「男女別」時間割の謎

1990年代半ば、我が家に「まんがでわかる!高校生の勉強法」みたいなタイトルの本がありました。当時私は小学校高学年だったんですがね、WHY?んで、その中に「学校の時間割に合わせて、自宅でも時間割を作って勉強しよう」という内容がありまして、一例として時間割が載っていたのですが、その中に意味不明なモノがありました。

それは、学校の土曜日の3・4時間目が(←当時まだ土曜日授業があった)

男子:体育

女子:家庭科

だったのです。

はあ

どういうこった?

とにかく完全に理解不能。なぜ男女で学習内容が違っているのか。小学校では家庭科は男女共に必修だったので、余計に混乱。それにこの時間割からは、何かイヤーなものが滲み出てるのを感じてました。「男はたくましくてナンボ」「女は黙って飯炊きでもしてろ」のような。子供心にもほんのり不快で。「悪意を感じすぎ」と言われたらそれまでですが。

この記事を書くにあたって調べてみると、家庭科の男女共修は、小学校は新学制発足当時1947年からでしたが,中学校は1993年から、高校は1994年からとのこと。きっとこの本の原案が企画された当時は、高校の家庭科は女子のみだったのでこんな内容になったのでしょう。

しかしこの時間割、単に差別的なだけでなく、運動の苦手な男子にとっても酷ですよね。2時間も一体何をするのか。剣道や柔道といった武道をやっていたところが多いらしいですが。それだけで2時間潰すのも大変な気がします。調理実習だったら2時間あっという間なのに…授業というか、苦行か?

中華思想と幻獣の意外な関係

私は昔からファンタジーが、想像上の生き物が好きでした。7歳くらいの時には、ペガサスが存在しないことを本気で悔しがっていた記憶があります(笑)。高校生位になると、「幻想生動物事典」やら「幻想世界の住人たち」といった本を主に学校の図書室で漁っていました(今は文庫版が出ているようです)。ファンタジーの世界にドップリ浸かる、とても幸せな時間。時々ゲームやマンガの元ネタを見つけては、ニンマリしていたものです。

幻想生物もいくつかのカテゴリーに分けられます。神獣(例:麒麟)や合成動物(例:キマイラ)という風に。その中に「異形人類」というカテゴリーがありまして、これは読んで字の如く異形の人間のこと。例としては耳長人のような。大量に前掲書やその類似書を読んでいて気づいたのですが、この異形人類、中国大陸由来のものがやたらと多いのです。前掲の耳長人に加えて、長股人・長臂人・一目人・貫匈人etc…

なんでか?少し考えてみたら結論が出ました。答えは

中華思想

でした。

東夷・西戎・南蛮・北狄。中原以外は皆蛮族の住む地、異形の人間がたくさん住んでいるに違いない、という想像がたくさんの異形人類を生んだのだろうと思います。それにしてもすごい想像力です。

しかし思想でもなく歴史でもなく、ドップリ趣味の世界に浸かっていて中華思想に遭遇するとは思いませんでした。

蛇足:「ペガサスは存在しない、というか不可能」という身も蓋もない現実を私に突きつけたのは、奥本大三郎訳の「ファーブル昆虫記」でした。「500kgの馬の巨体を宙に浮かすには大量の筋肉が必要。だがそんなことをしたらもっと重くなって余計に飛べなくなってしまう、だから無理」という単純明快な理論の前に、幼い私は完敗でした。ちなみに「でもカマキリならできるよ、小さいから」と続くのですが、ソレジャナイ感がすごかったです。

フィクション作品の固有名詞

現代社会を舞台としたフィクション作品(漫画・小説など)を読んでいると、現実世界のものをもじったような固有名詞が出てきます。

それらの中には、すんなり受容できるものもあれば、そうではないものもあり。受容できないものに対しては、読んでいる方が気恥ずかしくなったりします。ざっと仕分けすると以下こんな感じ。

受容できるもの

  • 人気アイドルグループ 山風・台風
  • 芸能事務所 シャイニーズ
  • 政治家 中田 角治
  • 俳優 本村 哲也
  • アメリカ大統領候補 ジム・ハミルトン

受容できないもの

  • 人気アイドルグループ SMOP
  • 芸能事務所 ジョミーズ
  • ラッキード事件
  • ファッション誌 mom・mon

この違いは何なのか?自分なりに分析してみたところ、まず一つ目に「ひねりがあまりに安直過ぎてパチモンっぽく聞こえるから」、という結論が出ました。一昔前に東アジア某所に存在したという、NITSUBISHI自動車やクリスティナ・ディオールのように聞こえるんですね。それともう一つ「ひねった後の語感が日本語として変だから」というケースです。ダサソー、みたいな。

一方、それなりにアレンジがしてあったり(例:山風)、メインストーリーにほとんど関わらない場合はあまり変な感じはしません。「本村 哲也」なんて顔がまんまキムタクでしたが、その作品中では「世間の人気俳優」としてサラッと出てきただけなので、特に違和感もありませんでした。でも、主人公達が夢中になっているアイドルグループが「SMOP」だったりすると、もうおかしくてたまらない。「MOP」ってなにー?と思ってしまって。(これが後者のパターン)「ラッキード事件」に関しては個人的に一番ウケました。「逮捕されてるのにラッキーって wちょw」という感じで。しかも作中ではみんな大真面目に話しているのが、もうトドメでした。

しかしこうして考えてみると、日本人の名前はアレンジがしやすいため、ある意味ラクなのではないかと思えてきます。「中田 角治」みたいに少し漢字をいじればいいのですから。「東京都知事 大池 百合江」や「永田町のホープ 泉田 信次郎」というキャラが出てきても特におかしくない。(これは今テキトーに考えました)元ネタは、まあ、皆さんわかります、よね?

昔話の「姉妹」考

私、幼い頃から絵本などで、たくさんの昔話や童話を読んできました。

しかしそれらの中で、どうしても好きになれない、というか嫌いな設定がありました。

それは、「ブサイク・ワガママ・怠け者の姉」と「美人・気立てよし・働き者の妹」、という設定です。

実は私も二人姉妹の姉、なのです。で、この設定を何回も何回も見ていると、

「姉とはこのような生き物なのだ」

「お前もいずれこうなるんだ」

「これがお前の本性だ」

と、圧倒的・絶対的な誰かから決めつけられ、そのような「姉」になることを押し付けられている気がしました。「私はこんな人間じゃない!」と反論したかったのですが、誰に言えばいいのかも分からない。その上、そもそも「姉妹仲良く」という昔話は少ないため、反例が見当たらない。シンデレラも「意地悪な姉」でしたね。義理ですが。

まあ、当時から多少わかってはいました。

昔は儒教的価値観が強く、「長幼の序」が絶対。要は年上アゲ・年下サゲだった訳で。そんな状況で妹をダメ人間として書いたら救いがないため、姉をダメ人間として書くしかなかったんですよね。

わかってはいたけれど、不快な設定でした。せめて「仲良し姉妹で美人・気立てよし・働き者」という設定の話がもう少し増えればいいのですが。それでは話としておもしろくならないんだろうな、と予想してしまいます。悩ましいものです。

ブログ始めました!

こんにちは!

富永と申します。

今日からブログを始めました。

毎日時事ネタから社会問題まで、色々なことを考えているうちに、誰かにひたすら語りたくなってきました。あれこれ調べていくうちに、ブログは世間に広く発信することができるし比較的敷居が低め、と判明。よし!やってみようというのがまず一つ目の理由です。一人で悶々と考えているよりもアウトプットした方が、考えもよりわかりやすくまとまるでしょうし。

今までそういうことは、2親等内の人間(要は家族)に話してきたのですが、それだと話の内容が「家族」以外に広がらない、という限界があります。せっかく考えたのに、と何か物足りなさや不満を感じていました。

それに、相手がその話題に興味がなかったりすると、そこでアッサリ終了してしまう。私としてはそれが不満で、何度も同じ話題を振ってしまうという悪循環を引き起こしていました。しかし、赤の他人に語るわけにもいかない。そもそも一方的に吐き出されるのも家族といえどもうんざりでしょう。

発信する側が受信する側のお邪魔をせずに、好きに発信できる。そんな理想の媒体を探した結果がブログでした。それが二つ目の理由です。

また私の妙な特技として、昔のことをよく覚えている、ということがあります。そして子供の頃にふっと感じた疑問が、成人後に溶けたことが結構ありました。

「あれは、そういうことだったのか!」

と。同様に昔感じた違和感の理由が、いきなり判明したり。それらを色々公開してみるのも、面白いんじゃないかと考えました。これが三つ目の理由です。

世界のどこかで私と同じ考えの人、似たような体験をした人がいるかもしれない、いなかったとしても誰かの思考のヒントになるかもしれない、それを目標にブログを書き続けようと思います。