読書ノートの思い出

小学校高学年のある日、父から「読書ノートをつけなさい」と言われたことがあります。読書好きだが、読みっぱなしの娘に対して、何か思うところがあったのかもしれません。当時特に反対する理由もなかったので「ま、そんくらいならいっか」と読書ノートをつけることにしました。ちなみに読書ノートは、市販のキャラクターノートに父が線を引いて、書名・著者・出版社の欄を作った自作モノです。

しかしこれはまあ、はっきり言って

大 失 敗

でした。第一に、もうとにかく面倒臭いのです。本を読んだら、ノートに書かなくてはいけないのですから。当時の私は児童書ならかなり早く読めたため、その分書く頻度が増える。というわけで、私の脳内では

読むのは楽しいのだけれど、書くのはイヤ→読みたいんだけど書きたくない

→書きたくないから読まない→でも、読みたい!→最初に戻る

の堂々巡りになってしまい、何も手につかないままイライラしてその場から動けなくなり、結果時間を無駄にしてしまうことが多発しました。

第二に、とにかく書きづらいのです。なぜなら記入欄が狭いから。(これは完全に父の責任)本が挿絵付きだったりすると、「著者」の記入欄に「作:〇〇 △△ 絵:□□ ××」と書かなくてはいけないのですが、そのスペースがギリギリ。特に翻訳物だと文字数が増える上に、訳者まで書かなくてはいけない。当然書ききれません。(例としては作:アストリッド・リンドグレーン 訳:下村隆一、みたいな感じ)

私は当時から学習漫画をよく読んでいたのですが、これが一番の難敵でした。学習漫画には「作者」が複数いるのです。大抵「原作・漫画・監修」と3人いるんですが、やはりスペースに収まりきらない。当時は「原作・漫画・監修」の意味すらわかってなかったので、書き写すのが苦痛でした。しかも「監修」はほとんどが大学の偉い先生で、名前に使われている漢字が難しくて書くのが面倒臭く、場合によっては書けなかったり。(国語の成績が良かったとはいえ、所詮小学生でした)

そもそも、どんな本をノートに書けばいいのか。初回読みの本しか書いてはいけないのか、同じ本を何度も読み返した場合は、その都度書くべきなのか。わからない。父に聞けばよかったんですが、なぜか毎度毎度聞きそびれて、いつもイライラしていました。

以上の理由で、じきに読書ノートには、ミミズののたくったような平仮名での殴り書きや、「〃」の記号が並ぶ状態になり、最終的には放置されました(爆)父は何も言いませんでした。ああ良かった。しかし、父の目的はなんだったのか。いまだによくわかりません。

2年ほど前、図書館から借りてきた読書術の本に「読書ノートはつけるな。面倒くさくて続かないから」と書いてありました。ええ、仰る通りで。もう首がもげるほど頷きましたね。私にとっては、百害あって一利なし。危うく読書が嫌いになりかけました。「読みたいんだけど書きたくない!読みたいんだけど書きたくない!」の状態で動けない苦しさは、もう二度と味わいたくないです。

投稿者: 管理人富永

関東在住。気がついたらアラフォー。女性。

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