乙武サンについて8 義手・義足2

そもそもなぜ人は義肢や義眼を付けるのか?その理由は、単なる利便性や「機能の補完」のために留まらない気がします。(現在、義眼をつけても目が見えるようにはならない)それは、「見た目の補完」ですそして、「見た目の衝撃と周囲の精神的負担を減らす」ということ。平たく言うと周囲への配慮・気遣いです。

以前匿名掲示板「ガールズちゃんねる」にて、以下の趣旨の書き込みがありました。

昔、都内の某駅で乙武を見た事がある。一瞬、人間だと思えなかった。置物かと思った。乙武だ、と気づいた瞬間鳥肌がたった

ガールズちゃんねる より

というもの。私は単にこれを、投稿者の差別意識!と切って捨てることはできません。人間(というか生き物全般)は、「普通でないもの」を警戒し、恐怖心を抱くという特徴があります。彼の見た目が、脳にインプットされている「人間」の形態とはかけ離れているため、こんな反応になってしまったのではないでしょうか。大人であってもこの反応ですから、子供はどう感じることか。小学校の児童が「怖い」と言っていた理由も多分この辺でしょう。決して「先生は僕たちと真剣に向き合っているから〜」と言う理由ではなく。大体、そこまで考える小学生はいません。

彼は生まれた時から手足がなかったため、「欠損」という認識がなかったらしいですが、それは彼個人の認識であり、大半の人はどうしたって「欠損」という目で見ます。そしてショックを受けたり、同情したり、その感情を隠すため過剰に褒め倒したり下手に出たり。(’下駄をはかされていた’の下駄の一部は多分コレ)はたまた人によっては拒絶したり。

人は見た目が大事、と言われています。一度親しくなったら見た目は関係ないかもしれませんが、親しくなる以前に見た目で拒絶されてしまっては、人間関係が成立しません。(確か入院中のエピソードにそんな話があった)それでも彼の周りに人が絶えなかったのは、彼の知名度と社会的評判、そして皆分別のある大人だったため、今までこの路線でやってこれた訳です。彼は「障害者もおしゃれをしよう」「見た目に気を使おう」と言いかなり小洒落た格好をしていますが、実は全く見た目に気を使っていなかったのでは?(おしゃれ以前の問題?)見た目の衝撃を減らすために(周囲への配慮のために)義肢をつける、と言う選択をしないのですから。彼の周囲の人は相当気を使っていたと思いますが、彼自身は周囲に対して全く気を使っておらず、そしてそれを当然だと思っていた。彼は、思いやりに欠ける傲慢な人だったのです。

「ありのままの自分を見て欲しい」という気持ちを否定はしません。しかし未成年ならまだしも、30後半になってまでこの姿勢でいたのは、純粋というより幼稚、というか狡猾さすら感じます。以前の記事で「’カタワの甲羅干し’写真はインパクトがすごかった。これが彼の武器か?」と言う趣旨の文を書きましたが、これは事実でしょう。彼は「手足がない」と言うことを武器として世渡りしてきたのです。彼の見た目に衝撃を受けた側がそんな自分を恥じ、それを隠すために配慮したりなんだりするのを利用して、のしあがってきたのですから。

彼にとって「義肢をつけること」は武器を失う事、であると同時に健常者中心社会への迎合であり、謝ったら負け、ならぬ「義肢をつけたら負け」だったのかもしれません。

投稿者: 管理人富永

関東在住。気がついたらアラフォー。女性。

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