空飛ぶ顔だけの〇〇!?

天使にも階級がある、ということはいつのまにか知っていました。多分30歳くらいまでには。ジャンル問わず本を乱読してきた成果でしょうか。何でもぜんぶで3階級9つの階級があるそうで。「天使」ガブリエルが下から2番目で、実はそんなに偉くない、というのは意外でしたね。偉い天使は、人間如きには関わらないらしいです。

で、「はじめてのルーブル 中野京子 集英社(現在は文庫)」を読んでいて衝撃だったのが、一番偉〜い第一階級の天使たちの姿。なんと

頭部に直接翼が生えている

というものらしい。つまり頭だけがパタパタ飛び回っている、という姿なのです。一瞬置いて出た感想は、

それって飛頭蛮!?

でした。(飛頭蛮とは、夜になると頭部だけが胴体から離れて飛び回る妖怪。中国由来。詳しくはこちらをどうぞ)著者は「えらく見えなくて困る」と書いてましたが、私の感想は「えらい、えらくない」以前の「妖怪みたい」というものでした。だって、頭だけが飛び回るんですよ!一瞬ギョッとしませんか?まぁ、一異教徒の取るに足らない感想に過ぎませんが。

神聖なのか、不気味なのか。「普通でないもの」をどう位置付けるかは、+か−かに分かれるのが普通とは言え、ここまで両極端なのかと東西の感覚の違いに驚きます。スペインの画家・ムリーリョの描く顔だけ天使は、愛らしい方だと思いますが。

蛇足:飛頭蛮についてもっと情報が欲しい方は、マンガ「地獄先生ぬ〜ベ〜」をおすすめします。かなりインパクトがありますので、少々注意。

障害詐欺2 佐村河内騒動

さて、今回は2014年2月に発覚した「全聾の作曲家 佐村河内守 ゴーストライター問題」について。もう6年近く前になるのか、としみじみ思います。

実を言うと私、週刊文春の広告を見るまで、この人を全く知りませんでした。なんでもこの人は世間で話題の人物、クラッシックに縁遠い人にもブームを巻き起こしていた、業界の有名人だったらしいのですが。私はあまりテレビを見ないので、知らなかったのです。

しかし以前、広島で行われた国際会議でのコンサートにて「HIROSHIMA」という曲が演奏されたことは、うっすら記憶に残っていました。(調べてみたら、これは2008年9月に行われた、第7回G8下院議長会談での記念コンサートでした)「広島」にて行われる国際会議にて、被曝二世が作曲した「HIROSHIMA」というタイトルの曲が演奏される、という状況は明らかに「あぁ、狙ったな」というものだったので。が、作曲した人についてはてんで興味がなかったのです。あまりに狙いすぎていて逆に冷めてしまった、というのもあります。

ゴーストライター発覚後のメディア報道を見ていて、やはり思いましたね、「今まで、よくバレなかったな」と。しかし一部の人間は薄々わかっていた、が誰も指摘できなかったというのがなんとも。やっぱり障害ってデリケートなことですから、明らかに怪しくても指摘しづらいのでしょう。この辺りは愛媛の保険金詐欺の構図と似ています。が、クラッシック業界を盛り上げるためにあえて黙っていた、という業界特有の事情も存在するようで。また、脳科学者の中野信子氏の指摘ですが、個人の境遇と仕事の成果を混同して評価してしまう、という社会風土も背景の一つかもしれません。(フォレスト出版 努力不要論より)

余談:私の父は、2013年3月31日に放送された、NHKスペシャルの佐村河内特集を録画していました。新聞のテレビ欄を見て「すごい人がいるんだな。よし、見てみよう!」と思ったらしいです。

が、その録画を見る前にゴーストライター問題が発覚。

(←録画放置しすぎ)でその後、ツッコミをいれながら見たようで。「いやぁ〜。ウンウン唸りながら、頭打ち付けてたよ〜(笑)」と報告してくれました。こんな鑑賞法って楽しいのか?

障害詐欺1

今から15年ほど前、ハタチそこそこの頃、図書館で「笑う新聞 著:新保信長 MFペーパーブックス」という本を読みました。4大紙の社会面に記載された「微妙に笑える記事」を厳選しツッコミを入れまくる、という内容の本でして。このスタンスと、どこかズレた文章がかなり好きです。

で、その中に「墜ちた演技派」というタイトルで紹介されていた事件が

「失明を装い保険金を3億詐取」

(1984年、愛媛)というもの。バレたきっかけが間抜けなものだったので、全国ニュースになり、その後この本で取り上げられた次第。話の流れは、まず犯人が経営していた店に強盗が入った。そして全盲のはずなのに、強盗の人相を詳しく話したことに警察が不審をいだき、内偵→逮捕ということです。

この件を知ってまず著者同様、「5年も失明を装っていたこと」に驚きました。が、次の瞬間頭に浮かんだのは以下の考え。

「視覚障害を装った詐欺ができるなら、聴覚障害だってできるのでは?」

なんで、こんな思考が浮かんだか?と言いますと、小学生の頃読んだ福祉教材の内容を思い出したから。「聴覚障害は見た目でわかりづらい(ので、皆さん気にかけてあげてください)」みたいなことが書いてあったんですよね。で、見た目でわかりづらいなら人を騙すことも比較的ラクだよな、と思ってしまったのです。(我ながらイヤな思考回路だ…)

だからその数年後、北海道周辺で身体障害者手帳集団不正取得事件が発覚した時も、別に驚きませんでした。「あぁ、やっぱりやるヤツいたか」と思っただけで。しかし、不正取得した人数が800人超・逮捕者も20人超という大規模さは衝撃でしたし、そこそこ怒りも沸きました。

でも、聴覚障害を装った事件はこれで終わらないんですから、もう脱力してしまいます。この後に、あの「佐村河内騒動」が発覚するのですから。

余談:1984年の愛媛の件ついては「詐病 著:牧 潤二 日本評論社」という本に詳しく載っています。実は犯人はそこまで演技していた訳ではなく、家族や福祉関係者は「見えている」と薄々気づいていたようです。そして、犯人の周囲に暴力団や政治家の影が見え隠れしていた事、病院も患者を信頼するしかなかった事、病院同士の連携がうまく言っていなかった事、等の悪条件が重なって長期間発覚しなかったというのが真相のようです。また、意外なことに眼科は詐病がもっとも多く見られる診療科の一つだそう。すぐにバレそうなジャンルだと思うんですがねぇ。なぜでしょう?

笑う新聞  詐病

クソトメ銀英伝

のっけからすごいタイトルで始まりました今回は、田中芳樹の名作小説「銀河英雄伝説」の話です。ラインハルトとヤン、二人の英雄を軸に壮大なストーリーが展開されるスペースオペラ。ですがこの二人の話は、他のサイト様やブログ主様にお任せして、今回私が取り上げるのはヤンの被保護者であるユリアン少年のことです。

ユリアン少年は、孤児を軍人の家庭で養育する、いわゆる「トラバース法」によってヤン家にやってきます。物語の最初にこの記述を読んだとき、この子には養育に適した親族がいないから、それこそ本当に孤児だから、だと思いました。

しかし、数年後図書館にて「銀河英雄伝説ハンドブック」の人名辞典を読んでいてびっくり。

ユリアン、祖母生きてるよ。

なんで引き取らなかったんだろう?と、疑問に思う間も無く、続く説明を読んで二度びっくり。

「長征一万光年」以来の名家であるミンツ家を誇りとする。息子と帝国から亡命してきた平民の子孫の娘との結婚を生涯許さず、孫であるユリアンを「息子を奪った女の子供」とみなして、その幼少期の写真を全て処分する。

銀河英雄伝説ハンドブック 徳間デュアル文庫より ミンツ(祖母)の説明

なんじゃ、このトンデモバアさんは!?

息子を奪ったって…あーた。母と息子はそもそも結婚できないんですけど?孫の4分の1は自分なのに、なぜそのセリフになる?こんな無茶苦茶な人、ホントにいるの?と、しばらくア然としてました。

ですがそのまた数年後に「こんな無茶苦茶な人、ホントにいる」ことを改めて理解することとなりました。きっかけは、匿名掲示板のまとめサイトにハマって読みまくったこと(笑)。そこには孫差別やら嫁いびりやらの、トンデモ姑のエピソードが大集合。えぇ、ありましたよ。「息子を奪った」と言って嫁を憎悪する姑の話。全部が事実ではないにせよ、そんな姑は一定数実在するようです。

作者の田中芳樹は、こんな人物を実際に知ってて書いたんでしょうか。まるっきりの想像で書いたのなら、小説家の想像力はすごいな〜とつくづく思います。(作者は当時30代前半)人類が宇宙に進出してウン100年経っても嫁いびりが無くならないのか、とげっそりしますが。また、民主主義の自由惑星同盟に家柄にこだわる人物を出したのは、作者なりの皮肉なのかな、と思いました。

将来、こんな嫁いびりババァにならないよう、くれぐれも気をつけたいものです。(何年後の話だよ)

中華思想に出会った日

それは小学6年時。社会(歴史)の授業の、グループ学習の発表の時間で、でした。(当時の担任は、グループ学習・調べ学習が大好きな人でした)とある男子グループの

「中国の意地悪!?」

というタイトルでの発表だったと記憶しています。

内容はヤマトが「邪馬台」、ヒメコが「卑弥呼」となっている理由。「邪」・「卑 」と悪い意味の漢字が当てられているのは、中国側の意地悪のせい、という内容の発表でした。私の感想は「へぇ、そうなんだ」という単純なもの。「わざわざそんなことしてどうする?」以外特に何も出てきませんでした。担任は、中国・韓国と仲良く❤️なバリバリの左系統人でしたが、発表の邪魔をする、なんて事はしませんでした。ただ苦笑しながら見守っていただけです。これはごく普通の対応なのですが、世の中にトンデモ教師が多いことを考えると、褒めるべきなのかもしれません。

「相手に悪い意味の文字をわざと当てる」、その根底にあるのが「中華思想」だと知ったのは高校生の頃。図書室にて、あれこれ歴史の本をひっくり返して調べていて判明しました。そしてこれが、対日本特有のものでない、ということも。「匈奴」や「吐蕃」もその一例だということです。(確かに、’奴’も’吐’も良い意味ではない)わざわざ相手に蔑称をつけ、それを公文書に残す。考えてみれば、かなり陰険で底意地の悪い行いです。このことから、大陸の人々は単なるカワイソウな集団ではないらしい、とこの時うっすら気づきました。裏を返せばそれまで私にとって、

中国大陸の人々はカワイソウな人たちであった

というわけです。何かにつけ、「日本の振る舞いに傷ついた、謝罪しろ!」と叫んでいるシーンの報道を見ながら、「あぁ、傷ついているのか。なんて可哀想なんだろう」と素直に哀れむのが日常でした。ですので、この気づきは確実に私の思考のターニングポイントだったと言えます。

この担任(N先生)については、色々と香ばしいエピソードがたくさんありまして、追々書いていこうと思います。問題は、エピソードがありすぎて、どこから書けばいいのかわからないことです。orz。

聖☆おにいさん②

前回に引き続き聖☆おにいさんの話です。日常生活のあっちこっちで「聖☆おにいさんネタ」に遭遇した!という体験をまとめてみました。いやぁ、意外なところで意外にあるもので。該当する巻数がバラバラなのは、気づいた順から書いているためです。

  1. 大塚国際美術館にて。ラファエロ作「キリストの変容」を見た瞬間、「丘の上の預言者オフ会」と口を衝いて出る。                エリヤとモーゼがイエスの前に降臨したシーンを描いた絵です。(13巻、第91話)
  2. NHKのニュース(バーミヤン絡み?)で、「焔肩仏」という単語を聞いた瞬間「焔肩仏なう!」のセリフが頭に浮かぶ。              ブッダとイエスが消防団に入る話。焔肩仏とは、ゾロアスター教の影響を受けて作られた仏様らしいです。(5巻、第34話)
  3. 国立西洋美術館で開催されたルーベンス展にて。「聖アンドレの殉教」が「元気はつらつイエーイ十字」にしか見えない。(11巻、第73話)
  4. 仏教美術の本を読んでいたら。「鳥獣に乗る天や明王はインドの影響が強い」とあり、「例:梵天は鵞鳥」という記述発見。           梵天さんのガチョウが駐禁くらったという話はここからか、と納得。(4巻:27話)ちなみに、帝釈天は白象・閻魔天は水牛だそう。              

宗教の本を読んでいて遭遇するのは、まぁ分かるのですが、NHKのニュースで遭遇したのは流石に驚きました。

ちなみに「聖アンドレの殉教」とはこんな絵です。画像引用は、日経おとなのOFF 2019年1月号の付録から。

聖☆おにいさん① 

大ヒットギャグ漫画「聖☆おにいさん」、初めて読んだのは確か単行本3巻が出た後でした。(知人から借りました)で、さっそく第2話の

「ブッダが手塚ブッダを読んで号泣しているシーン」

を読んで、「あぁ、これは私のツボに合うギャグだ」と直感し、その通りあっという間にのめり込みました。実は小学校高学年の時、手塚治虫の「ブッダ」を全巻読破していたので、(父が図書館から借りてきた)仕込まれたネタの理解が実にスムーズ。5巻くらいまでは単純に、大笑いしながら夢中で読んでいました。

しかし、6巻辺りからあまり笑えなくなってきました。読んでいてもどこかピンとこないというか、

内輪ネタで盛り上がっているのを遠巻きに見ている外野のポジションになっている、

というか。実はその辺りからキリスト教に対するマニアックネタ、特にイエスと弟子たちのエピソードが増えてきたため。キリスト教の知識が乏しい私は、元ネタが理解できなかったのです。という訳で、一時期「聖☆おにいさん」からは遠ざかっていました。

その状況を解決したのが、またしても中野京子の本

名画と読むイエス・キリストの物語  大和書房(現在は文春文庫)

でした。イエスの生涯を数々の名画と共に解説していく内容で、今までぼんやりとしか知らなかったエピソードが、詳しく解説されていました。結果「聖☆おにいさん」の内容が手に取るように理解できまして。「油の塗りすぎでユダに怒られる」やら「知らない、と3回言って鶏が鳴いたら本物」やら、もうおかしくてたまらない。

それ以後、「聖☆おにいさん」の読書に復帰。いつか来るかな〜と思っていた即身仏ネタが、ハロウィンと絡めてきた時(ゾンビという点で)は「そうきたか」と感心しました。他にも、発言小町に投稿するマリア様観葉植物に対して乙女ゲーム張りのセリフを放つブッダ。たくさん笑わせてもらいました。

しかし最近のバンクシーや相撲ネタは、私とは相容れないようで、あまり笑えず。私の笑いのツボと相性のいい話がまた増えたらいいな、と願っています。

この記事を書くために単行本を読み返していたら、「ケータイのアンテナ」、「リア・ディゾン」なんて単語が出てきました。懐かしいなぁ、って雑誌初掲載が2006年、1巻発売が2008年ですもの。そりゃあ懐かしくもなりますわ。リア・ディゾンなんて数年前にママになってますよ。

ちなみに前掲著、「この本は宗教の本ではない」と書いてあるのですが、図書館では宗教コーナーに置かれていました。えぇ、図書館本です。中野先生すみません…

高校の教科書を売っていた本屋の話

さて、高校(高等学校)が義務教育化して久しく、普段は「義務教育ではない」と意識する事すら、あまりありません。でもそれを強烈に意識するのが、私の場合「教科書を買いに行く時」でした。中学までは学校で配っていたのに、わざわざ「買いに行く」んですから。

ということで、学校指定の本屋までわざわざ行くわけです。その本屋の立地は高校と最寄駅を挟んで丁度反対側、という感じでした。駅からかなり遠く、バスもなくひたすら歩いた記憶があります。(ちなみに当時は高3進級直前)その本屋で大量の教科書と、ついでに数冊の参考書を購入。したところで、ふと好奇心が。この本屋では他にどんな本を扱っているんだろう?で、参考書コーナーと壁を挟んだ反対側に行ってみたら、なんとそこは

エロ本の山・山・山

美少女コミックからエロ劇画、ヌード写真集まであらゆるエロが大集合していました(爆)。あまりのインパクトに、嫌悪感が湧くどころか素直に驚嘆してしまったくらいです。「スゲェェェ!エロ本の山だ!!」と。

同時に悟りましたね。

この本屋の経営は、教科書とエロ本とで成り立っている

と。極端すぎるし、本棚のラインナップがとんでもないことになりますが、経営戦略としてはいいセンいってる方じゃないでしょうか。なぜなら、

絶対食いっぱぐれないから

まず、高校生が0人になることはありません。そして彼らは教科書だけでなく、参考書もついで買いしてくれます。私のように。それ以上に、エロ本の需要が0になることもない。元々3大欲求に関することは強い上、当時はネットが発展途上でした。エロ情報が欲しければ、エロ本かエロビデオを手に取るしかなかったのです。

蛇足:本のみっしり詰まった超重いカバンを、両肩にかけてヨロヨロ歩いていたら、荷物運びのラクダやロバの気持ちが少しわかった気がしました…

韓国時代劇考

2003年放送のドラマ「冬のソナタ」以後、沢山の韓国ドラマが日本に流入しました。うちの両親がよく見ていたのは後半の時代劇の方ですけれど。宮廷女官チャングムの誓い、チェオクの剣、イ・サンetc…。当時の我が家では毎週土曜日の午後11時以降、韓国時代劇鑑賞タイムになっていました。

私は、新聞を読みながら横目でチラ見していたのですが、どうにも好きになれませんでした。理由は別に韓国蔑視でもなく、「盛りすぎ」のストーリーが嫌だったわけでもなく。

言葉遣いが子供っぽく、どこかふざけているようで気持ち悪かった

からです。臣下が国王に呼びかける際「王様」と呼ぶのがもうね、違和感モリモリ。「王様」「王様」ってグリム童話じゃないんだから。バカにしてんのか?とすら思えてしまって。とにかく「陛下」「国王陛下」とは絶対に呼ばないのが謎すぎました。しかもその詳しい解説が目につく範囲に見当たらない。これが華夷秩序や冊封体制に起因することはなんとなく予想してましたけれど。ハッキリしないのがこれまた気持ち悪いものでした。

憲政史研究家の倉山満氏によると、正しく翻訳すると

「国王殿下」

となるそうです。中華帝国の皇太子殿下と同じ格付けである、と当人たちが認めているからこうなっている、と。(参考文献:嘘だらけの日韓近現代史 扶桑社新書 2013年)「国王殿下」と正しく訳したら、(親切な)視聴者から「間違ってますよ」と指摘されてしまうからこういう訳になってるんでしょうけど、なぜ説明がないのでしょうか。不親切ですし、何より違和感のせいでストーリーに集中できません。

なぜ韓国時代劇を見るのか?両親に聞いたところ「次にどうなるかわからないところが面白いから」という回答が返ってきました。日本の時代劇だと、「もう何度目だよ、関ヶ原」となってしまってドキドキ感がないから、だそうで。「次にどうなるんだ?」で、ドキドキしたいなら異世界ファンタジーでも良い気がしますがね。前掲著によると「韓国時代劇はファンタジー」らしいので、ある意味正解やもしれませぬ。

蛇足:母はあまりに一気に韓国時代劇を見すぎたせいか、脳内で「宮廷女官チャングムの誓い」と「チェオクの剣」が混ざってしまい、「チャオクの剣」なんつってました。料理を極めつつ、剣の腕を磨く…ってどんなヒロインなんだか。

「〇〇ちゃんを救う会」考②

「〇〇ちゃんを救う会」と聞いて、思いだすエピソードが一つあります。それは、2008年か9年頃に立ち読みしたレディコミ。「病と闘う子供たち」のようなタイトルで、難病の子が主人公の話がメインの雑誌でした。キャッチコピーは確か「感動!母と子の絆!」だった気がします。その中に、重い心臓病のためアメリカで移植手術を受ける男の子の話がありました。(漫画家の名前は、忘れちゃいました)そして「移植のために募金をお願いします!」といって募金団体設立、という展開になる訳ですが。

で、へーへーはーはーほーほー、と読んでいくうちに仄かな違和感が。雑誌のキャッチコピーが「感動!母と子の絆!」である以上、母子関係に比重を置いた展開になるのは当然なのですが、それにしたって

父親の影、薄すぎ

父親は「治療に対する方針の違いから別れた」と、斜め後ろ姿一瞬出てくるだけで、具体的なエピソードがほとんど無かったのです。この子の半分は父由来なのに、どうしてこうなった。その他にもいくら母子家庭&難病と言えども、過度の母子密着描写が多く、思わず「母親が分裂して作った子じゃないのか?」(←無理だよ)と思ってしまったほどです。

そして残念なことにこの子は手術後に亡くなるのですが、その後の展開が

星に息子の名を付けました

というもの。私はここでやっと気づきました。「少し前、ネットで話題になってたあの子の話だったのか!」と。でも、母親が「星の命名権の購入」に募金を使ったことは伏せられてました。世間でからそれなりに批判を浴びていることでも、ここまで美化できるのか!と妙に感心してしまいました。編集ってすごいですよね。