珪藻土バスマットのコワイ話

…というと2021年1月現在、誰しも真っ先に連想するのは、アスベスト問題でしょう。珪藻土製のバスマットなどに有害なアスベストが混入しており、削ると飛散して健康被害をもたらす可能性があるというもの。ニトリの珪藻土バスマットにアスベストが!というニュースを聞いて、「あれ?カインズじゃなかったっけ?」と思いきや、どっちもだったというorz。その後別の会社の製品でも発覚し、年末から回収騒動になっているアレです。

いや〜、しかしここ2〜3年で珪藻土製品、急に増えましたね。インテリアショップのみならず、¥100ショップでも売り出す様になり、製品もバスマットから始まって、茶さじやら歯ブラシ立てまで。

「材料、足りてるのか?」

「¥100で売って、採算取れるのか?」

と、不安に思っていたところでした。そこに飛び込んできたこの騒動、「あー、そっちか」とある意味納得してしまうところがありました。問題は材料ではなく、それを加工する過程にあった訳です。安価すぎる商品では安全性の高い加工をした場合のコストが回収できない、しかし低コストの加工では安全性が確保できなかった、というところですか。(だから、アスベストが混入してしまった?)

ちょっと気になるのが、製品の危険度の違いです。バスマットは削ると危険、ですが普段は顔から遠いところで使用します。これに対してコースター、削ることはほぼ無い製品ですが、普段から顔に近いところで使用します。私としては、コースターの方が危険度が高い気がするのですが、実際のところどうなんでしょう?

珪藻土バスマットのコワイ話ですが、私の脳内にはもう1つありました。それは、3年ほど前に立ち読みしたホラー漫画(某実録心霊雑誌に掲載)。

「通販で買った珪藻土バスマット、なんとそれは珪藻土ではなく、人の骨でできていた!」

というストーリーでした(うろ覚え)。アスベスト入りバスマットと、人骨入りバスマット、どっちがコワイでしょうか?怖さのベクトルが違うだけで、どっちも同じ位コワイですね。

蛇足:我が家では、珪藻土バスマットは使っていません。「ビシャビシャにならない・洗濯不要、イイなぁ!」とは思ったのですが、「冬場、超冷たい!」という話を聞き、アッサリ諦めました(当方しもやけ持ち)。カバーがあるみたいですが、そこまでして使う予定はないですねぇ。結局、洗濯しなくちゃいけないし。塩の容器に入れるドライングブロックは大活躍なんですが。

乙武サンについて11 親のしつけ?

さて乙武氏の不倫騒動の後、”氏があんな性格になってしまった理由”としてネットの掲示板に溢れたのは、「親のしつけが悪いから」という意見が大半でした。「どうせ、親が甘やかしたんだろ。かわいそう、かわいそうって」等々。まぁ、予想通り。当初、私もこれらの書き込みに「そうだ、そうだ!」と、全面的に同意して読んでいたのですが、ある時ふと疑問を感じました。

「本当にそうか?」

と。

なぜそう思ったかと言いますと、まず氏の年齢。当時の乙武氏はアラフォー、成人してから20年弱が経過した立派な大人でした。親のしつけの効果が及ぶには時間が経ち過ぎている、というか親の責任を問うには育ち過ぎている、という感じがしたのです。つまり、親のしつけが直接的に作用したとは考えづらい。

んじゃ、何が原因なのか。思い当たったのが、アメリカの心理学者、ジュディス・リッチ・ハリスの集団進化論です。この理論を一言でいうと「子供の人格形成は、親や家庭より友達や仲間の影響を受ける」というもの。要は「家庭環境よりも子供の人生に大きな影響を与えるのは学校」だということです。つまりこの理論に則って考えると、乙武氏があんな性格(助けてもらった当たり前・周囲に感謝しないというゲスい性格)になってしまったのは、周囲の人との関係が原因の可能性が高い、と推測できます。

乙武氏がどんな環境で育ってきたかというと、幼稚園〜大学まで一貫して健常者の中で過ごしてきた模様です。養護学校(当時)ではなく、普通の公立小・中・高の普通学級に通っていた事が著書からも確認できます。つまり、彼は健常者の集団の中でただ1人の重度障害者であった。この立ち位置がマイナスに作用したのではないか。

彼は一目で重度障害者とわかります。そのため、普通に接しよう接しようと心がけたとしても、やはり大なり小なり気を使ってしまう存在です。いくら先生が「特別扱いはやめよう」と指導したとしても限度があります。同級生も、差別だ!いじめだ!と言われたくないので、過剰に丁寧に接したり、遠慮したり、彼がスムーズに行動できるように先回りして助けたこともあったかもしれない。そして彼は、クラスどころか学校で唯一の重度障害者(多分)であり、周囲の気配りや手助けを独占することができるわけです。こんな状況が15年以上続いた結果、友達は自分を助けて当たり前!周囲が自分のために動くのは当たり前!気を使うのは当たり前!になってしまい、あの様な性格と化しまったのでは。

もし、彼が養護学校(当時)に通っていたらどうなっていたでしょうか?障害の重さ故、養護学校でもそれなりに気を使われたかもしれないが、それは普通学級の比ではないくらい小さいでしょう。とにかく周囲は、程度の差こそあれ全員障害者。氏が困っていたとしても、全面的に助けるのは無理。もちろん先回りして助けるのも無理。皆自分の障害のことで精一杯で、そんな余裕はありません。当然、周囲の気配りや手助けを独占なんてできません。とすると、少なくとも「友達は自分を助けて当たり前 !」という認識は生まれづらい。例え「ボクは手も足もないんだぞ!」と言ったところで「それが何?」と返されて終了でしょう(萎縮して黙ってしまう子はいないだろうし、もしかしたら言い返してくる子もいるかもしれない)。助けが欲しい時は、「助けてください」と自分で意思表示することも教わります。ということは、少なくとも「車椅子対応レストランを調べる」くらいはできる人間にはなったはずです。つまり、障害を盾にして周囲を意のままに動かす人間にはならなかった可能性は高い、と私は考えます。

結論:氏があの様な性格になった原因の大半は、親のしつけではなく、周囲の環境である。しかし、その環境を選んだのは氏の親である。従って氏の親の教育方針の所為だとは言えます。氏を養護学校ではなく普通の学校に通わせると決めたのは、氏の両親なのですから。それでも、家庭で感謝の心や周囲への気配りを教えていれば、ちょっとはましだったかもしれないませんが、結局それが失敗しているんですよね。氏のご母堂はあちこちで講演会を開いていたらしいですが、一体何を語っていたのやら。

「飲食店従業員」の怪

私、10歳ごろからニュースをみていて、漠然と疑問に思ったことがあります。それは、

なぜ飲食店従業員は、しょっちゅう事件に巻き込まれるのか?

ということ。なぜそう思ったかというと「飲食店従業員の〇〇さんが、どこそこで遺体で発見されました…。」等のニュースが、やたらと多いから。飲食店、つまりファミレスや居酒屋は、そんなに危険な所だったのか?一体なぜ?と思いまして。しかし、その理由が全く考えつかない(子供だったし)。なんでだろう?とずっと疑問に思い続けていました。

やっと真相がわかったのは、約10年後でした(きっかけは忘れました)。ニュースで「飲食店従業員」と表現する場合、それはフツーのファミレス・居酒屋の店員ではなく、大半が

キャバクラ・高級クラブ・ホストクラブの従業員

なのだということが。まぁ、確かに飲食店、なのだが、メインが「飲食」ではない飲食店(なんじゃ、そりゃ?)。要は異性にチヤホヤしてもらう事がメイン、というか酒と金を媒体に、男女の生臭い欲望が渦巻く店で働く人々であったと。そりゃ一般社会よりも人間関係が拗れやすく、従って事件に発展する確率も、一般社会より高いはずですわ。と、アッサリ納得してしまいました。10年弱悩んだ割に、いともアッサリ。

この「飲食店従業員」という曖昧な表現は、まともなレストランや定食屋に失礼だ ! 別の呼び方をしよう! と主張しているコラムニストがいたと思いますが、その主張には全面的に同意します。真っ当な「飲食店」への風評被害が起きかねません。しかし、なんと表現すべきか、適正な代用語が見つからないのがネックです。(淫食店、なんつー表現も目にした事がありますが、これは口頭では表現しきれないですよね)

コロナ禍の現在、「夜の店」やら「接待を伴う飲食店」という、無意味に婉曲的、というか表現しきれてない言葉を聞いて思い出した出来事です。

P.S 「夜の店」を文字通り解釈したのか、「夜は危険だから、昼に来ました☆」という人をTVで目撃した時は、内心ズッコケました。この人何もわかってない…と。曖昧すぎる表現の生んだ弊害ですかねぇ?

「蓮舫」という謎

「参議院議員の蓮舫」といえば、2009年に仕分け人として一躍名を馳せ、それ以後も何かと政界ニュースに登場するあの人。最近離婚されたとか。実は旧民主党が政権取るまで、私にとってこの人は謎の存在でした。

初めて存在を認識したのは、2004年夏の参院選。都内に出かけた際に見た、選挙ポスターで。確か短髪の女性の写真に、こんな文字が添えられてましたっけ。

蓮舫  母として立つ

感想は、

? 何だこりゃ?

でした(笑)。何だこりゃ?って、もちろん選挙ポスターですが。なんというか、わからなかったのです。もちろん、写真の人物が候補者だ、ということはわかるんですが、「蓮舫」が丸々わからないのです。詳しく解説すると、

どこまでが苗字(姓)で、どこまでが名前なのかがさっぱりわからない

のです。ずっと眺めていると、新たな熟語にも見えてくるこの二つの漢字。どこまでが姓か名か。自分なりに考えた結果、「蓮」が苗字(姓)で「舫」が名前なのだろう、と結論が出ました。(検索するほどの関心はなかったため、検索しないで漠然と考えていた)なので、ニュースで「蓮舫議員」「蓮舫議員」と報道されているのを聞いて、「なぜこの人だけ、いつもフルネームで報道されているのか」大変疑問でした。

2009年になってから改めて調べたところ、「蓮舫」全てが名前で、苗字(姓)が「村田」(当時)だということが判明(旧姓は謝)。当初の?は解けたものの、なぜフルネームを名乗らないのか、これまたギモン。選択制夫婦別姓論者として言行を一致させた結果なのか、苗字(姓)を名乗りたくないくらい、夫が気に食わないのか(TVでのペット以下、という発言は衝撃)、名前で目立つことで議員の「その他大勢」に埋没することを避けるためなのか。

しかしこの選挙ポスター、ポスターとしての存在意義はあったのでしょうか?「候補者を知ってもらう」ために作られたのに後々頭に残るのが疑問だけ、というのは選挙ポスターとしてどうよ。それともこんな風に考えてるのは、私だけですかね?

「母として立つ」というキャッチコピーにも違和感を持ちました。「父として立つ」という政治家は、きいたことがありません。なぜことさら「母」を強調するのか。あんたに「母」以外の属性はないのか、と。あえて擁護するなら、当時は今以上に女性の「仕事と家庭の両立」が難しかった。しかしそれをやっている!というのは、貴重なアピールポイントだったのでしょう。「夫と子供がいる」というのが一種のステータス、というか。「夫」・「子供」は自分に付加価値をつけるためのアクセサリー、というか。

この様に考えると、「ペット以下」の夫と長年離婚しなかったのも納得がいきます。そりゃ、「夫がいる」という事自体に価値があるのだから、よっぽどのことがない限り、自分から切り捨てる事はしないでしょう(例え「ペット以下」でも)。離婚なんてしたら「私は、仕事と家庭の両立をしている! 」というアピールができなくなり、ひいては選挙に影響するかもしれませんから。2020年になって離婚したのは、「子供が成人したから」だけでなく、「政治家として一定の知名度と影響力が持てたので、離婚してもマイナスに響く可能性が低くなったから」というもあるでしょう。

乙武サンについて10 親戚編

一連のブログ記事を書くために、乙武氏絡みの本やネット記事を読み込んでいて、ふと疑問に思った事があります。それは

乙武さんって親戚いないの?

でした。「五体不満足」では、両親との温かなエピソードが、当然ながら沢山書かれていました。近所の人や友人との感動的な話も、それなりにありました。が、おじ・おば・いとこ、といった親戚との話が何一つなかったのです。どこか不自然な気がしました。「クラスメートとケンカした」、「いつもクラスの中心だった」というエピソードを堂々と載せる位なんだから、「いとこと取っ組み合いの喧嘩をした」やら「親戚が集まるといつも話題をさらっていた」やらの話が出てきてもおかしくないのですが。(こんな疑問が沸いたのは、私自身がそれなりに親戚付合いのある家庭に育った、という背景が影響しているのかもしれません)

「五体不満足」(完全版)を読み返しましたら、氏が小学生の時点で、祖母は1人実在したことは確認できました。が、それ以外の祖父母は、全く出てこない。もしや全員他界済みか?そしてその他の親戚については、「し」の字すら出てこない。早稲田大学教授との対談(こちら)では、「上の世代の親戚」と言う言葉がでてきます。この「上の世代の親戚」がおじ・おばを意味しているなら、彼には親戚がいるということになりますが、この対談ではそれ以上の言及はありません。そして、「乙武 親戚」と検索をかけてみてもほとんどヒットしない。なぜなのか、ちょっと仮説をまとめてみました。

  1. 本当に親戚がいない(祖父母は既に他界の上、両親ともに一人っ子、等)。
  2. 親戚が本に書かれるのを嫌がった(プライバシーの問題)。
  3. 単純に、書く機会がなかっただけ(インタビューや著作の本筋に関係がないため)。
  4. 「感動的」なエピソードが無いため、書けなかった。

まぁ、こんな所ですか。その他では、4.の発展形として「障害が原因で縁遠くなった」ということも考えられます。よく障害児の親の回想録等で、「子供の障害のことで親戚から責められた」やら「障害が原因で縁を切られた」等の話が出てきますが、乙武家ではそんなことはなかったのか?と、多少疑ってしまいます。が、これはゲスの勘繰りになってしまうのでしょうか。

そういえば、乙武氏が母と対面したのは生後1ヶ月の時。退院は当然その後ですが、その1ヶ月の間に両家の祖父母が面会を希望して来院した、ということはなかったのでしょうか?父親がシャットアウトしていたのか?一体どんな風に?その方法が知りたくなってしまいます。

乙武サンについて9 育休編

さて最近、小泉進次郎環境大臣の育児休暇取得を巡り、「男性の育休」についての関心が高まっています。私個人としては賛成です。ただ、2週間で育児をどこまで理解できるか、が疑問ですが。乙武氏もこの件についてコメント求められてましたね。

ここで、ふと思い出したのは

乙武氏も育休取ってたよな

ということ。小学校の先生だった頃、次男が生まれた後なので、多分2010年7月以降ですね。期間については調べた範囲ではわかりませんでした。そういや「イクメン」と書いていたネット記事もありましたっけ。

んで、ここで疑問が湧くわけです。

具体的に何してたの?彼にできる育児ってどんなの?

と。さて、「母乳を出す」以外の主な家事・育児をリストアップすると

  • 料理(幼児食・離乳食含む)
  • 食器洗い
  • 掃除
  • 洗濯
  • 布団干し
  • 買い物
  • ゴミ出し
  • おむつ換え
  • ミルク作り・ミルク飲ませる
  • 赤ちゃんのお風呂
  • 予防注射・検診に連れて行く

位ですが、氏はほとんど無理そうです。何せ両手足がないのだもの。予防注射・検診だって移動の困難やスピーディな手続きがネックになり、彼単独で連れて行くのは難しいでしょう。「手がなくても困らない」という発言、よく言えたもんです。まぁ、ゴミ出しは高級マンションだったら24時間可能かもしれないし、食器洗いは食洗機がやってくれるから、奥様の負担は少しは減ったかもしれませんが。

では、逆にできる事は?と、リストにしてみると

  • 上の子と遊ぶ(絵本を読む・歌を歌う・一緒に踊る・公園に連れて行く)
  • 赤ちゃんをあやす(絵本を読む・歌を歌う・目の前で踊る・変顔をする)
  • ネットスーパー発注
  • ヘルパー・家政婦さんの手配
  • 両実家への連絡

位ですかね。で、これらの事をこなすのに、仕事を丸一日休む必要があったのか?時短勤務じゃダメだったのか。本当に育児休暇が必要だったのでしょうか?(上の子は確か2歳だったはず。毎日4、5時間も全力で遊んでいたのか?そもそも赤ちゃんなんて最初の4ヶ月は、半日くらい寝ている)

いや、要らないでしょ。どう見ても。

周囲は突っ込まなかったのか?と思うのですが、正確には「突っ込めなかった」んでしょう。後になって「周囲から反抗的な目で見られた」「嫌味を言われた」と被害者アピールする位ですから。真正面から「具体的にどんな育児するの?ていうか育児できるの?」なんて聞いたら「差別だ〜!」と、ここぞとばかりに宣伝するに決まってます。周囲の精一杯の突っ込みが嫌味レベルだった、ということか。また、彼がいる事で何か学校運営に支障がでたため、これ幸い休んでもらおう、という判断がでた可能性もあります。

氏は不倫発覚後の懺悔パーティー(爆)で「長男が生まれた後、育児に参加できないのがコンプレックスで家庭から逃げてしまった」とコメントしてましたが。

育児に参加できないのになぜ育休を取った?

もう、詐欺じゃね?ってレベルですな。彼は一体何がしたかったのか。「今度こそ育児参加したいから、義手つけました! 」という訳でもないのだもの。単に「いい人」のポーズが取りたかっただけ?彼は「育休の先駆者」ではなく、「取るだけ育休の先駆者」だったのでしょう。んで、何をしてたのか?ですが、最悪(誰かの様に)不倫に勤しんでいた可能性すらあります。東京都は、氏やその周囲にヒアリング調査を行い、「育児の実態が確認できなければ、手当ての返却を請求する」位のことはしてもいいでしょう。コメンテーターも単にインタビューするだけじゃなく、少しは突っ込もうよ。「乙武さんは育休中、何をしてましたか?」って。

そう言えば次男が生まれる寸前、乙武氏は泥酔状態で女性を口説いていた、なんて話も飛び出しましたね。(こちら参照)元々家庭や子どもに関心が薄い人だったのかも。最初に「イクメン」と書いたライター、出てこい !

乙武サンについて8 義手・義足2

そもそもなぜ人は義肢や義眼を付けるのか?その理由は、単なる利便性や「機能の補完」のために留まらない気がします。(現在、義眼をつけても目が見えるようにはならない)それは、「見た目の補完」ですそして、「見た目の衝撃と周囲の精神的負担を減らす」ということ。平たく言うと周囲への配慮・気遣いです。

以前匿名掲示板「ガールズちゃんねる」にて、以下の趣旨の書き込みがありました。

昔、都内の某駅で乙武を見た事がある。一瞬、人間だと思えなかった。置物かと思った。乙武だ、と気づいた瞬間鳥肌がたった

ガールズちゃんねる より

というもの。私は単にこれを、投稿者の差別意識!と切って捨てることはできません。人間(というか生き物全般)は、「普通でないもの」を警戒し、恐怖心を抱くという特徴があります。彼の見た目が、脳にインプットされている「人間」の形態とはかけ離れているため、こんな反応になってしまったのではないでしょうか。大人であってもこの反応ですから、子供はどう感じることか。小学校の児童が「怖い」と言っていた理由も多分この辺でしょう。決して「先生は僕たちと真剣に向き合っているから〜」と言う理由ではなく。大体、そこまで考える小学生はいません。

彼は生まれた時から手足がなかったため、「欠損」という認識がなかったらしいですが、それは彼個人の認識であり、大半の人はどうしたって「欠損」という目で見ます。そしてショックを受けたり、同情したり、その感情を隠すため過剰に褒め倒したり下手に出たり。(’下駄をはかされていた’の下駄の一部は多分コレ)はたまた人によっては拒絶したり。

人は見た目が大事、と言われています。一度親しくなったら見た目は関係ないかもしれませんが、親しくなる以前に見た目で拒絶されてしまっては、人間関係が成立しません。(確か入院中のエピソードにそんな話があった)それでも彼の周りに人が絶えなかったのは、彼の知名度と社会的評判、そして皆分別のある大人だったため、今までこの路線でやってこれた訳です。彼は「障害者もおしゃれをしよう」「見た目に気を使おう」と言いかなり小洒落た格好をしていますが、実は全く見た目に気を使っていなかったのでは?(おしゃれ以前の問題?)見た目の衝撃を減らすために(周囲への配慮のために)義肢をつける、と言う選択をしないのですから。彼の周囲の人は相当気を使っていたと思いますが、彼自身は周囲に対して全く気を使っておらず、そしてそれを当然だと思っていた。彼は、思いやりに欠ける傲慢な人だったのです。

「ありのままの自分を見て欲しい」という気持ちを否定はしません。しかし未成年ならまだしも、30後半になってまでこの姿勢でいたのは、純粋というより幼稚、というか狡猾さすら感じます。以前の記事で「’カタワの甲羅干し’写真はインパクトがすごかった。これが彼の武器か?」と言う趣旨の文を書きましたが、これは事実でしょう。彼は「手足がない」と言うことを武器として世渡りしてきたのです。彼の見た目に衝撃を受けた側がそんな自分を恥じ、それを隠すために配慮したりなんだりするのを利用して、のしあがってきたのですから。

彼にとって「義肢をつけること」は武器を失う事、であると同時に健常者中心社会への迎合であり、謝ったら負け、ならぬ「義肢をつけたら負け」だったのかもしれません。

乙武サンについて7 義手・義足1

彼はなぜ、義手・義足(以下、義肢)をつけないのか?

これ、大抵の人が随分前から疑問に思っていた事だと思います。ご多分にもれず、私もそうでした。但し、途中からですが。

「五体不満足」出版時は単純に

「お金がなくて買えないんだな」

と、思っていました。補助が出ているとは言え、電動車椅子の購入・維持管理には費用がかかる。その上で(脳からの電気信号で動く)最新式の義肢を用意する経済的余裕なんてないだろう、と容易に考えられたので。という訳で、「五体不満足」がベストセラーになった、というニュースを聞いて、素直に「よかったね」と思えたのです。そして「印税で最新式の義肢を買うんだろう」と予想しました

が、彼は何も付けませんでした。ここで例の疑問が浮かぶわけです。なんでだろう?私が思いついた理由は二つ。一つ目は、義肢の性能があまり良くないから付ける意味がない。これがメインの理由だと、義肢の技術が進歩したらその内付けそうな気がします。二つ目は、切断面の形状からして義肢の装着が難しいから。こちらがメインの理由だと、これからも多分付けないだろう、考えられます。どちらがメインの理由なのか、私には判断が付きませんでしたが、多分後者だと勝手に思っていました。

その後10年以上経っても、彼はやはりなにも付けないのです。相変わらず、いつでもどこでも車椅子で参上。義肢の技術は進歩しているだろうから、一つ目の理由ではなさそう。だとしたらこれは二つ目の理由でしょう!と確信。義肢の装着が難しいなら、もうこれはしょうがないです。だから彼が義肢を付けることは、これから多分ないだろうと思いました。「こういう人なんだな」と。でも、何か違和感を感じたんですよね。「メーカーと協力して新しい義肢を開発する」という手もあったはずなのに、彼はそれをやらない、噂すら出てこない。これは大いなる謎でした。

そして不倫騒動の後、平成が終わったあたりで、彼は義足を装着し歩行訓練を開始

義足、付けれたんかい!つーか、今更かい!

思わず呆れと驚きの入り混じったツッコミを入れましたね。なぜこのタイミングで?で、なぜ足が先?

なぜこのタイミングで?というと、一つ目の理由はやはり、仕事がなくなったから、でしょう。今までは黙っていても仕事が舞い込んできたのに、自分で仕事を、センセーショナルな話題を作らなければいけないのですから。二つ目は妻が逃げたから。ただでなんでもやってくれる存在がいなくなったから、自分でやらなくてはいけない事が増えた。ここまでは、簡単に結論が出せます。

で、なぜ、義足を先に付けるのか?利便性を考えるなら、まず義手でしょう?そもそも義足を付けないのは、「転んだ時につく手がなく、危険だから」という理由もあったんですから。手があったら「自分でできる事」が飛躍的に増え、当然介護の負担も減ります。洗顔・髭剃りは言わずもがな(下世話な話ですが)TENGAの後始末だってできる!ってことは性欲発散に苦しむことも激減、複数の愛人もいらなくなる(笑)育児にだって参加できる!と、いいこと尽くめなのに。動機として「東京オリンピックで聖火ランナーをやりたいから」と語っていましたが、では東京オリンピックがなかったら、何もつけなかったのでしょうか?義足装着の理由が内部要因ではなく、外部要因。この人にとっては、周囲の負担を減らすことより、周囲に強烈なビジュアル・インパクトを与える方が大事なんでしょうか。

乙武サンについて6 ヤンキー先生との類似点

2016年、乙武さんが選挙に出る!と聞いた時も別に不思議はなく「まぁ、そうだろうな」と素直に納得していました。彼は「頑張ってる障害者」の代名詞的存在で、安倍政権の掲げるスローガン「一億総活躍社会」に実にピッタリ。明るく爽やかで中高年のウケも良く、ネガティヴイメージも殆どない(不倫バレまでは)人だったので。

しかし、この出世パターンどこかで見たような気がしました。特に仕事ができるわけでなく、すごい大発明・大発見をしたわけでもなく、世の中を変える運動をしているわけでもない。が、特殊すぎる生き方がメディアで話題を呼び、本が売れ(ついでに名前と顔も売れ)、最終的に政党から声が掛かって政界入り、というパターン。

えぇ、先達がいました。それは

「ヤンキー先生」事、義家弘介氏。

義家氏の政界進出は2007年なので、約10年ぶりの出来事となりますね。両者の共通点をまとめてみるとこんな感じ。

  • 特に仕事ができるわけではない
  • 何か大発明・大発見をしたわけでもない
  • 何か社会運動を展開していたわけでもない
  • 特殊な生き方が注目され、メディアの寵児となる
  • 著書がベストセラーとなる
  • 顔と名前が売れる
  • 二人とも1970年代生まれ
  • 二人とも教員経験有り
  • 二人とも教育委員経験有り
  • しかし選挙話が来た途端、二人とも任期途中で辞任する
  • 自民党から参議院出馬を持ちかけられる
  • 一部にアンチがいる
  • 二人とも「年下の、自分に自信のない女性」と結婚(←オマケ)

こうして並べてみて導き出される結論は、両者とも「強烈な自己顕示欲」と「強烈な上昇志向」を持っていると言った所でしょうか。

さて義家氏と乙武氏、選挙に強そうなのはどちらか?と考えると、即乙武氏になりそうなものです。前述のように、彼にはネガティヴイメージがほとんどなく、オマケに「障害がある」という点で、どこか批判がしづらい。(俗にいう’障害バリア’?)一方の義家氏は「元不良」。そして「元教師」でありながら「元教え子と結婚」という過去があり、これはどうしたって批判の対象になります。それに氏の言説や言動については、多くの矛盾が指摘されていました。

ですが、フタを開けてみれば当選したのは義家氏。乙武氏は不倫騒動のため、出馬すらできなかったためです。2007年と2016年、何が違ったかと考えるとやはりネット空間の発達でしょう。2007年当時も、義家氏に批判的な人たちが一部で活動していましたが、それは一部の週刊誌に載ったくらいで、大きなムーブメントにはなりませんでした。(結果、義家氏当選)しかし、乙武氏の不倫騒動は週刊誌発でありながらネット空間で増殖し、それがリアル社会を動かしてしまったのです。

歴史は繰り返す。ただし二度目は茶番として。

という言葉を思い出します。取り敢えず、税金の無駄遣いが避けられたのは良い事でした。しっかし、世の中何が起こるかわかりませんね。

蛇足:乙武氏の不倫騒動で、「パナマ文書」問題が影に隠れてしまったことを「陰謀だー!」と騒ぐ人はいないのだろうか?

参考文献:「若者論」を疑え! 後藤和智 宝島社新書

乙武サンについて5 女王蜂?

「五体不満足」以来、基本クリーンなイメージでひた走ってきた乙武氏。ですが、週刊新潮の不倫報道で全てがガラリと変化。不倫相手が「最低5人・最高50人」というのは、実にたまげましたね。そして、こんな下半身暴走族がいるから、梅毒の流行が止まらないのか!と別方面で納得しちゃいました。他にも続々と暴かれ出した彼の裏の顔。

モラハラと並んで衝撃だったのは

「筆談ホステス、こと斉藤里恵氏の秘書引き抜き」

ですかね。障害者が障害者の足を引っ張っている!!この状況がまるで「障害者の代表は俺一人で十分だ。その他大勢は引っ込んでろ!」と言っている様に受け取れるんですよね。この感じ、何だったっけ…と思ったらぴったりな単語がありました。それは、

クイーンビーシンドローム(女王蜂症候群)

クイーンビーシンドロームとは、男性社会で成功した女性が、自分の地位を守るために他の女性の活躍を邪魔しようとすること、です。彼はこの障害者バージョンなのでは?結果として斉藤氏の邪魔をしているわけですから。聴覚障害者の支援(タイピング・復唱)と身体障害者の支援(身体的介護)はまるで方向性が違うのに、わざわざ斉藤氏の秘書を引き抜いたのも、実に怪しい。彼が他の障害者との接点を殆ど持たないことも、この推測を補強する材料ですね。まぁ、ホイホイ引き抜かれる秘書も秘書ですが。モラハラ四十路オヤジの尻拭い(文字通り)ってそんなに魅力的な転職先なのか。

彼は不倫騒動後になって「自分は障害者の代表じゃない」と言っていましたが、発言するのが10年以上遅い。「誰か代わってくれ」という趣旨の発言もしているが、それが本音だとは到底思えない、その理由が上記の内容です。2017年以降は「身長100センチのママ」こと伊是名夏子氏や、「事故で三肢切断青年」と対談しているみたいですが、「今更?」感が否めません。それに彼らはどちらかというと「障害を感じさせない障害者」であり、「感覚が限りなく健常者に近い人」です。乙武氏は「The 障害者」な人との接触を意図的に避け続けている気がします。

彼の妻(今は元妻)のコメントも脱力モノでした。「乙武はなんでもできるイメージがありますが、ドアも一人で開けれない。風呂もトイレも介助が必要」というアレ。彼がいつも自信満々なのは、なんでも一人でできるから、だと私思っていたので。何から何まで人任せなのに、なぜあんなに態度がデカイのか、別に卑屈になることもないが、もう少し謙虚にできないのか、と。それにしてもモラハラはなかろうよ。

「五体不満足」の内容が「僕はあれもできる!こんなこともできる!」ばかりだったので、まさかここまで人任せだとは想定外でした。一応、「一人で用を足すことができない」と一文だけ書いてありましたが、印象に残っている人は少ないでしょう。(アリバイ作り?)「大事なのは何が書かれているか、ではなく何が書かれていないか、だ」という言葉がありますが、この見方で「五体不満足」を読んでみると疑問がたくさん出てきます。家庭科の調理実習の時は、どうしてたのか。修学旅行の班行動時のトイレは、誰が介助してたのか、等々。まさか班のメンバーじゃないですよね。(と信じたい)せっかくの修学旅行で、クラスメートの尻拝みたい人はいないですよ。

どーでもいい疑問:上の方で梅毒云々書きましたが、はて、乙武氏は一人でコンドームがつけれるのでしょうか?そこからして相手任せの状態でドン・ファン気取ってたとしたら、相当イタいです…