「岩月謙司」を振り返る7 本を買わなかった訳3

さて、今のところコンスタントに更新中の岩月シリーズ(←この命名でいいのか?)第7回・本を買わなかった訳第3回です。20年近く前の騒動を今更?と自分でも疑問に思いますが、自分の書きたい!に忠実にいこうと思います。

理由6 著者の言動が矛盾している

具体的にいうと、やってる事がどう見てもカウンセリング」なのに、「私はカウンセラーではない、だからカウンセリングはしない」と書いていることです(その他にも私は精神科医・臨床心理士ではないとも表記有り)。じゃ、相談者とのやり取りはなんなんだというと、「茶飲み話・井戸端会議」だというのです。この姿勢が、立ち読み当初から疑問でした。どうしてこんなに往生際が悪いのだろう、見え透いたウソをつくのだろうと(相談者と岩月とのやり取りを読み返してみると、カウンセリングにしか見えない)。当時の自分なりの予測は、多分「保険」なんだろう、でした。「カウンセリングを受けたけど、効果がない」と苦情がきても、「私はカウンセラーじゃない、だから効果がなくても苦情は受け付けない」と突っぱねるための。にしても、ここまでしつこく繰り返すのは気になりました。

それに、本のあとがきには「手紙に返事がかけない・手紙は送り返している」等書いてありますが、岩月は研究室を訪れた相談者にお引き取りを願ったりはしてないのです。そのまま「相談」にのっています。なんなんでしょう、この違いは。この描写から推測できるのは、手紙を送り返している云々はポーズで、本当は返信したり相談に乗ったりしているのでは?ということ。そんな誤解を与えかねない記述です。いや、それを狙ってわざとこんな表記にしていた可能性すらあります。

一連の岩月記事を書くための下調べとして、ネット検索をかけたところ、なんと「カウンセラーの岩月先生」と紹介しているブログを発見してしまいました。…違うよ、岩月はカウンセラーじゃないよ、本人がそう明言しているのにも関わらず、カウンセリングしまくってたインチキ野郎だよ…(書いていたのは、岩月ブームが記憶に残っていない20代前半の人のようでした)

理由7 性的虐待についての関わり方が変

岩月は、児童性的虐待についてやたらと詳しいのに、被害者支援や防止活動等に携わっていないんですよね。作中で「AV並みのことをされている子もいる」等書いているのに、被害者のために何か動いた形跡はナシ。(前項で指摘したように、本人自ら「カウンセリングはしない」と明言)「こんなに酷い事がおこなわれている! 」のならば、大々的に世間に告発し、警察・弁護士・児童相談所等と連携して、被害者を救うべく動く。それが社会正義というものではないですか。しかし、岩月はショッキングな内容を羅列し、読者に衝撃を与えるだけで終わっているのです。これは「買わなかった理由2.」の「問題点を指摘はするが解決策を明示しない姿勢」、まんまです。岩月の著作全体を貫くスタイルが、ここでも現れているということです。これが、実に不可解でした。おまけに露悪趣味。「俺は、こんな事も知っている(聞き出せた)んだぞ!」と、踏ん反り返っているっつーか。それに、このスタイルでは被害者(相談者)が置き去りです。苦しい記憶を吐き出した相談者の立場は?彼女たちは、読者に衝撃を与えるための小道具ですか?

そもそも、言葉の選択もおかしい。著作中に「児童性的虐待」という単語は、確か使われていなかった気がします。代わりに使われていたのが「父のセクハラ」・「(性的)いたずら」という言葉。…なんと言いますか、「児童性的虐待」に比べるとライトな表現が使われていました。(セクハラの実態がライトということではなく、単純に語感の問題です)これが当時からほんのり不快でした。岩月は、「女の味方」という風に振舞っているのに、なんでこんな被害矮小化とも取れる表現をするのだろうと。いや、実際は敵だった訳ですが。

投稿者: 管理人富永

関東在住。気がついたらアラフォー。女性。

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