ネットDE知識上書き2 アスワン・ハイ・ダムの弊害

前回に続きまして「ネットDE知識上書き」の第2弾は、アスワン・ハイ・ダムの弊害です。

アスワン・ハイ・ダムとは、エジプトのナイル川に作られた巨大ダムです。詳しくは、こちらから。私がこのダムのことを知ったのは、やはり小学生の頃。このダムが出来たことで、ナイル川の洪水がなくなったため、人や家が押し流されることもなくなりました。川の流れが穏やかになったため、クルーズ船による観光も行われ、ダム湖では水力発電も出来て万々歳!

とはいかないんですよね。

光には影が従うもの。いいこともばかりではなく、当然悪いこともあった訳です。

悪いことの一つが感染症の流行。

この感染症ですが、小学生当時は、マラリアだと勝手に思っていました。私が読んだ本には、単に「感染症」としか書かれていませんでした。それ以外の熱帯病を知らなかった、というのもあるし(所詮小学生)、ダムができる→四六時中水がある→ヤブカ大発生、というプロセスが即座に頭に浮かび、「むしろそれ以外に何があるの?」という感じでした。

そして、マラリアだと思い込んで20数年経過…なんと寄生虫だったことがネット上の情報で判明。それは「ビルハルツ吸血虫」という寄生虫でした。Wikipedia文学で名高い、日本住血吸虫と同タイプのいわゆる「住血吸虫」。皮膚を食い破って感染するタイプの寄生虫です。ナイル川の洪水がなくなったため、中間宿主の巻貝が大繁殖してしまい、結果感染者激増、という次第だそうで。

知ってまず、「寄生虫って感染症に分類されるんだー」と妙に感心してしまいました。「感染症」といったら、細菌やウイルスしか浮かばなかったので。それに意外だったのが、この手の寄生虫の感染経路です。皮膚を食い破って体内に侵入するなんて、意外過ぎの上に厄介なことこのうえない。寄生虫といったら口から入るもの、だとばかり思っていましたので、とにかく驚きでした。それに症状が多彩すぎるし、実に深刻。私、これまで寄生虫にはどこかユーモラスなイメージすら持っていたのですが、認識を改めましたよ。寄生虫怖えぇぇぇ ! !

なんで、寄生虫にユーモラスなイメージが付いていたのか?寄生虫博士・藤田絋一郎氏の影響か、はたまたサナダムシダイエットのイメージか。勿論腸管に寄生するタイプの寄生虫も、栄養障害を引き起こすので、途上国への食料支援の大きな妨げになっていることは知ってました(いくら食糧を支援しても寄生虫が吸収してしまうので、人の栄養状態が改善しないから)。しかし、住血吸虫症の悪影響はその比じゃないですね。

ネットDE知識上書き1 ツァボの人喰いライオン

さて、「子供の頃、読書で仕入れた知識をネットDE修正」の回。まずは①ツァボの人喰いライオンから。

どんな出来事だったか?詳しくはこちらをどうぞ。大雑把に説明すると、1898年の東アフリカに現れた、2頭の人喰いライオンの話です。

私が小学生の頃、読んだ本には「この2頭はメス」と書いてありました。

普通、群れから離れて行動するライオンはオス、だということは、動物好きの私は当時すでに知っていました。なので、メスだけで群から離れるなんてライオンにしては珍しいな、と思いました。がその時は、「人喰い」という規格外の個体なのだから、行動も規格外なんだろうとすぐに納得してしまいました。

しかし、実はオスだったことがWikiの記事で判明

実は、このツァボという地域に住むライオンは、オスのたてがみが薄かったり、全くなかったりするそうです。蒸し暑い気候のツァボに適応するため、こう進化したらしい、とのこと。

確かに、リンク先のwikiの剥製の写真を見ても、2頭ともほとんどたてがみがありません。よく知らない人が見たら、メスだ、と思うでしょう。たぶん約40年前には、たてがみ云々の情報は入ってきていなかっただろうから、写真の見た目から判断して、2頭はメス、という記述になってしまったのかもしれません。やっぱり、いくら「人喰い」という規格外の個体でも、ライオンとしての行動はセオリー通りだったのですねぇ。メスだけで群れから離れるようなことはない、と。

ブログが書けない!

更新が途絶えまくりなこのブログ、もはや季刊報告な方がいいんじゃね?と、自分でも言いたくなります。いや、そもそも読者様がいるのかどうかも不明ですが。何はともあれ、久々の更新です。

書けなかった理由1

ぶっちぎりで書きたいネタがなかった、というのがまず一点。書きたい‼︎というネタは複数あったのですが、どれもどんぐりの背比べ状態だったのです。「書きたい度50」くらいのネタが5・6個ある状態で、一体どれから書けばいいのやら自分でもわからない。いつもならば、そのいくつかを頭の中で転がしているうちに、「書きたい度80」位に成長するのが一つくらい出てくるので、それを書くのですが、それができませんでした。脳内ネタ転がしはなんとかできても、きちんとした文章になってないのです。この辺は、理由2とも関連しています。

書けなかった理由2

書かないことはあまりに楽なので、それに慣れてしまうと二度と書けなくなる

アメリカの作家、ジョン・アップダイク

まさにこれでした。楽なんですよ。本当に!書かないことはラクなんです!頭を使わないのはラクなんです!!脳内ネタ転がしをきちんとした文章に練り上げるのには、当然頭を使うわけですが、それなりに大変で苦しいです。しかーし、同じ位楽しくてワクワクしてしまうのも事実です。いつもはなんとか、楽しい>>大変という状況に誘導して書いているのですが、疲労やストレスのせいかそれができなかったのです。

書けなかった理由3

ネット検索依存症になってしまったこと。と言うより、ブログを書く気力も時間も捻り出せず、さりとてぼーっとするのももったいない、という心理状態で、何かしなくては!と焦った結果飛び付いたのが、ネット検索でありました。ぼーっとするより、ネット検索してた方が何か生産性がある?と錯覚してしまったのです。そして、ずるずるとやめられない→余計に思考力低下・眼精疲労・睡眠不足→さらに何もできない、という悪循環でした。

理由3からのネタ拾い

ですが、ネット検索しまくっているうちに気づいたことがありました。それは、

その昔(主に小学生時)、読書で仕入れた知識のうち、実は間違っていたor思い込みだったものがいくつかあった 

ということでした。代表的なのが、①ツァボの人喰いライオンと②アスワン・ハイダムの弊害の2つです。何がどう間違っていたのか?それを次回から書こうと思います。

中華思想に出会った日

それは小学6年時。社会(歴史)の授業の、グループ学習の発表の時間で、でした。(当時の担任は、グループ学習・調べ学習が大好きな人でした)とある男子グループの

「中国の意地悪!?」

というタイトルでの発表だったと記憶しています。

内容はヤマトが「邪馬台」、ヒメコが「卑弥呼」となっている理由。「邪」・「卑 」と悪い意味の漢字が当てられているのは、中国側の意地悪のせい、という内容の発表でした。私の感想は「へぇ、そうなんだ」という単純なもの。「わざわざそんなことしてどうする?」以外特に何も出てきませんでした。担任は、中国・韓国と仲良く❤️なバリバリの左系統人でしたが、発表の邪魔をする、なんて事はしませんでした。ただ苦笑しながら見守っていただけです。これはごく普通の対応なのですが、世の中にトンデモ教師が多いことを考えると、褒めるべきなのかもしれません。

「相手に悪い意味の文字をわざと当てる」、その根底にあるのが「中華思想」だと知ったのは高校生の頃。図書室にて、あれこれ歴史の本をひっくり返して調べていて判明しました。そしてこれが、対日本特有のものでない、ということも。「匈奴」や「吐蕃」もその一例だということです。(確かに、’奴’も’吐’も良い意味ではない)わざわざ相手に蔑称をつけ、それを公文書に残す。考えてみれば、かなり陰険で底意地の悪い行いです。このことから、大陸の人々は単なるカワイソウな集団ではないらしい、とこの時うっすら気づきました。裏を返せばそれまで私にとって、

中国大陸の人々はカワイソウな人たちであった

というわけです。何かにつけ、「日本の振る舞いに傷ついた、謝罪しろ!」と叫んでいるシーンの報道を見ながら、「あぁ、傷ついているのか。なんて可哀想なんだろう」と素直に哀れむのが日常でした。ですので、この気づきは確実に私の思考のターニングポイントだったと言えます。

この担任(N先生)については、色々と香ばしいエピソードがたくさんありまして、追々書いていこうと思います。問題は、エピソードがありすぎて、どこから書けばいいのかわからないことです。orz。

偉人伝の謎①

前回に引き続き、偉人伝話。

主に小学生の頃に、たくさん偉人伝を読んでました。(半分は学習漫画)で、大量に読み込んでいるうちに、だんだんと疑問や引っ掛かりを感じることが多くなりました。しかもいくら読み込んでも、よく分からない・全然理解できないものばかり。不愉快なモヤモヤが心に溜まっていきました。列挙するとこんな感じ。

  1. シューベルトの死に方が急すぎる。元から体が丈夫でないとは言え、こんなにアッサリ死ぬのか?(食あたりか腸チフスで寝込む→無理して悪天候の中、ベートーベンの葬儀に出席→更に体調悪化し死亡)
  2. チャイコフスキーの人生、女っ気なさすぎ(結婚には失敗、資産家女性からの資金援助はなぜか途中で断る)
  3. ナイチンゲールが「看護婦になりたい」と言った時の家族の反対が激烈すぎ(当時は看護婦=だらしない女性、のイメージがあったとは言えここまでか?)
  4. シューマンが入院した後、自殺未遂を繰り返すに至ったその過程が不明瞭(創作が行き詰まってノイローゼになったのかと思った)
  5. 野口英世が研究していた「梅毒スピロヘータ」という病気の説明が大雑把すぎて意味不明(チフスやコレラの説明文とは明らかに違い、感染経路も症状も全然書かれていない)
  6. ヘレン・ケラーの人生が勉強と講演ばかり。それで人生楽しかったのか?(障害者の恋愛、は時代からしたら難しかったかもしれないが、それで良かったのか?)

これらのモヤモヤ、成人したあたりから、少しづつ溶けていきました。まあ、結論からいうと

性にまつわるエトセトラ

だったのです。具体的にあげると

  1. もともと梅毒、及び水銀療法のため体力がおちていたから
  2. チャイコフスキーはゲイだった
  3. だらしない、とは「性的な意味で」だった(要は娼婦のイメージがあった)
  4. シューマンの精神疾患は、梅毒の末期症状
  5. 梅毒は性感染症のため、子供向けの本では詳しく説明できなかったから
  6. 好きな人はいたらしいが、周囲が(特に母が)引き裂いた模様

ということでした。「偉人伝」ですもの、「聖人伝」ではありませんから。泥臭く生臭いエピソードがあって当然です。しかし1,4,5,が、「梅毒」という一つのキーワードで繋がってしまったのはびっくりでした。どんだけ流行してたんだ。

野口の伝記について:梅毒が説明しづらい病気だとしても、梅毒の説明が不完全だと、野口の功績がうまく伝わらないのでは?「一部の精神疾患は感染症が原因で起こる」ということを発見した功績が。高校生くらいで性教育も絡めて、しっかり教えてもいいんじゃないかと思います。親から苦情が来ても「偉人の生涯について教えました」と言えばなんとかなるかも。

ちなみに、梅毒の説明文は脚注で「梅毒スピロヘータによって引き起こされる、恐ろしい法定伝染病」と書かれていた感じでした。梅毒が「梅毒スピロヘータ」によって引き起こされる、というのは本文中で既に説明されているし、恐ろしいからこそ「法」で「定」められていて、野口が必死こいて研究してるんだろう!もうトートロジー、同語反復のカタマリで説明になっていませんでした。不親切すぎて腹が立つ文章でした。

読んではいけない本 in 図書室

小学校低学年の頃、国語の時間がたまーに読書の時間になることがありました。1時間、図書室内の好きな本を好きに読んでいいのです。本の好きな私にとって、超幸せな時間でした。高学年になると、いつの間にか無くなってしまいましたが。

小学3年時の担任の先生は、マンガが嫌いな人でした。それ自体は個人の嗜好なので別にいい。問題なのは、読書の時間の前にわざわざ「マンガは読んではいけません!」と注意してくること。自分の好みをクラス全体に強要してくるんですよ。私は、先生の言う「マンガ」とはいわゆる「ストーリーマンガ」、DRAGON BALLやSLAM DUNKみたいなものだと解釈していました。その類いのものは、図書室にはない。ないものをわざわざ「読むな!」と言ってくる理由が、わかりませんでした。「先生がなんか意味不明なこと言ってる。ま、気にしないどこ。」と、構わず自分の好きな本を読んでいました。

ら、注意されましたよ。

「その本は読んではいけません!」と。

私が読んでいたのは「学習漫画」。単なるストーリーマンガではなく「学習」漫画。「学習」なのにダメな訳?読んではいけない理由がわからない。そもそも、

読んではいけない本がなぜ図書室に存在するのか?

先生からの説明は何も無し。なので「先生は何か勘違いをしている。私は間違ったことはしていない」と脳内で結論を出し、構わず読み続けました。

そして、注意を無視して読書を続ける私。に対して、やらしいことに先生は私の友達を使って注意してくるのです。「その本読んじゃいけないんだよ」友人達がしつこく迫ってくるのですが、余計意地になって読み続けました。「読んじゃいけない本がなぜ図書室にあるんだ!校長先生がオッケーのハンコを押したからだろ!図書室にある本は読んでいいんだよ!何でみんなわからないんだ!」(内心絶叫)もう情けないやら理不尽やら、本の内容と相まって最終的には半泣きで読んでいました。

私はどうすればよかったか?一番無難なのは「図書室中の学習漫画をゴミ箱に放り込む」ですかね。「読んじゃいけない本が図書室に存在するのは、おかしい。だから捨ててあげた」と言えばまあ、筋は通っていますし。親呼び出しになっても、私は別にいいので。

しかし校長先生が購入・設置を許可した本を、平担任ごときが勝手に規制するのは越権行為では?

ちなみに、私が読んでいたのは「学習漫画 世界の偉人 マザー・テレサ」です。そんなにヤバイ本ですかね?

「はだしのゲン図書室撤去騒動」を聞いて思い出しました。

自分の読む本は自分で決めるものです。結果トラウマになっても、それは自己責任(経験有り)。そもそも、学校の図書室には有害図書も18禁もありません。そこまで予防線を張る必要はないのでは?

活版印刷の第一印象

グーテンベルクの活版印刷のことを知ったのは、小学5・6年くらいの時でした。図書室で読んだ「マンガ 世界の歴史」みたいな本で。そしてその第一印象は、

そんなに便利なものなのか?

でした。「すっごーい!!」と素直に褒め倒す気分ではなかったことを、覚えています。

確かに、画期的です。いちいち人が書き写さなくてもよくなったのですから。そのため本の値段が下がり、大衆に知識が、聖書が行き渡った。そしてそれが、ルターの宗教改革を生んだ。歴史を大きく動かす原点になった、のはわかるのですが、そこまで褒め倒すほどのことなのかと。

そもそも面倒でしょう。

ひらがな・カタカナだけで100文字もある!

漢字を部首ごとに分けて作ったら、さらに数が増えちゃう!

そう、私は日本語で考えてしまっていたのですヨーロッパはアルファベット表記なので、26文字のセットがいくつかと、よく使う文字だけ追加で作ればそれで事足りる訳で。確かに調べてみると、活版印刷自体はグーテンベルクよりかなり前に中国で行われているのですが、大量の漢字の活字を作るのが大変だったため、あまり広がらなかったらしく。(これは日本も同様)素晴らしい技術があっても言語構造がその普及を阻むこともある、ということでしょうか。そして不思議なのは、活版印刷とは縁遠かった中国・日本の方が、出版点数では常にヨーロッパを上回っていた、ということです。技術があったから、本が増えた!というほど単純な状況でもないようです。

蛇足:活版印刷と宗教改革のコラボにより、聖書の中身が人々に広まったのはとても良いことです。が、一緒にユダヤ人差別まで広がってしまった。禍福は糾える縄の如し、と言いますが、禍が予想より深刻でした。

踏み絵考

小学校6年生の頃、歴史の授業で「踏み絵」を学びました。

踏み絵:Wikipedia

で、当時から疑問でした。

なぜ、沢山の人が踏み絵を踏まずに捕まってしまったのだろうか?

12歳の私は、キリスト教について詳しくなかったけれど、なんとなく「偶像崇拝禁止」だとは知っていました。なので「踏み絵」なんて偶像そのものなんだから、んなもん別に踏んだって問題ないじゃないか、片っ端から踏みゃいいだろ、と考えていました。単純に解説するとこんな感じ。

キリスト教は偶像崇拝禁止である

踏み絵は、どこからどうみても偶像である

踏み絵を踏むことは偶像崇拝を否定することである

踏み絵を踏むことはキリスト教の教義にかなうことである

踏み絵はどしどし踏むべし

さて、踏み絵を踏むことはキリスト教の教義上どうなのか?いいのか、悪いのか?教科書にも資料集にも載っていなかった上、うまく言葉にできなくて先生にも質問できませんでした。もちろん内心葛藤を抱えながら踏み絵を踏み、死刑を免れた人もそれなりにいたことは知ってました。(だから隠れキリシタンが存在したわけで)その人たちはイエスやマリアの像を踏んだことを、ずっと悔いていたんだろうか。心に後ろめたさを抱えたまま、その後の長い人生を過ごしたんだろうか。それを考えると重苦しい気持ちになることが、度々でした。

仕方がないので、20歳過ぎてから自分で調べてみました。すると、「踏み絵は踏んでいい」ということが判明。「キリスト教は内面と外面の区分が特徴」なので「偶像崇拝を拒絶する」と思いながら、どしどし踏めば良いとのこと。「イエスやパウロに相談したなら迷うことなく踏めというはず」という名言まで収穫できました。(参考文献:日本人のための宗教言論 著:小室直樹 徳間書店)

この記事を書くにあたり調べ直したところ、踏み絵は初期の頃は成果をあげたものの、後期になるとそうでもなくなった。「内面と外面の区分」の考えが広まった結果、役人の前ではシレッと踏み絵を踏んでおいて、信仰を守る人が増えてきたらしいです。つまり、後ろめたさ一色の人生を送った人は少なかったと推測できます。ああ、よかった。(先のWikipedia参照)しかし初期の頃からこの考えが広まっていたら、キリシタン狩りの犠牲者はもっと少なくて済んだはず。なぜ最初から広まっていなかったのか。残念です。