口がきけない子の話12  小5の12月の発見2

同時期に、もう一つ気づいたことがあります。それは、

なぜ、先生は私を褒めてくれないのか?

でした。

私が先生の頼みで、Mさんをグループに入れたり、二人組を組んだりするようになって半年経っても、先生は一度も私を褒めてくれなかったのです。

その間、Mさんとトラブルもケンカもなく、当然私がMさんをいじめたこともありません。話し合いに全く参加せず、黙って固まったままのMさんに、少々イラつきながらも、漂う異臭に辟易し時々息を止めながらも、私は嫌味一つ言うことなく、彼女に優しく接していました。たまに不満そうな他のメンバーを抑えながらも、頑張ってグループ学習に取り組んでいました。

もし、先生が「あなたは優しい子ね」やら「いつもありがとうね」だか「富永さんのおかげで先生、とても助かるわ!」とでも言ってくれたら、私はとても嬉しかったでしょう。先生は、私をちゃんと見ててくれてる!私は人の役に立っているんだ!自分のやったことが正当に評価された!という実感が持てて。

しかし、先生は褒めてくれませんでした。「褒める」という行為は、所要時間10秒未満、かつ特別な準備もいりません。何より経費は¥0です。なのに、なぜ?

いや、「褒める」がマイナスに働く場合がある、ということは知っています(例:断れない性格の人が誉め殺しにされて、退路を絶たれる、等)。が、当時の私の置かれた状況は、明らかにそうではなかった。

「お前は褒められなきゃ何もしないのか?」と言われたらそれまでなんですが、全く評価されないのも、嫌なものでした。別に私は、好きでMさんとつるんでいた訳ではないし、彼女と一緒にいてもいいことは何もないのです。なのに、私はなぜこの子と一緒にいるんだろう?毎日がとても虚しかったです。

しかし、自分から先生に「なんで、褒めてくれないんですか?」と質問する気にはなれませんでした。人からの見返りとプラスの評価を露骨に期待するのは、どこかカッコ悪くて浅ましい気がしたのです。何より、そんなこと自分から言うもんじゃないと思っていました。

結局、私は考え方を変えて無理矢理自分を納得させ、上記の不満を封印しました。「半年」じゃなくて「まだ半年」だと。「先生はまだ様子見をしているんだろう。3学期が終わるまで、このことは考えないでおこう」と。要は先送りしたのです。「その頃には事態は好転しているかもしれない。先生だって大人なんだ。色々考えてるさ」とも考えました。次いで、「私はいいことをしてるんだ絶対誰かが見ていてくれる!そのうち正当に評価されるに決まってる!」と、これまた無理矢理自分を鼓舞しました。

さて、結果は、というと

大ハズレ

でした

なぜ、先生は私を褒めてくれないのか?という疑問と不満を混ぜた気持ちは、約1年後、さらに巨大化・深刻化して私を襲うことになるのです。

しかし、私はなぜこんなにも「先生から褒められたい!」と、思っていたのか?改めて考えてみると、どうも元凶はMさんとその親にあった気がします。この人たちは、盛大に私に世話になっておきながら、「ありがとう」の一言すらありませんでした。その分、Mさんのお守りを私に頼んだ、先生に対する期待値が上がってしまったのかもしれません。「世話になっている当人(とその親)がノーリアクションなんだから、そうなるように仕向けた人が責任をとって褒めてくれ(血涙)!」と。

 

 

 

 

 

口がきけない子の話11  小5の12月の発見1

それは小5の12月、私が先生の要請でMさんとグループを組むようになって半年後のこと。その日は何かの授業で、二人組を組みました。私は当然?、Mさんと。そして恙無く授業は進み、学校終了後、私はルンルン気分で下校しました。「今日も、Mさんと特にトラブルを起こすことなく、和やかにグループ学習できたなぁ♪、自分、よくできたなぁ」って。

でもその瞬間、唐突に気づいてしまったのです。

私、全然楽しくない!!

まるで、雷に打たれたような衝撃でしたよ。そうです、Mさんとのグループ学習自体は、特にケンカも何もなく和やかに進行していたのです。しかし、二人組を組んでいた当の私は、まーったく楽しくなかった。

理由は多分、Mさんとのやりとり(注:会話ではない)にあります。私とMさんとのやりとりを、記憶の限り忠実に文字起こししてみると、以下のような感じ。↓

私:Mさん、これやってみようか?…よくできたねー!んじゃ、こっちもやってみようか?…上手いねー!次はこうしてみる?

Mさん:………(←黙りこくってうなづいているだけ)

…明らかに対等な友人同士のやりとりじゃないんですよね、私が一方的に話しているだけで。Mさんは、嫌がっているような感じはしなかったのですが、ひたすら黙って固まっている。例えるなら、「5歳児と、そのご機嫌取りをしている幼稚園の先生という感じでした。私は、「友人同士の和気藹々とした会話」・「意気投合した連続したやりとり」・「建設的な議論」がしたかったのですが、Mさんと一緒では、それは無理だったのです。

「Mさんと組んでも楽しくない」ということに気づいてからは、彼女に積極的に話しかけるのをやめました。それまでは前述したように、Mさんに楽しくグループ学習してほしくて、たくさん話しかけたりなんだりしてたんですがね。もう必要最低限のことしか話さなくなりました。まぁ、「会話」が「業務連絡になったといいますか。だってねぇ、どんなに気を使っても、Mさんからは、たまーにうなづきが返って来るだけで、基本無表情・無反応なんですもの。とにかく虚しくてたまらなかった。私のやってることって意味あるの?って。

でも、こんなんでも特に不都合なくグループ学習は成立するんですよ。四人組はもちろんのこと、二人組でも。Mさんが不満そうな振る舞いをする訳でなし、先生が何かいってくる訳でなし。しかし、グループ学習といっても元々、私とMさんの関係は、

  • 私→リーダーシップをとって、9割方作業して完成させる
  • Mさん→ほとんど何もしない。ただ固まっているだけ

というものでした。…ってこれ、グループ学習なのか?

 

 

口がきけない子の話10 喃語

この「口がきけない子の話」シリーズの「1」にて、「Mさんが人語を話しているのを聞いた事は、一度もない」と書きました。なぜ「人語」、とわざわざ書いたのか?といいますと、彼女はそれ以外だったら時々口にしていたからです。独り言で。んじゃ、何語を話してたのか?といいますと、それは

喃 語

要は赤ちゃん言葉ですね。具体的には「アー」・「ウー」と、かなり小さな声でしたが発していました。言葉、というより音声、というべきか。特に意味のある言葉は発していませんでした。私の感想は、

「へぇ、そんな声してるんだ」

というもの。そして

「あぁ、この子は赤ちゃん言葉しか話せないんだな」

と直感。ついで心に浮かんだのは、

「頭の中も赤ちゃんなんだろうか?」

という疑問。「声は出せるが言葉にならない」理由が、「言葉を理解していない」以外に思いつかなかったのです(これを補強したのが例の20点のテスト)。私にとって、Mさんの独り言は、彼女の「知的障害疑惑」を濃くする作用しかもたらさなかった模様です。結果として、彼女に話しかけるのがますます億劫になってしまいました。乳児並みの頭の人に、あれこれ話しかける意味あんのか?みたいな。私が沢山話しかけたら、Mさんはもしかしたら嬉しかったのかもしれません。が、別に私は好きでMさんとつるんでいるわけではなかったので、進んで彼女のご機嫌取りをする気にはなれませんでした。それよりも、課題を仕上げる方が重要でした。なにせMさんは、グループ学習の際、さっぱり戦力にならない人。それにMさんに話しかけたとしても、先生はそこを評価してはくれません。

口がきけない人は、周囲から「『あ』って言ってみて ! 」と、しつこく言われることに辟易していることが多いようです。私はこのセリフを言ったことはありません。それは上記の通り、声自体は聞いたことがあったからです。

…「声は出せるが言葉にならない」理由、もう1つありましたね。「話したくないくらい、私のことが嫌い」という理由が。どっちにしても、当時Mさんに積極的に話しかける必要はなかった、ということに変わりはないのですけれど。

口がきけない子の話 9 筆談と手話

さて、口がきけないMさんといつも「まとめ」られ、当然彼女との意思疎通に難儀していた私。そんな私の頭の隅にしょっちゅう浮かんでいたのは、

筆 談

というアイデアでした。Mさんは確かに口がきけません。しかし読み書きはできる(多分)。従って、「Mさんと筆談でコミュニケーションがとれないか?」という考えに至るのは自然な事でした。しかし結局、Mさんと筆談した事は、その後の3年間でただの一度もありません。理由は複数ありますが、最大の理由は「紙がなかったから」です。

筆談の最大の欠点は、筆談用の紙をわざわざ準備しなければいけないという事です。筆談を最も必要としているのは、Mさん本人。当然Mさんや彼女の親が筆談用紙を準備すべきです。しかし、Mさんは絶対持っていないのです(なんでやねん)。しょうがないので周囲の人が準備する羽目になる。んで、それは大抵グループを組まされている私の役割になってしまうのです。でも、当然持ってないので筆談に至らない。私が準備しておけば、スムーズに筆談できたのかもしれません。が、やった事はなかったです。なぜかいっつも忘れてしまっていました。それに

なんで私がそこまでしなくちゃいけないんだ?

という反発が、内心盛大に発生しておりました。単なるクラスメイトなのに、なんで私が?そこまでお膳立てしなくちゃ、意思表示してくれないのか?あんたは何様だ?と。

Mさんとの筆談の必要性が生まれるのは、大抵グループ学習の時です。その時の流れを分かりやすく書くと、以下こんな感じ。

Mさんの考え・意見が知りたい! →筆談しよう!→筆談用の紙(メモ帳等)がない ! (ハタと気付く)→慌てて探すが見つからない→筆談できない→そこで諦めて終了

そもそも私自身Mさんとの筆談の必要性を認めながら、なぜか乗り気ではありませんでした。その理由は、前述したものの他に三つ。第一にMさんの書く字を読みたくなかった。そう、例の「釘を曲げたようなカクカクした字」のことです。なぜかあの字が生理的に受け付けなかったのです。じっと見ていると鳥肌が立ってくるのです。第二に、そもそもMさんとそこまでコミュニケートしたくなかった。私にとって彼女は友達ではありません。「押しつけられた変人」でしかなかった。友情を結ぶ相手ではなく、同情の相手に過ぎない人。そこまでして意思疎通しなくてはいけない重要人物、ではなかったのです。別に筆談しなくても、MさんはYes/Noは首振りで答えます。彼女の意見をわざわざ聞かなくても、それでグループ学習は進むのですから。この方法でMさん本人も特に不満はないようでした。第三に、先生の指示がなかったから。先生は「この子と2人組みを組んであげて?」とは言ってくるものの、「筆談してあげて?」とは言わなかったのです。だからこそ、私は筆談用紙を毎度毎度忘れていたのかもしれませんが。

先ほど「筆談を最も必要としているのは、Mさん本人」と書きましたが、この認識自体が間違っていたのかもしれません。彼女の意見を聞こうとした、私が必要としていただけで。えーっと、つまり、全ては私の独り相撲?ってことですか。なんか虚しいですねぇ。まぁ仮に、私が筆談用紙を用意したとしても、それが吉と出たかどうかは疑問です。「うちの子を障害者扱いするな! 」とMさんの親が怒鳴り込んでくる可能性もあった訳で。

蛇足:筆談に限らず、Mさんが周囲と交流したがっているような様子は、全くありませんでした。「口で話せないなら手で話したらどうか?」と、手話で話しかけようと考えた事もあるのですが、私は手話を知らなかったので無理でした。手話を自習してやってみればよかったのですが、Mさんのためにそこまでする気にはなれなかったんですよね。

口がきけない子の話 8 理由を考えてみた2

引き続き「なぜMさんは口がきけないのか?」を分析した記事です。もう一度前回の「理由」リストを載せておきます。

  1. 喉が痛くて話せない
  2. 耳が聞こえない
  3. 生まれつき声帯がない
  4. 言葉が理解できない(要は知的障害)
  5. (知的以外の)何かの障害
  6. 極度の恥ずかしがり屋・人見知り
  7. 幼稚園の頃、ひどいイジメに遭い言葉を失った
  8. 願掛けをしている
  9. 家の中でいつも邪険にされていた結果、話せなくなった
  10. 私が嫌い
  11. ぶりっ子している

上記のうち、7.までを前回分析した結果、5.以外は可能性が低いという結論が出ました。

さて8.です。「願掛けとは何ぞや?」って感じですが、以前書いた「童話に出てくる口がきけない人」から出た発想です。「童話に出てくる口がきけない人」って大抵、神様や妖精に願いごとをしていたり、何か契約をしていたりするんですよね。「●年間口をきかない代わりに、どうか私の願いを叶えてください !」の様に。だからMさんも何か願い事でもしているのだろうか、と思ったのです。「学校では絶対口をきかないので、私の願いを叶えてくださいみたいに。しかし、小学校高学年になってまで、そんなメルヘン頭だとはちょっと考えづらい。(例:サンタの存在を信じる6年生はほぼ0)これについては私、9割は否定的に見ていたのですが、たまに1割位は信じてしまう所があり、たまに「あんた、いい歳してどんだけメルヘンだよ!」と内心激怒していました。

次の9.は、私が一番可能性が高いと思っていた、いわば本丸です。以前の記事でも書きましたが、Mさんはひたすら放置されていた人です。なので、家庭内でも日常的に放置されているのだろう、と推測するのは自然なことでした。例えば、何か発言しても返事をしてもらえなかったり、テキトーにあしらわれたり。毎日毎日そんな扱いをされているうちに、萎縮して話せなくなってしまったのだろう、と。(精神的虐待か?)もう、Mさんの両親は本当にどうしようもない人達なんだな、と子供心に怒りつつ呆れていました。とは言っても、子供がよその大人相手にできる事など碌にないため、その感情はMさんに向けるしかありませんでした。こうしてますますMさんが嫌いになるのです。

10.を考えつくのは、ある意味当然でしょう。Mさんは私と口をきかない・目も合わせない→その位私の事が嫌いなんだろう、と。(その割に、先生ともクラスの皆とも口をきかない、先生に手を引かれるまま私の所へやってくるのは変ですが)なのに、いつも私の金魚の糞をやっているのか。一瞬疑問に思いましたが、解答はすぐに見つかりました。それはおそらく私を利用するため。Mさんは自分の成績が悪いのを誤魔化すために、成績の良い私にはりついているのだろう、直感しました。(グループ学習は連帯責任、グループの皆が同じ成績、なので)

全ての理由の中で一番腹が立ちましたね。嫌いだったら側に来るなきちんと「私、富永さんと同じグループ、嫌です」って自己主張しろって。

でも、面と向かって聞く勇気はありませんでしたorz。もし聞いてみて「うん、私も富永さんが嫌い★でも一緒にいると、あなたが私の分まで課題を仕上げてくれて、私の頭が悪いの誤魔化せるから、はりついて利用してるの☆」なんて笑顔で言われた日にゃ、立ち直れませんよ。聞いたらうだうだ悩まなくて済んだかもしれませんが。えぇ、私はチキンです(泣)。

「無視された」と思ったことはないですが、これは当時の私の頭には「無視」という概念がなかっただけで、実質同じことですかね。

最後の11.は、いつもモジモジしているMさんを見ていて自然と思いつきました。てっきりMさんは、

「内気で恥ずかしがり屋のカワイイ女の子」をフルパワーでアピールして、モテモテ街道を驀進してやるぜ!!

という計画を進行中なのかと。ちなみにMさん、はっきり言って全くモテない人でした。(モテ以前に友達がいない)まぁ、肌がボロボロで年中異臭を放っているのだから、当然っちゃ当然。モテたいんなら、ぶりっ子するよりも先に風呂に入ってこいよ、と私内心毒づいておりました。この可能性は否定できない、そこそこあり得る、と考えていました。

結果私は、「Mさんが口をきかない理由」は、基本5,9,10の混成かな?と総合的に判断しました。たまに、4,8,11 を強烈に信じてしまう、という感じです。

口がきけない子の話 6 慈悲か見下しか

Mさんとセットにされていた私は、彼女に対して同情と妙な義務感をもっていた、と以前書きました。そしてうんざりしながらも、担任の頼みを断れなかったとも。断れなかった理由として、その二つの感情が変な方向に影響し合った結果、もあったかもしれないとも思えます。そして、「変な方向に影響し合った」結果として生まれたのは、

私にできることをしよう!

という決意でした。一見何の問題もない決意です。が、そこに至るまでの思考回路が小学生にしてはややアレなものでした。当時の思考を簡単にまとめたのが、以下の段落の内容です。

この子は親から愛されない可哀想な子なんだ。 私は親じゃないから愛はあげられない。でもクラスメートとして優しくすることはできる。たくさん優しくしてあげよう。だって可哀想じゃない!2人組みを組んであげよう!グループに入れてあげよう!私にできることを目一杯しよう!

慈悲なんだか、見下しなんだか。よくわからない考えでした。自分としては当然!慈悲のつもりでした。

また、同情と妙な義務感以外の感情も一応持っていました。その一つは

ホントにこんな人いるんだ!

という感動?でした。こんな人、というのは「耳が聞こえているのに喋らない人」のこと。童話などでたまに「耳が聞こえているのに喋らない人」が登場します。が、幼少期の私は「そんな人っているのか?」と半信半疑でした。聞こえているのに喋らない、ということが想像できなかったのです。しかし、今現在そんな人が目の前にいる!!ホントにいるよ!!と。まるで珍獣を発見した様な感覚でした。

もう一つは

なんて頑固な、強情な子なんだろう!

という驚き。宥めても透かしてもぜーったいに口をきかない、その姿勢に対してでした。学校生活において「口をきかないメリット」なんて全くないのに、なぜそこまで意地を張るのかが全然わからない。驚くやら呆れるやら。

さて、あらゆる意味で普通でないMさん。に対してこの子は障害児なのか?という疑問は当然持っていました(月に一度は心に浮かんでいた)。しかし、一体何の障害なのか。「耳が聞こえているのに喋らない障害」なんて果たしてあるのか。小学生には見当もつきません。周囲に聞くことすらできませんでした。何か怒られそうな気がして。そもそも誰にきけば良いのかがわからない。そして、Mさんの親も学校も何も言ってこない。親が何も言ってこない以上、外野としては何もできない。当然Mさんが特殊学級に移動することもない。彼女を特別扱いすることはできないし、どんな配慮をすればいいのかもわからない。もうそのまま放置するしかありませんでした。

Mさんは、障害児なのか健常児なのかよくわからない謎の人、「普通でないのに普通学級に通っている」超ド級の変人でした。

口がきけない子の話 5 親への疑念1

小5の6月のグループ学習をきっかけに、いつもMさんとセットにされる様になってしまった私。ほぼ毎日その子と向き合っていた中で内心、ある疑問が膨らんでいきました。前回も少し書きましたが、それは、

この子の親はどういう人なのか?

ということ。まぁ、当然ですわな。欠点のカタマリの様な我が子を、ひたすら放置している(様に見える)のですから。普通子供は、学校での出来事を家で家族に話すもの。親もそれを聞いてあれこれ動くもの、だと思っていたのですが、M家では違ったのでしょうか?Mさんが家族とも話せない人だったら、そうかもしれません。でもその可能性は低いでしょう(理由は後々書きます)。

Mさんの抱える問題は

  1. 口がきけない
  2. 異臭を放つ
  3. 勉強ができない
  4. 肌がボロボロ
  5. 字がかなりの癖字
  6. 異常な程痩せている

の6つ。まず、1.は可視化出来ないので気づくのが遅れた、としても後半の4つは目に見える訳です。しかも一つ一つそれなりに対処法があるのに、小学1年時から何一つ改善していない、というのはどう見ても変でした。Mさんの親がいい病院を探している、という話は聞かなかったし(病院の評判なんて、おかんネットで即出回るものです)、いい塾や家庭教師を探している、という話もこれまたナシ。子供心に、我が子に関心がないのか?と思うレベルでした。

さて、2.はどうか。やっぱり可視化できない、とはいえ事は「ニオイ」です。なぜ気付かない?なぜ異臭を放つ我が子を(少なくとも半年以上)放置するのか。一家全員が鼻の病気なのか、全員臭っていて気づかないのか。それとも異臭をフェロモンだと勘違いしているのか。私はてっきり

「M家は風呂無しアパートに住んでいて、銭湯に行くお金もない可哀想な貧乏人」

だと思ってしまいましたね。これがまた、「一家全員臭いから、当然Mさんが臭っていることに気づかず、父親も臭っているから出世できず、貧乏暮らしのままなのか!」と、脳内で辻褄合いまくり。なんでこんな発想になったのか?と言いますと、当時読んでいた本の影響でしょうね。「昔の暮らし」みたいな本で「入浴、というのはキレイな水を何十リットルも沸かして使う、とても贅沢なことだった」と書かれていたので。M家はそんな「贅沢」が許されない家なんだな、きっとガス代も水道代も払えないのだろう、と早合点。

「Mさんちは貧乏だった、という結論が出ると、もう彼女に対しては表向き同情するしかありません。そしてこの強烈な結論でもって、その他5つの問題が解決されない理由すら説明ができてしまうのです。「貧乏だから」・「教育相談にも連れて行ってもらえないんだな」「塾も通信添削もお習字もやらせてもらえないんだな」「病院にも連れて行ってもらえないんだな」「まともにご飯ももらえないんだな」と。

「病院にも〜」というのも前述の本の影響ですね。「医者にかかるのはお金がかかった」と書いてあったので。(当時は国民皆保険、なんて知りませんでした)

そんなこんなで、小5の3学期末の時点で、私は気がついたらMさんとセットでクラスから孤立していました。ノーブレス・オブリージュもどきの義務感と前述の同情とで、なんとか自分を奮い立たせていましたが、この頃から漠然とした不満としんどさを感じてるようになっていました。(当時はあまり自覚してなかったのですが)

1.についてはそれから延々と、なんと中学卒業時まで悩み続け、イラつき続けることになります…

蛇足:Mさんには、2歳上の姉がいたらしいのですが、私はこの人に会ったことがありません。どんな人かわかっていれば、耐えるだけでなくて、もう少しまともに対処ができたかも、と考えてしまいます。

口がきけない子の話 4 確信

小学5年も3学期に入り、またしてもグループ学習の時、先生はMさんを私のグループに連れてきました。「二度ある事は三度ある」のことわざ通りに。鈍チンの私はここでようやっと気づくわけです。

「これは絶対に偶然じゃない。明らかに、先生はこの子を私に押し付けている」

と。正直に心の声を書いてしまうと「うわぁ……またかよ…」という明らかなうんざりモードが大半でした。実は前回の2度のグループ学習の他にも、授業で「(好きな人同士)2人組を作りましょう」という時に、Mさんと組んだことが何度かあったんですよね。理由は当然、先生が連れてきたから! 「なんで私は、この子といつも一緒なんだろう?」と、疑問が芽生え出した所でして。状況的に、Mさんの意思だとは考えづらかったのです。なにせMさんは、先生とも話せなかったのですから。

うんざりしてるなら断れよ、と思われるかもしれませんが、断れませんでした(泣)。理由は以下の3つです。

  1. 先生が巧妙
  2. 私が「前向きな勘違い」をしてしまった
  3. 私がMさんに同情してしまった

と言っても、2. と3.が主になりますが。

まず、1.の理由。先生がMさんをわたしのグループに連れて来る時は、必ずその他全てのグループに断られた後だったのです。その状態で断わるなんて、とてもとても。Mさんの行く所がなくなってしまって、こちらがいかにも悪人、になってしまいます。

次に2. の理由。「前向きな勘違い」とはなんぞや?というと、私の頭に一瞬浮かんだ、以下の様な考えのことです。

「私は心優しい優等生だから、先生から信頼されているんだ!!よーし!頑張っちゃうぞー!!」

とorz。実にオメデタイ。しかも「心優しい優等生」って、自分で言うなって感じです。が、当時の私はクラスでは成績上位者。特に周囲とトラブルを起こしたこともない。「心優しい優等生」と言う単語が、そこそこマッチしていました(はず)。うんざりしながらも、私って頼りにされている!期待されてる!と多少の誇らしさを感じて引き受けてしまいました。

で、大半はうんざりモードで始まったグループ学習。私がMさんに話しかける頻度は、明らかに減りました。幾ら話しかけてもMさんは、ひたすらだんまり状態。もう、「耳聞こえないのか?」と疑うレベル。どころかちょっと話しかけると、ビクッと硬直してしまう。そして話しかければ話しかけるほど、下を向いて小さくなってしまうのです。なんだかこちらが悪い事をしているみたいで、実に気まずい。当然Mさんと一緒にいてもぜーんぜん楽しくない。Mさん本人も、私達といてもあまり楽しそうに見えませんでした。

その他の面でもMさんは、相変わらずでした(悪い意味で)。成績は低空飛行。授業中教科書の読みが当たっても、そちらの方向からは何も聞こえてこない。恥ずかしがり屋にも程がある、というかいつまで恥ずかしがってんだ?と苛立ちすら覚えましたね。肌も小1の頃と同様、ボロボロのまんま、顔が赤と白のホルスタイン状態になってました。(赤→炎症を起こしている所・白→乾燥して粉を吹いている所)私も少しよくなったとは言えアトピー体質。なのでそれが辛い・酷い状態なのはよくわかる。で、彼女を見ているとこっちまで痒くなってしまうのです。それを避けるため、出来るだけ彼女を凝視しないことを心がける様になりました。痒くなっても、Mさんが薬代を払ってくれるわけではないので。そして、真冬なのに臭う。その上Mさんは、異常なほどの痩せ型。単に痩せているだけ、なら別に気になりませんが、ここまで欠点が揃い踏みだと、どうしても穿った目で見てしまいます。「この子の家庭ってどうなってんの?何で欠点だらけのまま放置されてるの?」と。

これが3. の「同情」の理由です。欠点のカタマリの様なMさんを、突き放すなんて酷いことはできませんでした。だって私は「先生から信頼され、期待されている」・「心優しい優等生」。期待に応えなければ!という使命感?と、落ちこぼれには優しくしなくては!と言う謎の義務感?の様なものが、私を縛っていました。ノーブレス・オブリージュの亜種みたいなものでしょうか。

口がきけない子の話 3 変化

さて、小学5年生も二学期に入った9月下旬、私はまたグループ学習でMさんと同じグループになりました。いきさつは前回とほぼ同じ。「好きな人同士」で、私が友人数名とグループを組んでいた所に、先生がやはりあぶれていたMさんを連れてきたのです。

「この子を入れてあげてくれる?」

と。この時は「えっ?またなの?」と、ちょっと戸惑いました。(その時も私はリーダーだった)でもまだ2回目、これは偶然の範囲だろう、と無理矢理自分を納得させて受け入れました。しかし同時に、一瞬嫌な予感がしたのも事実です。「二度ある事は三度ある」、このことわざが脳裏に浮かびました。

そしてグループ学習が始まったのですが、やはりMさんは全く口をきかない。これにはかなり戸惑い、困りました。グループ学習とは皆で話し合って行うものなのに、話し合い自体が成立しない場合どうやって進めたらいいのでしょうか。

質問、そんなに難しかった?それとも私はそんなに怖い人間なの?

とにかく、彼女にも楽しくグループ学習して欲しかったので、個人的にあれこれ工夫してみました。例えば以下のように。

  • 質問を、Yes/Noで答えられる簡単なものにする
  • 何かにつけ、しょっちゅう笑いかける
  • 一発ギャグをかます

等々。でも、彼女は一言も発さないのです。流石にYes/Noは、首振りで答えてましたが。何となく嬉しそうな雰囲気はあったのですが、彼女は大抵下を向いていたので正確な表情が読めず、「喜んでいる」とも断定できない。しかし、Mさんを放ったらかしにするわけにもいかないので、そこそこ話しかけるのですが、いくら話しかけても返ってくるのは9割方沈黙(1割は首振り)。毎度毎度、暖簾に腕押し・糠に釘状態。私や周囲が幾ら工夫しても、それが殆ど報われないのです。虚しいやら困るやら。

原稿の清書を頼もうにも、彼女の書く字は例の「釘を曲げた様なカクカク文字」。とてもじゃないが、頼めるものではありませんでした。

そして、梅雨が終わっていたにも関わらず

Mさんは相変わらず臭っていました。

そして、やっぱり周囲の誰も指摘しない。私もその一人でしたが、それは「子供が臭うのは親の責任」だと思っていたため。Mさんを責めてもどうしようもない、悪いのはMさんの親だ、と考えていたからです。本当に臭い人に対して、面と向かって「臭い!」とはなかなか言えないもの。私にできることは、先生が3者面談等でMさんの親に指摘してくれることを期待する事と、Mさんの近くに寄る際は息を止める事、位でした。で、先生はMさんから漂う異臭に気付いていたのか?というと、「多分、気付いていた」と思います。先生はかなりMさんの近くに寄っていましたから。背後からMさんの両肩に手を置いて、「ねっ!」みたいな事もやってましたし。

こうして、私のMさんに対する印象は、確実に変わって行きました。それも悪い方に。「人畜無害な変人」から「グループ学習のお荷物」へと。

口がきけない子の話 2 再会

小学5年生に進級した私は、再びMさんと同じクラスになりました。が、4月の時点では特に気にしてませんでした。「あの子とまた同じクラスなんだ〜」位で。というのも、当時の私の関心は、ある二人に集中していたため。一人は重複障害の男子Yくん(彼については後に色々書く予定)。もう一人は3年時に転校してきたHさん、という女子(この子についても、すごいエピソードが沢山あります)。この二人はどんな人なんだ?同じクラスになったらどうなるんだ?と少し不安だったのです。ちなみに担任は「中華思想と出会った日」の記事に登場した、グループ学習&中国&韓国大好き❤️なN先生でした。

転機は6月中旬のこと。何かのグループ学習の時でした。私が友人5・6名とグループを組んでいた所、先生があぶれていたMさんを連れてきたのです。(グループ分けは’好きな人同士’方式)

「この子を入れてあげてくれる?」

と。リーダーだった私は「いいですよー」と即答。まぁ、同じクラスなんだからそんなこともあるだろう、と軽ーく考えていたので。彼女が「勉強のできない子」だとはわかっていましたが、この人数で手分けすればなんとかなるだろう、と楽天的に考えていました。しかし、この時私はグループ全員の同意を取り忘れた気がします。もしかしたらその他メンバーから「勝手な人」だと思われたかもしれません。

で、そのメンバーでグループ学習を開始してまず驚いたのが、Mさんが全く喋らないこと。うんともすんとも言わないのです。意思表示は首振りのみ。どころかずっと下を向いていて、ろくに視線すら合わせてくれない。なぜ?どうして?と、かなり戸惑いましたが「きっとかなりの恥ずかしがり屋なんだな、相当緊張してるんだろうな」と思い、「そのうち慣れたら喋ってくれるだろう」と、時間の経過に任せる事にしました。

むしろ閉口したのは彼女の身体から漂う異臭でした。何というか、

汗まみれのTシャツを3日くらい発酵させたような臭い

をMさんは全身から放っていたのです。気付いた時はとにかく衝撃!でしたね。「何だ!?このニオイは!?」と。しかし、周囲の誰も反応しない。かと言って自分から「何か臭わない?」と切り出すこともできず、ただ黙々とグループ学習を進める他ありませんでした。「梅雨時で蒸れてるんだから仕方ない。梅雨が終われば何とかなるだろう」と微かな希望を持ちながら。そんなこんなでしたが、何とか皆(Mさん以外のメンバー)で話し合い、成果をまとめ、約3週間後にグループ学習を無事に終了させることができました。

しかし、「ニオイ」とはダイレクトに脳に届くもの。このグループ学習が終わる頃には、「Mさんの近くに寄らざるを得ない時は、息を止める」という習慣がすっかり身についていました。トホホ。