口がきけない子の話 3 変化

さて、小学5年生も二学期に入った9月下旬、私はまたグループ学習でMさんと同じグループになりました。いきさつは前回とほぼ同じ。「好きな人同士」で、私が友人数名とグループを組んでいた所に、先生がやはりあぶれていたMさんを連れてきたのです。

「この子を入れてあげてくれる?」

と。この時は「えっ?またなの?」と、ちょっと戸惑いました。(その時も私はリーダーだった)でもまだ2回目、これは偶然の範囲だろう、と無理矢理自分を納得させて受け入れました。しかし同時に、一瞬嫌な予感がしたのも事実です。「二度ある事は三度ある」、このことわざが脳裏に浮かびました。

そしてグループ学習が始まったのですが、やはりMさんは全く口をきかない。これにはかなり戸惑い、困りました。グループ学習とは皆で話し合って行うものなのに、話し合い自体が成立しない場合どうやって進めたらいいのでしょうか。

質問、そんなに難しかった?それとも私はそんなに怖い人間なの?

とにかく、彼女にも楽しくグループ学習して欲しかったので、個人的にあれこれ工夫してみました。例えば以下のように。

  • 質問を、Yes/Noで答えられる簡単なものにする
  • 何かにつけ、しょっちゅう笑いかける
  • 一発ギャグをかます

等々。でも、彼女は一言も発さないのです。流石にYes/Noは、首振りで答えてましたが。何となく嬉しそうな雰囲気はあったのですが、彼女は大抵下を向いていたので正確な表情が読めず、「喜んでいる」とも断定できない。しかし、Mさんを放ったらかしにするわけにもいかないので、そこそこ話しかけるのですが、いくら話しかけても返ってくるのは9割方沈黙(1割は首振り)。毎度毎度、暖簾に腕押し・糠に釘状態。私や周囲が幾ら工夫しても、それが殆ど報われないのです。虚しいやら困るやら。

原稿の清書を頼もうにも、彼女の書く字は例の「釘を曲げた様なカクカク文字」。とてもじゃないが、頼めるものではありませんでした。

そして、梅雨が終わっていたにも関わらず

Mさんは相変わらず臭っていました。

そして、やっぱり周囲の誰も指摘しない。私もその一人でしたが、それは「子供が臭うのは親の責任」だと思っていたため。Mさんを責めてもどうしようもない、悪いのはMさんの親だ、と考えていたからです。本当に臭い人に対して、面と向かって「臭い!」とはなかなか言えないもの。私にできることは、先生が3者面談等でMさんの親に指摘してくれることを期待する事と、Mさんの近くに寄る際は息を止める事、位でした。で、先生はMさんから漂う異臭に気付いていたのか?というと、「多分、気付いていた」と思います。先生はかなりMさんの近くに寄っていましたから。背後からMさんの両肩に手を置いて、「ねっ!」みたいな事もやってましたし。

こうして、私のMさんに対する印象は、確実に変わって行きました。それも悪い方に。「人畜無害な変人」から「グループ学習のお荷物」へと。

口がきけない子の話 2 再会

小学5年生に進級した私は、再びMさんと同じクラスになりました。が、4月の時点では特に気にしてませんでした。「あの子とまた同じクラスなんだ〜」位で。というのも、当時の私の関心は、ある二人に集中していたため。一人は重複障害の男子Yくん(彼については後に色々書く予定)。もう一人は3年時に転校してきたHさん、という女子(この子についても、すごいエピソードが沢山あります)。この二人はどんな人なんだ?同じクラスになったらどうなるんだ?と少し不安だったのです。ちなみに担任は「中華思想と出会った日」の記事に登場した、グループ学習&中国&韓国大好き❤️なN先生でした。

転機は6月中旬のこと。何かのグループ学習の時でした。私が友人5・6名とグループを組んでいた所、先生があぶれていたMさんを連れてきたのです。(グループ分けは’好きな人同士’方式)

「この子を入れてあげてくれる?」

と。リーダーだった私は「いいですよー」と即答。まぁ、同じクラスなんだからそんなこともあるだろう、と軽ーく考えていたので。彼女が「勉強のできない子」だとはわかっていましたが、この人数で手分けすればなんとかなるだろう、と楽天的に考えていました。しかし、この時私はグループ全員の同意を取り忘れた気がします。もしかしたらその他メンバーから「勝手な人」だと思われたかもしれません。

で、そのメンバーでグループ学習を開始してまず驚いたのが、Mさんが全く喋らないこと。うんともすんとも言わないのです。意思表示は首振りのみ。どころかずっと下を向いていて、ろくに視線すら合わせてくれない。なぜ?どうして?と、かなり戸惑いましたが「きっとかなりの恥ずかしがり屋なんだな、相当緊張してるんだろうな」と思い、「そのうち慣れたら喋ってくれるだろう」と、時間の経過に任せる事にしました。

むしろ閉口したのは彼女の身体から漂う異臭でした。何というか、

汗まみれのTシャツを3日くらい発酵させたような臭い

をMさんは全身から放っていたのです。気付いた時はとにかく衝撃!でしたね。「何だ!?このニオイは!?」と。しかし、周囲の誰も反応しない。かと言って自分から「何か臭わない?」と切り出すこともできず、ただ黙々とグループ学習を進める他ありませんでした。「梅雨時で蒸れてるんだから仕方ない。梅雨が終われば何とかなるだろう」と微かな希望を持ちながら。そんなこんなでしたが、何とか皆(Mさん以外のメンバー)で話し合い、成果をまとめ、約3週間後にグループ学習を無事に終了させることができました。

しかし、「ニオイ」とはダイレクトに脳に届くもの。このグループ学習が終わる頃には、「Mさんの近くに寄らざるを得ない時は、息を止める」という習慣がすっかり身についていました。トホホ。

口がきけない子の話 1 出会い

私は、「その子」と出会ったのは小学1年生の時のこと。そして、小学1・2、5・6及び中学3年生の5年間、同じクラスでした。(小学校のクラス替えは2年ごと)先に結論を書いてしまうと、その5年の間、彼女が「人語」を話しているのを聞いた事は一度もありません。彼女のことを、以下「Mさん」と呼びます。

実は小学1・2年時は、同じクラスにいながら、Mさんとは殆ど接点がありませんでした。覚えているエピソードは以下のものだけです。

第一のエピソードは、

「国語のテストで、クラス最低点をとっていた」

こと。確か単元は「たぬきの糸車」で点数は「20点」でした。何で私が知っているのか?というと、クラスの男子が騒いでいたから。

「おい、こっち来てみろよ!すんげーバカがいるぜ!」

と。んで私、野次馬根性丸出しで見に行ったところ、クラスメイトの輪の中で、Mさんは自席に座っていました。20点のテストをドーン!と机の上にのせて。「見ないでよ!」とは言われなかったですね。しっかし普通、テストで悪い点を取ったら人に見られないように、裏返すなり隅っこを三角に折るなりするのに、Mさんはそれをやっていませんでした。(だから点数がわかった)かと言って、「さぁ、見てくれ!」と胸を張っている訳でもなく、彼女はひたすら下を向いて黙って固まっていました。(表情は読めなかった)この子は、テストを見られたいのか・見られたくないのか、それすらわからなかったことをよく覚えています。

そして、ある設問とその回答も忘れられません。「作中の月の形をひらがな4文字で書け」という設問がありまして、正答は「まんげつ」でした。が、何とMさんの回答は「みかづき」だったのです。一瞬「どの辺りが、’みかづき’なんだ!?」と面食らいました。しかもその文字が、釘を曲げたようなカクカクした文字。まるでサスペンスドラマの脅迫状みたいで、少し怖かったですね。。

第二のエピソードは、「休み時間に一人で机を見つめていた」こと。私が休み時間に友人の席で話し込んでいた時、ふと顔を上げると少し離れた自席で一人座っているMさんが。Mさんは、ひたすらじいっと机を見つめていました。折り紙する訳じゃなし、お絵描きする訳じゃなし。「机を見つめていると、何かいいことがあるのか?変わった人だな」と不思議に思いました。

第三のエピソードは、「とにかくいつも下を向いていた」こと。当時、何かの拍子にクラスの女子全員が輪になった事があるのですが、やっぱりMさんは下を向いていました。ハンカチを手に持って口に当てて、モジモジしながらもどこか嬉しそうな感じはしていたのですが、彼女は一言も喋らないのです。なので彼女の本心は奈辺にあるのか、全くわからない。

その他のエピソードとしては、Mさんは顔と体の皮膚がいつもボロボロだったこと。しかし私もアトピーだったので、人の事は言えませんでしたが。まぁ、お互い大きくなったら良くなるだろうと漠然と考えていたので、それは気になりませんでした。また授業中、教科書の読みが当てられても、Mさんの方向からは何も聞こえませんでしたが、これも気になりませんでした。入学したてで緊張してるんだろうと思えたので。それに、声が小さくて聞こえない女子は他にもいましたし。

小学1・2年時のMさんの印象をまとめると、以下のものになります。

「すごく大人しくて、成績の悪い子」

「よくわからない、不思議な人」

要は「人畜無害な変人」。このままでいられればよかったのですが、その後そうではなくなるのです。残念な事に。その後の3年間で、私は彼女と嫌な思い出を山程作ってしまう事態になるのです。

ムキムキ肌色ポスターの正体

これは5年程前、住んでいた街での出来事です。とある日曜日、私は駅前商店街&駅ビル内スーパーに食材の買い出しに出かけました。ら、駅ビルの壁の、とあるポスターに私の目は釘付けに。それはもう、遠目にもはっきりと分かる肌色。どうも筋肉モリモリの男性の裸体が複数描かれているらしい。いや、もうビックリですよ、

「この商店街、何考えてるの!?」

って。てっきりゲイビデオのポスターかと思ってしまいましたね。が、近寄ってよくよく見てみると「○月○日 興業!」の文字が。えぇ、その正体はプロレスのポスターだったのですorz 。

何でこんな勘違いをしてしまったのか?と、考えてみると、原因はそのポスターを構成する要素にある気がします。(私の思考回路ではなく!)そのポスターの紙面の大半を占めていたのは

「いかめしい顔をした、ムッキムキの上半身裸の複数の男性」。

彼らが「この俺様のこの肉体を見ろ!」とその裸体をこれ見よがしに誇示してくるんですよね。これはおそらく「過剰な筋肉・男らしさ」でもって世間一般に対して「強さ」をアピールするためだと推測できます。が、私はそれを「過剰な筋肉・男らしさ」でもって「性的なアピール」をしている(しかも男性対男性という形で)と受け取ってしまった、このギャップが生んだ勘違いだったのではないか。

しかし、「性的なアピール」だと勘違いしたとしても、なぜ「女性に対するアピール」だと思わなかったのか?という疑問が出てきます。が、ここで思い出すのは、一般に女性は「過剰な男らしさ」から距離を置く傾向がある、ということです。例えば、少女マンガに出てくる理想の男。そこまで筋肉質ではありません。TVの情報番組で、複数の女性に「好きな筋肉を選んでもらう」という企画が行われた際も、一位になったのは一番筋肉質な男性ではありませんでした。だから「女性に対するアピール」だとは思わなかったのです。むしろ、過剰な筋肉に夢中になるのは男性の方である気がします。「北斗の拳」にしろ「DRAGON BALL」にしろ、主な読者は男性。男性が男性のために、「強さを表す記号」として筋肉を描いた作品という見方もできます。

「援護射撃のつもりで背中から打ってくる人々」の話

今回のタイトルですが、「本人は応援しているつもりの行動が、実は相手を不利益を与えている」という状況を意味します。

これを最初に「発見」したのは、2006年(古!)4月の千葉県の衆議院補欠選挙の時でした。一つの議席を5人の候補者が争う展開となったのですが、メディアが注目したのは自民党候補で元通産官僚の新人・斎藤健氏と、民主党(当時)候補で同じく新人・太田和美氏。この二人の一騎打ち状態でした。で、斎藤氏の応援に自民党の武部勤幹事長(当時)が赴いたのです、が。その応援演説にて幹事長は、

「最初はグー!斎藤ケーン!!」

というフレーズを連発。聞いた瞬間、

うわぁ…」

という感想しか出てこなかったですね。斎藤氏や政策について何も語っておらず、中身がなく、当然ながら全く応援になっていない(演説)。むしろ悪影響です。一体幹事長は何がしたかったのか、本人は応援しているつもりだったんでしょうか。今も昔もまーったくわかりません。しかし、周囲も止めなかったんかい。結局この千葉補選、斎藤氏は落選しました。元エリート官僚 VS 元キャバクラ嬢という構図(太田氏は元キャバ嬢)が「格差社会」を露骨に意識させた、という見方もありますが、武部幹事長の最初はグー!斎藤ケーン!!」という「応援なのか、足引っ張ってるのかわからない」、意味不明なスローガンの影響は少なからずあったと思います。

それから10年後、2016年東京都知事選挙において、また似たような事が起きましたね。記憶に新しい方だと思いますが、舛添前都知事の辞職に伴って行われたこの選挙は、21人が立候補したにも関わらず、事実上3人の争いになりました。中でも元防衛大臣の小池百合子氏と、元総務大臣の増田寛也氏のトップ争いは激しかった記憶があります。

そんな中、増田氏の応援をしていた元都知事・石原慎太郎氏の小池氏に対する

「大年増の厚化粧」

という発言。またしても「うわぁ…」としか言いようがない。どうみても応援じゃなくて、足を引っ張っている、そして政策について何も語っていない発言。石原慎太郎らしいっちゃらしいんだけど(悪い意味で)、「応援の場」で言ったらお終いでしょう。応援されてる増田氏の人格まで疑われてしまいます。息子がそれに乗っかっちゃうのが何とも。この一連の報道を聞いてうっかり「あぁ、石原親子は増田氏がよほど嫌いなのだな」と思ってしまいました。「援護射撃のつもりで背中から撃ってくる」という高等テクニックを使うくらいですから、ねえ?

しかし、男性政治家はなぜ「化粧」について口出しするのでしょうか?IKKOではあるまいし、「化粧の素人」が何言っても無意味だと思うのですが。そもそも一体どんな化粧だったら彼らは満足するのか。(すっぴんだったらそれで「マナー知らず」とかいうでしょう)「香害」が発生していない以上、何も言わないでおくべきです。…と、真面目に論じたところで無駄かもしれません。まぁ、「化粧」というのは批判の糸口として「使える」ものなんでしょうな。要は

「相手を批判したいが、批判材料(資金・政策面等)がない時の取っ掛かりとして利用しやすいポイント」

のが「化粧」なのでしょう。

日経新聞では「増田氏は、腕まくりをしてフレッシュさをアピール」と書いてありましたが、そのくらいでは石原親子の破壊力を消し去ることは出来なかったでしょう。それはそうと、かんぽ問題で揺れる郵政の改革、頑張ってください。

「デビルマン」にまつわるアレコレ

永井豪のマンガ「デビルマン」。三浦健太郎やCLAMPにも影響を与えたという、傑作と名高い作品です。実は私読んだことがないのです、がストーリーは知ってます。なぜかと言いますと、この作品はマンガ評論等で引き合いに出されることが多く、度々ストーリーの説明を読んだり、引用されたコマを見たりしていたので。デビルマンが傑作である故の事情ですな。

2003年頃、「デビルマンが映画化されるらしい」という情報が流れた時には、素直に「映画化!すごい、さすが傑作!」と思ったものです。と同時に、傑作を傑作として映像化するのは大変そうだと予想できましたので、同じくらい不安を感じていました。「うまくいくんだろうか?」と。役者さんが聞いたことのない人ばかりだったのが、それに拍車をかけましたね。それはさておき「映画版 デビルマン」、前宣伝が非常に気合入ってた事をよく覚えています。確か、non-no(言わずと知れた女性ファッション誌)にすら特集のページがあったくらいです。「ターゲットは誰だよ?」と当時から疑問でしたが。

しかし映画公開後(2004年)、不思議なことにほとんど論評を見なかったのです。拍子抜けしましたね。あの気合の入った宣伝は何だったのかと。ただ一度だけ、コンビニで立ち読みした雑誌に論評の記事を発見!ですがそれは、

「やっぱり、原作は素晴らしい!!」

というトーンに終始していて、

「んじゃ、映画はどーなんだよ?」

と、読後にツッコミだけが残る記事でした。

結局「映画版 デビルマン」は映画作品として、どうだったのか?何もわからず悶々とすること数年後、のある日。ふらふらネットサーフィンしていたら、

見つけてしまいましたよ。ウィキペディアの「文春きいちご賞」のページで。

「文春きいちご賞」とはこんな賞。「最低映画賞」、つまり「映画版 デビルマン」はハッキリ言って駄作だったことが数年越しに発覚。

その後、オタク評論(確か唐沢俊一と岡田斗司夫の対談本)やら、Twitterやらで「駄作」・「血涙が出てくる」等、クソミソに貶されているのを何度も目撃しているうちに、少し見てみたいと思ってしまいました。動機はズバリ、怖いもの見たさです。「そんなにヒドイのか?」と気になってしまって。ですが、その前に原作を読まなければいけないんですよね。これは少しハードルが高いな、と悩んでます。2、3日は魂飛んじゃって、何も出来なそうです。

蛇足:「デビルマン」と「寄生獣」を並行して読むと、これまた色々と発見があって面白いらしいと聞きました。ですが、これは「デビルマン」単体よりも数段ハードルが高そうです。家人曰く「多分頭、壊れるぞ」、とのこと。その点、全力で同意(笑)。でも人生100年あるのだから、いつかはやってみたい!と、ついつい考えてしまいます。

乙武サンについて9 育休編

さて最近、小泉進次郎環境大臣の育児休暇取得を巡り、「男性の育休」についての関心が高まっています。私個人としては賛成です。ただ、2週間で育児をどこまで理解できるか、が疑問ですが。乙武氏もこの件についてコメント求められてましたね。

ここで、ふと思い出したのは

乙武氏も育休取ってたよな

ということ。小学校の先生だった頃、次男が生まれた後なので、多分2010年7月以降ですね。期間については調べた範囲ではわかりませんでした。そういや「イクメン」と書いていたネット記事もありましたっけ。

んで、ここで疑問が湧くわけです。

具体的に何してたの?彼にできる育児ってどんなの?

と。さて、「母乳を出す」以外の主な家事・育児をリストアップすると

  • 料理(幼児食・離乳食含む)
  • 食器洗い
  • 掃除
  • 洗濯
  • 布団干し
  • 買い物
  • ゴミ出し
  • おむつ換え
  • ミルク作り・ミルク飲ませる
  • 赤ちゃんのお風呂
  • 予防注射・検診に連れて行く

位ですが、氏はほとんど無理そうです。何せ両手足がないのだもの。予防注射・検診だって移動の困難やスピーディな手続きがネックになり、彼単独で連れて行くのは難しいでしょう。「手がなくても困らない」という発言、よく言えたもんです。まぁ、ゴミ出しは高級マンションだったら24時間可能かもしれないし、食器洗いは食洗機がやってくれるから、奥様の負担は少しは減ったかもしれませんが。

では、逆にできる事は?と、リストにしてみると

  • 上の子と遊ぶ(絵本を読む・歌を歌う・一緒に踊る・公園に連れて行く)
  • 赤ちゃんをあやす(絵本を読む・歌を歌う・目の前で踊る・変顔をする)
  • ネットスーパー発注
  • ヘルパー・家政婦さんの手配
  • 両実家への連絡

位ですかね。で、これらの事をこなすのに、仕事を丸一日休む必要があったのか?時短勤務じゃダメだったのか。本当に育児休暇が必要だったのでしょうか?(上の子は確か2歳だったはず。毎日4、5時間も全力で遊んでいたのか?そもそも赤ちゃんなんて最初の4ヶ月は、半日くらい寝ている)

いや、要らないでしょ。どう見ても。

周囲は突っ込まなかったのか?と思うのですが、正確には「突っ込めなかった」んでしょう。後になって「周囲から反抗的な目で見られた」「嫌味を言われた」と被害者アピールする位ですから。真正面から「具体的にどんな育児するの?ていうか育児できるの?」なんて聞いたら「差別だ〜!」と、ここぞとばかりに宣伝するに決まってます。周囲の精一杯の突っ込みが嫌味レベルだった、ということか。また、彼がいる事で何か学校運営に支障がでたため、これ幸い休んでもらおう、という判断がでた可能性もあります。

氏は不倫発覚後の懺悔パーティー(爆)で「長男が生まれた後、育児に参加できないのがコンプレックスで家庭から逃げてしまった」とコメントしてましたが。

育児に参加できないのになぜ育休を取った?

もう、詐欺じゃね?ってレベルですな。彼は一体何がしたかったのか。「今度こそ育児参加したいから、義手つけました! 」という訳でもないのだもの。単に「いい人」のポーズが取りたかっただけ?彼は「育休の先駆者」ではなく、「取るだけ育休の先駆者」だったのでしょう。んで、何をしてたのか?ですが、最悪(誰かの様に)不倫に勤しんでいた可能性すらあります。東京都は、氏やその周囲にヒアリング調査を行い、「育児の実態が確認できなければ、手当ての返却を請求する」位のことはしてもいいでしょう。コメンテーターも単にインタビューするだけじゃなく、少しは突っ込もうよ。「乙武さんは育休中、何をしてましたか?」って。

そう言えば次男が生まれる寸前、乙武氏は泥酔状態で女性を口説いていた、なんて話も飛び出しましたね。(こちら参照)元々家庭や子どもに関心が薄い人だったのかも。最初に「イクメン」と書いたライター、出てこい !

医学部不正入試問題3

さて、医学部における不正入試(特に女子差別)。疑われながらも否定した大学がいくつかあります。その一つが慶應大学です。慶応医学部の男子合格率は女子の1.3倍。と、これまたビミョーな数値。高すぎないが同レベルでもないという、しかしまだ「偶然」と主張できる範囲です。

しかし私の憶測ですが、実は慶応医学部もやってておかしくないのです、女子差別。それも「みんなやってるから、ここでも当然やってるだろ?」という単純な理由ではなく、慶応特有の事情を踏まえた上での憶測です。

大学側が男子学生を優先的に入学させたかった理由の一つは、大学病院でできるだけ長期間、ハードワークをこなしてくれる人が必要だったから、とされています。要は「戦力」・「労働力」が欲しかったわけです。そしてここに加わる「慶応特有の事情」とは…

「慶応大学」と言えば、生殖医療の分野で有名です。「非配偶者間人工授精(AID)」、いわゆる精子提供の中心的な存在でした。提供者は長年、医学部の男子学生(特に運動部)から選ばれてきたとのこと。そう、男子学生から。

慶応医学部にとって男子学生は、「労働力候補」のみならず「商売のネタ」でもあった

のです。要は「馬車馬」兼「種馬」。種馬確保のために男子学生を多めに入れておきたい、という意向が働いていたとしても、おかしくありません。女子学生が精子を提供するのは、ぜーったい無理ですので。

さらに考えると、身内に遺伝病患者や障害者がいたりする男子学生を、推薦入試やAO入試で落としていた、ということも可能性としてあり得ます。彼らは精子提供者には不向きですから。ここまでゲスじゃない、と思いたいですが「女子に対する不当な減点」という’十分にゲスな事態’を引き起こしていた人達のお仲間ですから、もう何をやってても驚きません。

医学部不正入試問題で、一番やりきれないのは女性医師の65%が「女子の減点措置は仕方がない」と認めてしまったことです。(35%は認めてない、とも言えるが)差別される側がその差別を許容してしまっている、「自分達は努力を踏みにじられてもしょうがない存在」と自己規定してしまっているのは問題です。何て自罰的な! 何たるウーマンヘイト! ミソジニーの内面化、ここに極まれり!

医学部不正入試問題2

さて、東京医科大学での不正入試が発覚した後、学長が女性になりました。しかし私はここで「おぉっ!初の女性学長!」と、素直に喜ぶ気にはなれないんですよね。小手先で誤魔化している、と言うか目くらましに利用されている感がアリアリで。

組織において何か性差別的な不祥事が発覚すると、その後組織のトップが女性になる

というこの現象。はて、どこかで見た気が…

それは2008年(丁度10年前!)に発覚した、毎日デイリーニュースWaiWai問題、です。日本と日本人に対する侮蔑的・差別的な記事(嘘や誇張を含む)が英字版で垂れ流されていた問題で、当時ネット上では大騒ぎに!(と言うか大炎上)この騒動の後も後任の編集長が女性になりました。発生原因の一つが「女性の視点がなかった」という事だからだそうで。(記事の内容は女性云々のレベルじゃなく酷かったが)

もう、こういうのやめませんかね?差別的な不祥事の後始末に、ここぞとばかりに女性を起用するのは。女は煙幕ですか?確かに世間に対して「改革してます!頑張ってます!」と、一番手っ取り早くアピールできます。ポーズが取れます。しかし、大事なのは実際に組織を立て直し再発防止策を練る事であって、トップの性別は関係ありません。起用された後任の女性トップも複雑でしょう。自分の「能力」よりも「性別」が好ましい、と評価されての抜擢ですから、それが原因で周囲と摩擦も起きるかもしれません。(女だから出世できたんだろ、とか言われそう)色々とやりづらいと思います。そして何より、自分の責任ではないのに前任者の分まで世間からの批判を浴びつつ、事態の沈静化を諮らなくてはいけない。しかも自分の「属性」が不当な扱いをされていた事例について批判される。これは相当苦しいのではないでしょうか。事実、初の女性学長は厳しい批判の声が上がる中、TVカメラの前で頭を下げていました。当時は全く知らなかったのにも関わらず。

しかし常日頃、女は使えない・労働力にならない・すぐやめる、から減らせという指令を出しておきながら、火消しの最前線には盛大に女性を起用する。経営陣の辞書に「恥」という言葉はないのか?女性活躍ってこういう事ではないはずです。絶対に。

医学部不正入試問題1

2018年、大学医学部の入試において、様々な不正が行われていたことが発覚!中でも女子受験生に対する不当な減点に対して、世間の非難が集中しました。

私も「今時、こんな時代錯誤なことやってんのか!?」と驚き、怒りを感じましたが、同時に

「あぁ、こんなカラクリがあったのか」

と、ある意味納得してしまったのです。

その源は2010年頃見たグラフ。「医師免許合格者における女性の割合」と言う折れ線グラフでした。このグラフによると、女性の占める割合は80年代後半からじりじり上昇を続け、2000年あたりでついに30%に到達。そしてこれからも延び続けるだろうと予測できました。これを見た時、ワクワクしましたね。「そのうち’医者の二人に一人が女医さん’の時代がやってくる!」って。しかし

21世紀になってからは30%前半で頭打ち、

のまま10年近くが経過していたのです。明らかに不自然。それまで右肩上がりだったグラフが、いきなり平らになっているのですから。試験の傾向が変わったと言う報道はなく、医師を志望する女子学生が減った、と言う話も聞かない。一体全体なぜなのか。当時の私はそれ以上の判断材料がなかったので、そこで思考停止してました。しかし、心の奥底でずーっと疑問が燻っていました。

その疑問が今回の報道により8年越しで解けた訳です。医師免許以前に医学部入試の時点で女子学生を撥ねていれば、そりゃ女性医師は増えませんわ。

それにしてもなぜ「女性医師は戦力にならないから減らしちゃえ★」という発想がすぐさま出てくるのか。戦力になるように改善策を練ったのか?創意工夫はしたのか?と、問いたくなります。限界まで改善しても無理だった、のなら苦渋の決断と取れますがそうではないのに、あまりにも短絡的です。

そもそも、女性患者が診察で女性医師を希望することも多々ある中、女性医師を減らすという判断をしてしまう。そんな、顧客の要望に応えられない経営陣は、経営者として問題があるのでは?

しかし彼ら経営陣は、毎年やってくる女子受験生をどんな目で見ていたのでしょうか?まさか

「無駄な努力 ご苦労様♠︎」(CV:高橋 広樹)

とでも思っていたのか。まぁ私は医学部とは無関係な人間ですけど、女の端くれ。腹たちますわ、これ。