偉人伝の謎①

前回に引き続き、偉人伝話。

主に小学生の頃に、たくさん偉人伝を読んでました。(半分は学習漫画)で、大量に読み込んでいるうちに、だんだんと疑問や引っ掛かりを感じることが多くなりました。しかもいくら読み込んでも、よく分からない・全然理解できないものばかり。不愉快なモヤモヤが心に溜まっていきました。列挙するとこんな感じ。

  1. シューベルトの死に方が急すぎる。元から体が丈夫でないとは言え、こんなにアッサリ死ぬのか?(食あたりか腸チフスで寝込む→無理して悪天候の中、ベートーベンの葬儀に出席→更に体調悪化し死亡)
  2. チャイコフスキーの人生、女っ気なさすぎ(結婚には失敗、資産家女性からの資金援助はなぜか途中で断る)
  3. ナイチンゲールが「看護婦になりたい」と言った時の家族の反対が激烈すぎ(当時は看護婦=だらしない女性、のイメージがあったとは言えここまでか?)
  4. シューマンが入院した後、自殺未遂を繰り返すに至ったその過程が不明瞭(創作が行き詰まってノイローゼになったのかと思った)
  5. 野口英世が研究していた「梅毒スピロヘータ」という病気の説明が大雑把すぎて意味不明(チフスやコレラの説明文とは明らかに違い、感染経路も症状も全然書かれていない)
  6. ヘレン・ケラーの人生が勉強と講演ばかり。それで人生楽しかったのか?(障害者の恋愛、は時代からしたら難しかったかもしれないが、それで良かったのか?)

これらのモヤモヤ、成人したあたりから、少しづつ溶けていきました。まあ、結論からいうと

性にまつわるエトセトラ

だったのです。具体的にあげると

  1. もともと梅毒、及び水銀療法のため体力がおちていたから
  2. チャイコフスキーはゲイだった
  3. だらしない、とは「性的な意味で」だった(要は娼婦のイメージがあった)
  4. シューマンの精神疾患は、梅毒の末期症状
  5. 梅毒は性感染症のため、子供向けの本では詳しく説明できなかったから
  6. 好きな人はいたらしいが、周囲が(特に母が)引き裂いた模様

ということでした。「偉人伝」ですもの、「聖人伝」ではありませんから。泥臭く生臭いエピソードがあって当然です。しかし1,4,5,が、「梅毒」という一つのキーワードで繋がってしまったのはびっくりでした。どんだけ流行してたんだ。

野口の伝記について:梅毒が説明しづらい病気だとしても、梅毒の説明が不完全だと、野口の功績がうまく伝わらないのでは?「一部の精神疾患は感染症が原因で起こる」ということを発見した功績が。高校生くらいで性教育も絡めて、しっかり教えてもいいんじゃないかと思います。親から苦情が来ても「偉人の生涯について教えました」と言えばなんとかなるかも。

ちなみに、梅毒の説明文は脚注で「梅毒スピロヘータによって引き起こされる、恐ろしい法定伝染病」と書かれていた感じでした。梅毒が「梅毒スピロヘータ」によって引き起こされる、というのは本文中で既に説明されているし、恐ろしいからこそ「法」で「定」められていて、野口が必死こいて研究してるんだろう!もうトートロジー、同語反復のカタマリで説明になっていませんでした。不親切すぎて腹が立つ文章でした。

最近の偉人伝

2年ほど前、本屋の児童書コーナーの偉人伝の区画に行ってみました。「最近は、どんな人が偉人とされているんだろう」と気になったのです。昔とは少し違った角度から選ばれている、という報道もあったので余計に。たしかに、20年程前には目にしなかった人が増えていました。定番のエジソンやナイチンゲールに混じって、ルイ・ブライユやアンナ・パブロワなど。ちょっと立ち読みしましたが、ブライユの伝記、結構楽しく読めました。名前しか知らなかったので。そして「ああ、女性が増えたなあ」などと嬉しく思っていると、意外すぎる名前が目に飛び込んできました。

エカテリーナ2世

瞬間、「時代は変わった!」と直感しました。なぜか?斎藤美奈子の「紅一点論 アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 ちくま文庫」によると、「女が偉人になる条件」としては、

  1. 白人女性
  2. 育ちが良くて勉強好き
  3. 性的に貞淑
  4. 有力男性のお墨付きがある
  5. ポジションがわかりやすい

が、挙げられるらしいので。クーデターで夫を帝位から引きずり下ろした後、自ら即位し愛人が(わかっているだけで)12人いたエカテリーナは、二昔前なら絶対に選ばれなかった人なのです。明らかに3.に違反する上、5.のポジションに関しても、見方にとってはほとんど「悪の女王」なのですから。(ポーランド分割・農奴制の強化など)明らかに「魔法少女」でもなく、「聖なる母」でもなく、「紅の戦士」としても半端な人です。その人が「偉人」として取り上げられるようになったのは、時代が変わった証拠の一つかなと思います。1.2.4.はクリアです。貴族の家に生まれた真面目な勉強家で、ピョートル大帝の孫と結婚した後歴史の表舞台に出て、軍人達の支持のもと即位したので。

内容はというと、愛人たちのことは「恋人」とうまくぼかしていました。人数も書かれておらず、名前が出てきたのも二人だけ。後のポーランド国王、スタニスワフ・ポニャトフスキと、クーデターの立役者のグリゴーリー・オルローフだけでした。

蛇足:マリー・アントワネットも取り上げられていましたが、この人って「偉人」なんでしょうか?私個人の主観では「有名人」であっても「偉人」ではない気がします。(悪女でもないですが)前掲書によると「お姫様」の代名詞としてではないか、という分析でした。母親のマリア・テレジアの方が、取り上げる順番が後になってましたが、これって逆なんじゃないか?しかし、マリア・テレジアの伝記、私が小学生の時読みたかったですねぇ。それにしても、親子で偉人伝に取り上げられるってのもすごいな。

読書ノートの思い出

小学校高学年のある日、父から「読書ノートをつけなさい」と言われたことがあります。読書好きだが、読みっぱなしの娘に対して、何か思うところがあったのかもしれません。当時特に反対する理由もなかったので「ま、そんくらいならいっか」と読書ノートをつけることにしました。ちなみに読書ノートは、市販のキャラクターノートに父が線を引いて、書名・著者・出版社の欄を作った自作モノです。

しかしこれはまあ、はっきり言って

大 失 敗

でした。第一に、もうとにかく面倒臭いのです。本を読んだら、ノートに書かなくてはいけないのですから。当時の私は児童書ならかなり早く読めたため、その分書く頻度が増える。というわけで、私の脳内では

読むのは楽しいのだけれど、書くのはイヤ→読みたいんだけど書きたくない

→書きたくないから読まない→でも、読みたい!→最初に戻る

の堂々巡りになってしまい、何も手につかないままイライラしてその場から動けなくなり、結果時間を無駄にしてしまうことが多発しました。

第二に、とにかく書きづらいのです。なぜなら記入欄が狭いから。(これは完全に父の責任)本が挿絵付きだったりすると、「著者」の記入欄に「作:〇〇 △△ 絵:□□ ××」と書かなくてはいけないのですが、そのスペースがギリギリ。特に翻訳物だと文字数が増える上に、訳者まで書かなくてはいけない。当然書ききれません。(例としては作:アストリッド・リンドグレーン 訳:下村隆一、みたいな感じ)

私は当時から学習漫画をよく読んでいたのですが、これが一番の難敵でした。学習漫画には「作者」が複数いるのです。大抵「原作・漫画・監修」と3人いるんですが、やはりスペースに収まりきらない。当時は「原作・漫画・監修」の意味すらわかってなかったので、書き写すのが苦痛でした。しかも「監修」はほとんどが大学の偉い先生で、名前に使われている漢字が難しくて書くのが面倒臭く、場合によっては書けなかったり。(国語の成績が良かったとはいえ、所詮小学生でした)

そもそも、どんな本をノートに書けばいいのか。初回読みの本しか書いてはいけないのか、同じ本を何度も読み返した場合は、その都度書くべきなのか。わからない。父に聞けばよかったんですが、なぜか毎度毎度聞きそびれて、いつもイライラしていました。

以上の理由で、じきに読書ノートには、ミミズののたくったような平仮名での殴り書きや、「〃」の記号が並ぶ状態になり、最終的には放置されました(爆)父は何も言いませんでした。ああ良かった。しかし、父の目的はなんだったのか。いまだによくわかりません。

2年ほど前、図書館から借りてきた読書術の本に「読書ノートはつけるな。面倒くさくて続かないから」と書いてありました。ええ、仰る通りで。もう首がもげるほど頷きましたね。私にとっては、百害あって一利なし。危うく読書が嫌いになりかけました。「読みたいんだけど書きたくない!読みたいんだけど書きたくない!」の状態で動けない苦しさは、もう二度と味わいたくないです。

読んではいけない本 in 図書室

小学校低学年の頃、国語の時間がたまーに読書の時間になることがありました。1時間、図書室内の好きな本を好きに読んでいいのです。本の好きな私にとって、超幸せな時間でした。高学年になると、いつの間にか無くなってしまいましたが。

小学3年時の担任の先生は、マンガが嫌いな人でした。それ自体は個人の嗜好なので別にいい。問題なのは、読書の時間の前にわざわざ「マンガは読んではいけません!」と注意してくること。自分の好みをクラス全体に強要してくるんですよ。私は、先生の言う「マンガ」とはいわゆる「ストーリーマンガ」、DRAGON BALLやSLAM DUNKみたいなものだと解釈していました。その類いのものは、図書室にはない。ないものをわざわざ「読むな!」と言ってくる理由が、わかりませんでした。「先生がなんか意味不明なこと言ってる。ま、気にしないどこ。」と、構わず自分の好きな本を読んでいました。

ら、注意されましたよ。

「その本は読んではいけません!」と。

私が読んでいたのは「学習漫画」。単なるストーリーマンガではなく「学習」漫画。「学習」なのにダメな訳?読んではいけない理由がわからない。そもそも、

読んではいけない本がなぜ図書室に存在するのか?

先生からの説明は何も無し。なので「先生は何か勘違いをしている。私は間違ったことはしていない」と脳内で結論を出し、構わず読み続けました。

そして、注意を無視して読書を続ける私。に対して、やらしいことに先生は私の友達を使って注意してくるのです。「その本読んじゃいけないんだよ」友人達がしつこく迫ってくるのですが、余計意地になって読み続けました。「読んじゃいけない本がなぜ図書室にあるんだ!校長先生がオッケーのハンコを押したからだろ!図書室にある本は読んでいいんだよ!何でみんなわからないんだ!」(内心絶叫)もう情けないやら理不尽やら、本の内容と相まって最終的には半泣きで読んでいました。

私はどうすればよかったか?一番無難なのは「図書室中の学習漫画をゴミ箱に放り込む」ですかね。「読んじゃいけない本が図書室に存在するのは、おかしい。だから捨ててあげた」と言えばまあ、筋は通っていますし。親呼び出しになっても、私は別にいいので。

しかし校長先生が購入・設置を許可した本を、平担任ごときが勝手に規制するのは越権行為では?

ちなみに、私が読んでいたのは「学習漫画 世界の偉人 マザー・テレサ」です。そんなにヤバイ本ですかね?

「はだしのゲン図書室撤去騒動」を聞いて思い出しました。

自分の読む本は自分で決めるものです。結果トラウマになっても、それは自己責任(経験有り)。そもそも、学校の図書室には有害図書も18禁もありません。そこまで予防線を張る必要はないのでは?

痴漢考

 あれは確か高校二年の時だったか、学年集会で一学年全員(約300人)が体育館に集まった時、ふっと思ったのです。

この場の男子(約150人)のうち、将来何人が痴漢で捕まるのだろう、と

本当に自然にふっと頭に浮かびました。誰かの入れ知恵では当然なく、私は男性憎悪者ではないはず、なのに。

一日数十件の痴漢事件が日本全国で発生しているのだから、将来的に同学年のうち一人二人は捕まってもおかしくないよな、というある意味単純な推測でした。

最近の調査で、「痴漢の大半は普通のひと。フツーに4大卒リーマン、ふっつーの妻子持ち」ということが明らかになりました。つまり、私の考えは極端ではあるものの「当たらずとも遠からず」だったということです。

蛇足:この考えを家人に話したところ、「怖い!怖いよ!黒すぎ!何その考え!イタリアンジョークかよ!」という強烈な反応が返ってきました。そんなに変ですかね?それにイタリアンジョークってこんなんなのでしょうか?

嬉しくなかったプレゼント

皆さんは、嬉しくないプレゼント、もらったことがありますか?私はあります。

あれは小6進級時のことでした。両親が満面の笑みで「進級おめでとう!プレゼントだよ!」と渡してきた、それは「マンガ 日本の歴史 全22巻セット」。ですがはっきり言って

まーったく嬉しくなかった

「今更なんだよ、遅いよ」とすら思いましたね。口にも出しました。とにかく不愉快で、ずーっとブーたれていました。なぜか?

すでに学校の図書室で読み終えてしまったから。2年弱かけて。

続巻がないことに苛つきつつ、図書室内で探したり返却を待ったりして、2年弱かけてようやっと読み終わった。そのことに一種の達成感すら覚えていた。そこに「プレゼントだよ★」といきなり全巻を投げてよこされた訳で、それまでの自分の努力を全否定された気がしてしまったのです。「あの2年弱の苦労はなんだったんだろう、と。どうせなら世界史や中国史が欲しかった、というのが本音でした。

そして不快感に輪をかけたのが絵柄。「マンガ 日本の歴史」は当時絵柄が2種類あったのですが、よりにもよって私の苦手な絵柄の方だったのです。偶然とはいえ、これはないだろう…両親は知らなかったとはいえなぜわざわざ….ほんのり絶望してました。

せっかく両親がくれたんだから、と付き合い&義理でざっと目を通したのですが、やっぱり面白くない。ストーリーは知ってる上、新たな発見がある訳でもなく。おまけに絵柄は苦手だし。にも関わらずこのセットは、それから10年弱、我が家に鎮座していました。読むものが何もない時にパラパラめくってみる、という存在でしたが、はっきり言って時間の無駄だったな、と今となっては思います。目を通した後は、とっとと古本屋に売るべきでした。なぜ売らなかったか?というと、当時の私にとって古本屋は馴染みのない存在でしたし、「両親からのプレゼント」ということが引っかかって処分ができませんでした。

そしてその後、色々なマンガを読み込んでいくうちに、「マンガ 日本の歴史」の漫画表現そのものにも違和感を覚えるようになりました。マンガ、という形を活かしきれてないんじゃないか?と。

一例を挙げるなら、尾崎咢堂の桂内閣弾劾演説の描写です。「マンガ 日本の歴史」では、争っている二人を遠くから描いている、カメラでいうならかなり引いて写している状況で、実に迫力に欠ける描写。言論の力でもって内閣が倒れた、記念すべき出来事なのだから、もっとドラマチックに描くべきでは?

例えば、金田一少年的に描いてみる、とか。カメラを尾崎目線にして、尾崎が「あなただ!」と桂首相を指差すシーン、ズームにした桂首相の周りにベタフラッシュ。首相の顔にはタテ線を引いて顔面蒼白ぶりを表現。のようにしてみたら、もっと迫力が出るのでは?(なぜか私の脳内では、池田理代子的な絵柄で展開されました)どなたか描いてくれませんかね?結構いい感じになると思うのですが。

活版印刷の第一印象

グーテンベルクの活版印刷のことを知ったのは、小学5・6年くらいの時でした。図書室で読んだ「マンガ 世界の歴史」みたいな本で。そしてその第一印象は、

そんなに便利なものなのか?

でした。「すっごーい!!」と素直に褒め倒す気分ではなかったことを、覚えています。

確かに、画期的です。いちいち人が書き写さなくてもよくなったのですから。そのため本の値段が下がり、大衆に知識が、聖書が行き渡った。そしてそれが、ルターの宗教改革を生んだ。歴史を大きく動かす原点になった、のはわかるのですが、そこまで褒め倒すほどのことなのかと。

そもそも面倒でしょう。

ひらがな・カタカナだけで100文字もある!

漢字を部首ごとに分けて作ったら、さらに数が増えちゃう!

そう、私は日本語で考えてしまっていたのですヨーロッパはアルファベット表記なので、26文字のセットがいくつかと、よく使う文字だけ追加で作ればそれで事足りる訳で。確かに調べてみると、活版印刷自体はグーテンベルクよりかなり前に中国で行われているのですが、大量の漢字の活字を作るのが大変だったため、あまり広がらなかったらしく。(これは日本も同様)素晴らしい技術があっても言語構造がその普及を阻むこともある、ということでしょうか。そして不思議なのは、活版印刷とは縁遠かった中国・日本の方が、出版点数では常にヨーロッパを上回っていた、ということです。技術があったから、本が増えた!というほど単純な状況でもないようです。

蛇足:活版印刷と宗教改革のコラボにより、聖書の中身が人々に広まったのはとても良いことです。が、一緒にユダヤ人差別まで広がってしまった。禍福は糾える縄の如し、と言いますが、禍が予想より深刻でした。

サムソンとデリラ

前回の投稿で、「サムスンとサムソンを勘違いしていた」ということを書きました。その中で「サムソンがキリスト教用語だとは知っていた」と書いたのですが、今回はそのお話。

「サムソンとデリラ」という言葉を初めて聞いたのは、中学生の頃。吹奏楽のコンクールにて、このタイトルの曲を演奏している学校が多かったのです。ちなみにどんな曲だったのかは、全く覚えていません(笑)。ただこの時点でキリスト教用語の名詞、だとなぜかわかっていました。しかし、それがなんなのかが全くわからない。人名なのか地名なのか(ソドムとゴモラ、のような)。でも、わざわざ調べようという気にはなれず、疑問のまま長年心の片隅に放置されていました。時たま気になるけれども、そこまで大事なことではないため放置。でもどこか不快感がある、という感じ。

そして成人後のある日、宗教学の本を読んでいたら突然再会。しかし

「美女デリラに騙された怪力サムソン」

という実に単純な書き方。「ああ、そうだったのか」と納得したのと同時に「騙されるなんておマヌケだなあ」くらいにしか思えませんでした。要は興味をそそられる描写ではなかったのです。とにかくサムソンもデリラも、人名だということはわかった。そしてサムソンは「士師(judge)と呼ばれるカリスマ軍事指導者」で、やたらと強い人だということはわかった。でもただそれだけでした。(参考文献:世界がわかる宗教社会学入門  橋爪大三郎 ちくま文庫)

その印象が一変したのが

中野京子と読み解く 名画の謎 旧約・新約聖書編 中野京子 文藝春秋

でした。文庫版が出る前の時期なので、多分2014年のことです。サムソンとデリラのストーリーが、名画と共に生き生きと展開されていて、グイグイ惹きこまれて行きました。書き方と文章でここまで興味の持ちようが変わるのか、と我ながら驚き。サムソンがデリラに騙されるまで、いろんな人間ドラマが展開されていた。そしてサムソンは、あっさり騙された筋肉バカではなかったのです!(←何度かはぐらかしてる)

個人的には、前掲著で紹介されていたルーベンスの絵よりも、カラヴァッジョ作品の方が好きです。いかにも「The 悪女」なデリラがいっそ清々しい。ルーベンスの方は、デリラが「一抹の申し訳なさ」を感じているような、煮え切れない描写が好みではないのです。後悔するなら最初からやるなよ、とツッコミたくなります。

サムスン考

韓国を代表するハイテク企業、サムスン(Samsung)。韓国のGDPの10%を稼ぎ出すという巨大財閥、サムスン。ニュースでその名を聞かない日はありません。幸か不幸か、最近は特に。

さて、私がサムスンの名を聞いたのは21世紀になってから、2004年か5年くらいだったでしょうか。日本サムスンの設立が1998年なので、数年をかけて知名度アップを果たした後の時期にあたります。

実は私、最初の頃

サムスンはイギリスの会社だと思っていました。

なんでそんな誤解が起きたか?というと、単純な聞き間違い。

「サムソン」と聞こえたんです

ざっくり書くとこういう流れ。

「サムソン」はキリスト教用語(これは知ってた)

キリスト教と言ったらヨーロッパ

ヨーロッパと言ったらイギリス(なぜか)

「サムソン」はイギリスの会社!

以上の連想ゲームが脳内展開されていました。

で、サムソンはイギリスの会社!と勘違いして数年が経過。ある日、正しくは「サムスン」という名の韓国の会社であり、漢字表記は「三星」だと知ったわけです。知ったからと言って、別に何も変わらないのですが。「最近は韓国も頑張ってるんだなあ」と思ったくらいです。しかし、「最初から、漢字表記を前面に出してくれ」とは思いましたね。そうすれば、なんとなくアジア系?くらいはわかるのに。人間は聞きなれない音を、聞き覚えのある音寄りに認識する傾向があるんだから、間違えてしまうよ。

蛇足:サムスン会長のイ・ゴンヒ氏は2015年に倒れて以来、未だ入院中だそうで(2019年9月時点)。ということは、主な介護は家族ではなく看護師やヘルパーがやっているってことですよね。お金持ちは介護問題に悩まされなくていいな〜、と庶民としては羨望の眼差しを向けてしまいます。

踏み絵考

小学校6年生の頃、歴史の授業で「踏み絵」を学びました。

踏み絵:Wikipedia

で、当時から疑問でした。

なぜ、沢山の人が踏み絵を踏まずに捕まってしまったのだろうか?

12歳の私は、キリスト教について詳しくなかったけれど、なんとなく「偶像崇拝禁止」だとは知っていました。なので「踏み絵」なんて偶像そのものなんだから、んなもん別に踏んだって問題ないじゃないか、片っ端から踏みゃいいだろ、と考えていました。単純に解説するとこんな感じ。

キリスト教は偶像崇拝禁止である

踏み絵は、どこからどうみても偶像である

踏み絵を踏むことは偶像崇拝を否定することである

踏み絵を踏むことはキリスト教の教義にかなうことである

踏み絵はどしどし踏むべし

さて、踏み絵を踏むことはキリスト教の教義上どうなのか?いいのか、悪いのか?教科書にも資料集にも載っていなかった上、うまく言葉にできなくて先生にも質問できませんでした。もちろん内心葛藤を抱えながら踏み絵を踏み、死刑を免れた人もそれなりにいたことは知ってました。(だから隠れキリシタンが存在したわけで)その人たちはイエスやマリアの像を踏んだことを、ずっと悔いていたんだろうか。心に後ろめたさを抱えたまま、その後の長い人生を過ごしたんだろうか。それを考えると重苦しい気持ちになることが、度々でした。

仕方がないので、20歳過ぎてから自分で調べてみました。すると、「踏み絵は踏んでいい」ということが判明。「キリスト教は内面と外面の区分が特徴」なので「偶像崇拝を拒絶する」と思いながら、どしどし踏めば良いとのこと。「イエスやパウロに相談したなら迷うことなく踏めというはず」という名言まで収穫できました。(参考文献:日本人のための宗教言論 著:小室直樹 徳間書店)

この記事を書くにあたり調べ直したところ、踏み絵は初期の頃は成果をあげたものの、後期になるとそうでもなくなった。「内面と外面の区分」の考えが広まった結果、役人の前ではシレッと踏み絵を踏んでおいて、信仰を守る人が増えてきたらしいです。つまり、後ろめたさ一色の人生を送った人は少なかったと推測できます。ああ、よかった。(先のWikipedia参照)しかし初期の頃からこの考えが広まっていたら、キリシタン狩りの犠牲者はもっと少なくて済んだはず。なぜ最初から広まっていなかったのか。残念です。