのに前任者の分まで世間からの批判を浴びつつ、事態の沈静化を諮らなくてはいけない。しかも自分の「属性」が不当な扱いをされていた事例について批判される。これは相当苦しいのではないでしょうか。事実、初の女性学長は厳しい批判の声が上がる中、TVカメラの前で頭を下げていました。当時は全く知らなかったのにも関わらず。

しかし常日頃、女は使えない・労働力にならない・すぐやめる、から減らせという指令を出しておきながら、火消しの最前線には盛大に女性を起用する。経営陣の辞書に「恥」という言葉はないのか?女性活躍ってこういう事ではないはずです。絶対に。

医学部不正入試問題1

2018年、大学医学部の入試において、様々な不正が行われていたことが発覚!中でも女子受験生に対する不当な減点に対して、世間の非難が集中しました。

私も「今時、こんな時代錯誤なことやってんのか!?」と驚き、怒りを感じましたが、同時に

「あぁ、こんなカラクリがあったのか」

と、ある意味納得してしまったのです。

その源は2010年頃見たグラフ。「医師免許合格者における女性の割合」と言う折れ線グラフでした。このグラフによると、女性の占める割合は80年代後半からじりじり上昇を続け、2000年あたりでついに30%に到達。そしてこれからも延び続けるだろうと予測できました。これを見た時、ワクワクしましたね。「そのうち’医者の二人に一人が女医さん’の時代がやってくる!」って。しかし

21世紀になってからは30%前半で頭打ち、

のまま10年近くが経過していたのです。明らかに不自然。それまで右肩上がりだったグラフが、いきなり平らになっているのですから。試験の傾向が変わったと言う報道はなく、医師を志望する女子学生が減った、と言う話も聞かない。一体全体なぜなのか。当時の私はそれ以上の判断材料がなかったので、そこで思考停止してました。しかし、心の奥底でずーっと疑問が燻っていました。

その疑問が今回の報道により8年越しで解けた訳です。医師免許以前に医学部入試の時点で女子学生を撥ねていれば、そりゃ女性医師は増えませんわ。

それにしてもなぜ「女性医師は戦力にならないから減らしちゃえ★」という発想がすぐさま出てくるのか。戦力になるように改善策を練ったのか?創意工夫はしたのか?と、問いたくなります。限界まで改善しても無理だった、のなら苦渋の決断と取れますがそうではないのに、あまりにも短絡的です。

そもそも、女性患者が診察で女性医師を希望することも多々ある中、女性医師を減らすという判断をしてしまう。そんな、顧客の要望に応えられない経営陣は、経営者として問題があるのでは?

しかし彼ら経営陣は、毎年やってくる女子受験生をどんな目で見ていたのでしょうか?まさか

「無駄な努力 ご苦労様♠︎」(CV:高橋 広樹)

とでも思っていたのか。まぁ私は医学部とは無関係な人間ですけど、女の端くれ。腹たちますわ、これ。

名簿の問題 分けるか分けないか

私は小中高の12年間で、男女別名簿・男女混合名簿、どちらも経験しました。

小学校入学時は男女別でしたが、当時は特に意識していませんでした。出欠を取る時に男子が先か・女子が先か、で揉めた記憶も特にありません。担任が「今日は男の子からかな?女の子からかな?」と聞いてから、日直(男女各1名ずつ)がジャンケンしたり、「昨日は女子からだったから、今日は男子!」という意見が出たりして決める、というほのぼのしたやり取りを覚えています。

そしていつの間にか、小5位からは男女混合になっていました。「あれ?混ぜるの?」と思いましたが、別に気にした記憶もありません。「これからはこうなるんだ」と思っただけです。その辺りで、「NHK週刊こどもニュース」をまとめた「目からうろこ NHK週刊こどもニュース・スペシャル小学生の大疑問100」という本を読み、「何気ない区別が差別に繋がるという意見もある」ということを知るわけで。世の中表面だけでなく、突っ込んだところまで考えなくてはいけないんだ、色々大変だなぁと思いました。

その後中学校は男女別で、高校では男女混合に戻りました。

12年間の移り変わりを単純にまとめると、別→混合→別→混合となります。そして二度目以降、移り変わる時に意識の上で何か「段差」「断層」の様なものを感じていました。言葉にしづらいのですが。自分自身はもちろん、「学校」という環境自体も変わっていないのに、意識の上で別世界に足を踏み入れた様な。特に中学入学時には、制服やら生徒手帳の「生徒心得」やらのためなのか、変な圧迫感を覚えていました。その後の高校入学時には「あ、’元の世界’に戻ってきた」という感覚がしました。

意識面での影響は一度置いて、単純に機能面でのそれぞれの長短を挙げてみると以下のようになります。

男女別名簿のメリットは

  • クラスの男子・女子の人数がすぐわかる
  • 健康診断の時、自分が何番目かすぐわかる 

逆にデメリットは

  • クラス内に同じ番号の人間が二人いて、ややこしい(例:男子の5番と女子の5番)

ですね。

男女混合名簿のメリットは

  • クラス内にその番号の人間は一人しかいない

デメリットは

  • クラスの男女の人数がすぐに出てこない
  • 健康診断の時、自分が何番目かわからない

ということです。

混合名簿の2番目のデメリットを理由に、混合名簿を廃止しろ!という主張もある様ですが、それは極論というものでしょう。自分の直前にいるのは誰なのか、把握していれば問題ないのですから。むしろ、出席をとるたびに毎度毎度男子が先、という状況が10年以上続く方が、意識の上で悪影響ではないかと思います。現に「いつも男子が先でずるい!」と思っていた人もいる様です。小一の頃の私が気にしていなかったのは、第一に幼くてそこまで頭が回らなかったから、第二にいつも男子が先!にならない様、担任が配慮していたのが大きいのではないかと考えています。

痴漢考

 あれは確か高校二年の時だったか、学年集会で一学年全員(約300人)が体育館に集まった時、ふっと思ったのです。

この場の男子(約150人)のうち、将来何人が痴漢で捕まるのだろう、と

本当に自然にふっと頭に浮かびました。誰かの入れ知恵では当然なく、私は男性憎悪者ではないはず、なのに。

一日数十件の痴漢事件が日本全国で発生しているのだから、将来的に同学年のうち一人二人は捕まってもおかしくないよな、というある意味単純な推測でした。

最近の調査で、「痴漢の大半は普通のひと。フツーに4大卒リーマン、ふっつーの妻子持ち」ということが明らかになりました。つまり、私の考えは極端ではあるものの「当たらずとも遠からず」だったということです。

蛇足:この考えを家人に話したところ、「怖い!怖いよ!黒すぎ!何その考え!イタリアンジョークかよ!」という強烈な反応が返ってきました。そんなに変ですかね?それにイタリアンジョークってこんなんなのでしょうか?

「男女別」時間割の謎

1990年代半ば、我が家に「まんがでわかる!高校生の勉強法」みたいなタイトルの本がありました。当時私は小学校高学年だったんですがね、WHY?んで、その中に「学校の時間割に合わせて、自宅でも時間割を作って勉強しよう」という内容がありまして、一例として時間割が載っていたのですが、その中に意味不明なモノがありました。

それは、学校の土曜日の3・4時間目が(←当時まだ土曜日授業があった)

男子:体育

女子:家庭科

だったのです。

はあ

どういうこった?

とにかく完全に理解不能。なぜ男女で学習内容が違っているのか。小学校では家庭科は男女共に必修だったので、余計に混乱。それにこの時間割からは、何かイヤーなものが滲み出てるのを感じてました。「男はたくましくてナンボ」「女は黙って飯炊きでもしてろ」のような。子供心にもほんのり不快で。「悪意を感じすぎ」と言われたらそれまでですが。

この記事を書くにあたって調べてみると、家庭科の男女共修は、小学校は新学制発足当時1947年からでしたが,中学校は1993年から、高校は1994年からとのこと。きっとこの本の原案が企画された当時は、高校の家庭科は女子のみだったのでこんな内容になったのでしょう。

しかしこの時間割、単に差別的なだけでなく、運動の苦手な男子にとっても酷ですよね。2時間も一体何をするのか。剣道や柔道といった武道をやっていたところが多いらしいですが。それだけで2時間潰すのも大変な気がします。調理実習だったら2時間あっという間なのに…授業というか、苦行か?