ムキムキ肌色ポスターの正体

これは5年程前、住んでいた街での出来事です。とある日曜日、私は駅前商店街&駅ビル内スーパーに食材の買い出しに出かけました。ら、駅ビルの壁の、とあるポスターに私の目は釘付けに。それはもう、遠目にもはっきりと分かる肌色。どうも筋肉モリモリの男性の裸体が複数描かれているらしい。いや、もうビックリですよ、

「この商店街、何考えてるの!?」

って。てっきりゲイビデオのポスターかと思ってしまいましたね。が、近寄ってよくよく見てみると「○月○日 興業!」の文字が。えぇ、その正体はプロレスのポスターだったのですorz 。

何でこんな勘違いをしてしまったのか?と、考えてみると、原因はそのポスターを構成する要素にある気がします。(私の思考回路ではなく!)そのポスターの紙面の大半を占めていたのは

「いかめしい顔をした、ムッキムキの上半身裸の複数の男性」。

彼らが「この俺様のこの肉体を見ろ!」とその裸体をこれ見よがしに誇示してくるんですよね。これはおそらく「過剰な筋肉・男らしさ」でもって世間一般に対して「強さ」をアピールするためだと推測できます。が、私はそれを「過剰な筋肉・男らしさ」でもって「性的なアピール」をしている(しかも男性対男性という形で)と受け取ってしまった、このギャップが生んだ勘違いだったのではないか。

しかし、「性的なアピール」だと勘違いしたとしても、なぜ「女性に対するアピール」だと思わなかったのか?という疑問が出てきます。が、ここで思い出すのは、一般に女性は「過剰な男らしさ」から距離を置く傾向がある、ということです。例えば、少女マンガに出てくる理想の男。そこまで筋肉質ではありません。TVの情報番組で、複数の女性に「好きな筋肉を選んでもらう」という企画が行われた際も、一位になったのは一番筋肉質な男性ではありませんでした。だから「女性に対するアピール」だとは思わなかったのです。むしろ、過剰な筋肉に夢中になるのは男性の方である気がします。「北斗の拳」にしろ「DRAGON BALL」にしろ、主な読者は男性。男性が男性のために、「強さを表す記号」として筋肉を描いた作品という見方もできます。

空飛ぶ顔だけの〇〇!?

天使にも階級がある、ということはいつのまにか知っていました。多分30歳くらいまでには。ジャンル問わず本を乱読してきた成果でしょうか。何でもぜんぶで3階級9つの階級があるそうで。「天使」ガブリエルが下から2番目で、実はそんなに偉くない、というのは意外でしたね。偉い天使は、人間如きには関わらないらしいです。

で、「はじめてのルーブル 中野京子 集英社(現在は文庫)」を読んでいて衝撃だったのが、一番偉〜い第一階級の天使たちの姿。なんと

頭部に直接翼が生えている

というものらしい。つまり頭だけがパタパタ飛び回っている、という姿なのです。一瞬置いて出た感想は、

それって飛頭蛮!?

でした。(飛頭蛮とは、夜になると頭部だけが胴体から離れて飛び回る妖怪。中国由来。詳しくはこちらをどうぞ)著者は「えらく見えなくて困る」と書いてましたが、私の感想は「えらい、えらくない」以前の「妖怪みたい」というものでした。だって、頭だけが飛び回るんですよ!一瞬ギョッとしませんか?まぁ、一異教徒の取るに足らない感想に過ぎませんが。

神聖なのか、不気味なのか。「普通でないもの」をどう位置付けるかは、+か−かに分かれるのが普通とは言え、ここまで両極端なのかと東西の感覚の違いに驚きます。スペインの画家・ムリーリョの描く顔だけ天使は、愛らしい方だと思いますが。

蛇足:飛頭蛮についてもっと情報が欲しい方は、マンガ「地獄先生ぬ〜ベ〜」をおすすめします。かなりインパクトがありますので、少々注意。

偉人伝の謎② 家庭教師編

偉人伝に関する違和感第二弾、今回は「住み込み家庭教師」の話です。

偉人伝には、よく女性の「住み込み家庭教師」が出てきます。ナイチンゲールも姉と共に、家庭教師の先生から「フランス語・歴史・数学・絵画鑑賞などを習った」らしいです。(学習漫画の脚注より)しかし、当時小学生の私はここで「ん?」となったわけです。前3者はわかる。現在でも学校で勉強する科目なので。で、最後の「絵画鑑賞」って、何?わざわざ教わらなきゃいけないの?そもそも具体的にどんなことを習うの?と、皆目見当もつきませんでしたね。

でもこの謎も、中野京子の本によって解けました。そもそも

「絵は眺めるものではなく、知識を持って読み解くもの」

だったので。先生はそのための知識を教えていた、という訳です。ナイチンゲールもアトリビュートやら何かの象徴やら、一生懸命覚えていたんだろうか。

そして、「住み込み家庭教師」という存在そのものについて。偉人伝を読み込んでいた当時は「さすがお金持ち。家庭教師も住み込みなんだ!」くらいしか考えていなかったんですが。(10歳児の単純な思考)この言葉自体に複雑な背景があった、ということが「怖い絵3」(現在は死と乙女篇)の「レッドグレイブ かわいそうな先生」の解説により判明。住み込み家庭教師、はガヴァネス(gaverness)と呼ばれ働く女性が軽蔑された当時、女学校の先生と共に、軽蔑されないギリギリの職業だったということ。「現役お嬢様を教える没落お嬢様」という精神的にきつい立場に置かれていたということ。かつての同じ階級の男たちは、ガヴァネスに「身を落とした」女性との結婚をためらったため、結婚すら難しかったということ。階級制度とは、かくも厳しいものであったかと改めて驚き。

女性は「働いている」ということ自体軽蔑された、ということの裏には労働に対するヨーロッパ人の意識が関係しているのかな、と思いました。なにせ「労働は、神の与えた罰」なのだから。

マリー・キュリーもガヴァネスをしていた時、そこの息子と恋仲になるも破局したという話がありました。「マリーさんは、いい人だけど、結婚はダメだ。あの人は家庭教師なんだから」というのが相手の父親の言い分。読んだ当時はわかりませんでしたが、そういう背景があったのかと30過ぎて納得しました。偉人伝は、大人になってからの方が、歴史の流れや社会的な背景がよくわかって、もっと楽しく読めるのではないか、と最近よく思います。

「怖い絵」のデ・ジャ・ヴュなエピソード②

前回に引き続き「怖い絵」シリーズの「どっかで見たことあるな〜」エピソード、第2弾です。それは「怖い絵」収録のアルテミジア・ジェンティレスキ、「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」。発表順としてはこちらの方が先ですが、思い出すのに時間がかかったので第2弾になります。「怖い絵」を読んだのが2014年、でエピソードを目にしたのが、やはり2009年頃のグリム童話系のレディコミ。作者は忘れてしまいましたが、艶っぽい絵柄の人でした。前回の話と同様、固有名詞も時代も覚えていませんが、こちらのストーリーはかなり詳細に覚えています。列挙すると以下の内容。

  • 主人公は、絵の勉強をしている女の子(父に、もうバラの花を描くのは飽きた、と言っている)
  • 若い男が「君が美しいから、愛しいから描くんだ」とか言ってる(←多分コイツがタッシ)
  • 裁判での指締めの拷問。父が「娘は画家なんです。手だけはどうか!」と泣いている
  • 同じく裁判での産婆による身体検査
  • ヒゲのお偉いさん(←多分トスカナ大公)がニヤニヤしながら絵を注文
  • 「強姦された女がどんな絵を描くのか、見せてやる!」と内心啖呵を切る主人公
  • 出来上がった絵を見たお偉いさん、「うおぉぉぉっ!」と悲鳴をあげ、顔面蒼白
  • そして「これは、女の描く絵ではない!」と捨て台詞を吐いて、部屋から出て行ってしまう
  • それを見送りながら、内心「やった!勝った!」と思う主人公

しかしこれだけ覚えていて、なぜ固有名詞も何も覚えていないのか、自分の記憶力がナゾです。

この絵は、「技法上の師にあたる」カラヴァッジョの同名作品が元になっているという説明に、どういうことかと気になってました。父のオラツィオは、カラヴァッジョの影響を受けた「カラヴァッジェスキ」というグループの一員だったから、その繋がりなんでしょうね。

しっかし父ちゃん、人を見る目がちょっと。タッシみたいなロクデナシを娘に近づけたらダメでしょう。タッシはそんなに猫かぶりがうまかったのか、男と女では態度が違うヤツだったのか。はたまた「まさか、あの人が!」のタイプだったのか。

「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」、カラヴァッジョ版とアルテミジア版、どちらの方が好きか、といえばやっばりアルテミジアの方ですね。リアリティと臨場感がすごい。力強い腕といい、流れる血といい。そもそもオノマトペからして違う気がします。カラヴァッジョの方は

「や〜だな〜。ギコギコギコ」

ですが、アルテミジアの方は

「ていや〜!ふんぬ〜!(×2)、ゴリゴリゴリッ!、ボキィィッ!

なんですよね。リアルに人が殺せそうなのは、どう見ても後者です。

それにしても「ジェンティレスキ」という苗字、一発で読めませんでした。当初「ジェテレスキ」と読んでしまい、検索が全然引っかからず。こうなったのは、私だけではない、と信じたいです。

参考画像

ホロフェルネスの首を斬るユーディト
カラヴァッジョ版
カラヴァッジョ版
ホロフェルネスの首を斬るユーディト
アルテミジア版
アルテミジア版

画像引用 日経おとなのOFF 2019年6月号   怖い絵 中野京子 角川文庫

「怖い絵」のデ・ジャ・ヴュなエピソード①

このブログでも度々取り上げている中野京子著「怖い絵」シリーズ。読んでいるうちに「どっかで見たことあるな〜」というエピソードに2つばかり遭遇しました。

一つ目は「怖い絵 3」(現在は死と乙女篇)に収録されている、シーレ『死と乙女』。画家シーレとその愛人ヴァリのエピソードです。「怖い絵3」を読んだのが2014年。以前このエピソードを見かけたのは2009年前後、本屋で立ち読みしたグリム童話系のレディコミで、でした。作者は確か一川未宇。固有名詞も時代もよく覚えていないのですが、大雑把な話はこんな感じでした。画家のモデルをしていた女性が(全裸でポーズをとっているシーンがあった)従軍看護婦になったのち、若くして病気で亡くなる、というもの。記憶を掘り起こしつつ「怖い絵 3」を読んでいて、「あぁ、あれはこういう話だったのか」と納得しました。

まぁ、シーレは画家として才能あった方らしいですが、男としては褒められた方じゃないよな、と思います。「女の使い分け」が露骨なんですよね。「身元のしっかりした貞淑な妻」と「下層階級出身の奔放な愛人」どっちも欲しい!って。現在でもそんな男性がいる以上、当時は当たり前だったのかもしれませんが。愛人が黙って付いて来てくれる、と信じていたのが実に都合良すぎ。

しかし、ヴァリがシーレからあっさり去ることができたのは、まだ幸いだったかもと考えてしまいます。多分それは当時20世紀初頭で、女性が働ける場所が増えて来たから。それ以前の社会だったら、また誰かの愛人になるか、それとも娼婦になるか。そんな未来しか見えないのですから、そうなるくらいならこのままでいよう、とシーレにしがみついていたかもしれません。

「エゴン・シーレ 一川未宇」で検索したら、見つかりました。多分この本に収録されている話です。

愛虐のカタルシス〜女たちの激情 一川未宇 著 株式会社 ぶんか社

最近の偉人伝

2年ほど前、本屋の児童書コーナーの偉人伝の区画に行ってみました。「最近は、どんな人が偉人とされているんだろう」と気になったのです。昔とは少し違った角度から選ばれている、という報道もあったので余計に。たしかに、20年程前には目にしなかった人が増えていました。定番のエジソンやナイチンゲールに混じって、ルイ・ブライユやアンナ・パブロワなど。ちょっと立ち読みしましたが、ブライユの伝記、結構楽しく読めました。名前しか知らなかったので。そして「ああ、女性が増えたなあ」などと嬉しく思っていると、意外すぎる名前が目に飛び込んできました。

エカテリーナ2世

瞬間、「時代は変わった!」と直感しました。なぜか?斎藤美奈子の「紅一点論 アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 ちくま文庫」によると、「女が偉人になる条件」としては、

  1. 白人女性
  2. 育ちが良くて勉強好き
  3. 性的に貞淑
  4. 有力男性のお墨付きがある
  5. ポジションがわかりやすい

が、挙げられるらしいので。クーデターで夫を帝位から引きずり下ろした後、自ら即位し愛人が(わかっているだけで)12人いたエカテリーナは、二昔前なら絶対に選ばれなかった人なのです。明らかに3.に違反する上、5.のポジションに関しても、見方にとってはほとんど「悪の女王」なのですから。(ポーランド分割・農奴制の強化など)明らかに「魔法少女」でもなく、「聖なる母」でもなく、「紅の戦士」としても半端な人です。その人が「偉人」として取り上げられるようになったのは、時代が変わった証拠の一つかなと思います。1.2.4.はクリアです。貴族の家に生まれた真面目な勉強家で、ピョートル大帝の孫と結婚した後歴史の表舞台に出て、軍人達の支持のもと即位したので。

内容はというと、愛人たちのことは「恋人」とうまくぼかしていました。人数も書かれておらず、名前が出てきたのも二人だけ。後のポーランド国王、スタニスワフ・ポニャトフスキと、クーデターの立役者のグリゴーリー・オルローフだけでした。

蛇足:マリー・アントワネットも取り上げられていましたが、この人って「偉人」なんでしょうか?私個人の主観では「有名人」であっても「偉人」ではない気がします。(悪女でもないですが)前掲書によると「お姫様」の代名詞としてではないか、という分析でした。母親のマリア・テレジアの方が、取り上げる順番が後になってましたが、これって逆なんじゃないか?しかし、マリア・テレジアの伝記、私が小学生の時読みたかったですねぇ。それにしても、親子で偉人伝に取り上げられるってのもすごいな。