さて、前回に引き続き岩月本を買わなかった訳・第2弾でございます。今回は理由4.と5.です。
理由4 時々、意味不明な文がある
岩月本に、これまた頻出する文章として「あなたもうれしい、私もうれしい」という文章があります。パッと見、問題ナシ。というより普通にいいことを、ほのぼのと表現した文に思えます。しかし、私はこの文の説明が全く理解できなかったのです。
「相手になりふりかまわず自分の好きなことをすれば、相手に気を使う必要がなくなり、あなたもうれしい、私もうれしい、という状況が出現する」
ということらしいのですが、この説明が、何回読んでも意味不明。「相手になりふりかまわず自分の好きなことをすれば」と「相手に気を使う必要がなくなり」が、どう考えても繋がらないんですよね。私の理解力が足りないのか?と思いつつ、注意して何度も読んでみても、やっぱり繋がらない、わからない。より先鋭化した文として「究極の利己が、究極の利他になる」というのもありました(説明もほぼ同じ)。これも同じくわからない。
上記の二つの文の説明として、例示されていたのが、ピアニストの例え。「ピアニストはピアノを弾くのが好き→どんどんピアノを弾く→聴衆はいい気持ちになる→ピアニストは嬉しくなってもっとピアノを弾く」という流れのようです。この部分だけ読むと「確かにそうだ」と、一瞬納得できます。が、それ以外にどんな状況で「あなたもうれしい、私もうれしい」が成立するのか?と考えると、全く頭に浮かばない。例えば、昨今話題の撮り鉄の皆様。彼らが「相手になりふりかまわず自分の好きなこと(いい写真を撮ること)」をした結果、どうなったか?というと、周辺住民とのトラブルが発生したり、鉄道会社が損害を受けたりした訳で。「相手に気を使う必要が〜」以下の状況は全く成立しません。「あなたもうれしい、私もうれしい」が成立するのは、相当限られた状況だけです。「究極の利己が、究極の利他になる」に至っては、どうみても無理でしょう。
にも関わらず、上記の2つの文はしょっちゅう出てきます。しかも、さも成立して当たり前!の様な感じで。まるっきり意味不明なんですけど。なんだか、わかったようなわからんような、意味不明な理屈を丸飲みさせられているような不快感・消化不良感が酷く、それが嫌で、岩月本とは距離を置くに至りました。
理由5 「女は〜」という文章が時々不快
岩月本には「女(性)は〜」という文章も、やたらとたくさん出てきます。単純に、「だから女はダメなんだ」というニュアンスで使われてはいないのですが、何故だかこれらの文章群は、時々不快なのです(少なくとも私にとっては)。いくつか取り上げてみますと、
- 女性は(中略)男性が英雄体験を通して得る智恵を持つことはむずかしい
- 女性は決断することが苦手
- 女性のカンは、あくまでもその女性が興味を持っているものに限られる
- 女性は男性の応援団になるという方法で組織を維持してきた
などなど。私にとって一番不快だったのは、4.でした。「女は男を通してでなければ、間接的でなければ、社会参加できない半人前の未熟者」だとレッテルを貼られた気がしたのです。その昔、女性参政権が認められなかった理由の一つとして、「女の利権は男(父・夫)の利益に含まれるから女に参政権は無用」というものがあったらしいのですが、あたかもそれを正当化する様な不快な理屈。
1.2.は、事実を述べているように見えて女を見下していますし、そもそもデータも何も例示されていませんでした。3.からは、どうも女をリスペクトしている振りをしながら、ほんのり見下している感が透けて見えてきませんか?こんな文章は他にも複数ありまして、読んでいて地味に不快で読めなくなっていました。
あなたもうれしい、私もうれしい
これは、性交渉の事です。岩月謙司は、女性相談者との性交渉を、隠喩と共に著作に書いているのです
軍曹さん、コメントありがとうございます。
じっくり読み込んでいれば、当時から見抜けたかもしれないのですが、当時は岩月出版ラッシュ
とも言える状況で、そんな余裕はありませんでした。世間知らずの小娘でもありましたし。
それに本文中にも書いた事ですが、ほのぼのとした字面でもって煙に巻かれてしまい、思考停止
の状態でした。
従って当時の感想は、「訳わからん不快な理屈を振りまわすな!」でしかなかったです。