口がきけない子の話10 喃語

この「口がきけない子の話」シリーズの「1」にて、「Mさんが人語を話しているのを聞いた事は、一度もない」と書きました。なぜ「人語」、とわざわざ書いたのか?といいますと、彼女はそれ以外だったら時々口にしていたからです。独り言で。んじゃ、何語を話してたのか?といいますと、それは

喃 語

要は赤ちゃん言葉ですね。具体的には「アー」・「ウー」と、かなり小さな声でしたが発していました。言葉、というより音声、というべきか。特に意味のある言葉は発していませんでした。私の感想は、

「へぇ、そんな声してるんだ」

というもの。そして

「あぁ、この子は赤ちゃん言葉しか話せないんだな」

と直感。ついで心に浮かんだのは、

「頭の中も赤ちゃんなんだろうか?」

という疑問。「声は出せるが言葉にならない」理由が、「言葉を理解していない」以外に思いつかなかったのです(これを補強したのが例の20点のテスト)。私にとって、Mさんの独り言は、彼女の「知的障害疑惑」を濃くする作用しかもたらさなかった模様です。結果として、彼女に話しかけるのがますます億劫になってしまいました。乳児並みの頭の人に、あれこれ話しかける意味あんのか?みたいな。私が沢山話しかけたら、Mさんはもしかしたら嬉しかったのかもしれません。が、別に私は好きでMさんとつるんでいるわけではなかったので、進んで彼女のご機嫌取りをする気にはなれませんでした。それよりも、課題を仕上げる方が重要でした。なにせMさんは、グループ学習の際、さっぱり戦力にならない人。それにMさんに話しかけたとしても、先生はそこを評価してはくれません。

口がきけない人は、周囲から「『あ』って言ってみて ! 」と、しつこく言われることに辟易していることが多いようです。私はこのセリフを言ったことはありません。それは上記の通り、声自体は聞いたことがあったからです。

…「声は出せるが言葉にならない」理由、もう1つありましたね。「話したくないくらい、私のことが嫌い」という理由が。どっちにしても、当時Mさんに積極的に話しかける必要はなかった、ということに変わりはないのですけれど。

口がきけない子の話 9 筆談と手話

さて、口がきけないMさんといつも「まとめ」られ、当然彼女との意思疎通に難儀していた私。そんな私の頭の隅にしょっちゅう浮かんでいたのは、

筆 談

というアイデアでした。Mさんは確かに口がきけません。しかし読み書きはできる(多分)。従って、「Mさんと筆談でコミュニケーションがとれないか?」という考えに至るのは自然な事でした。しかし結局、Mさんと筆談した事は、その後の3年間でただの一度もありません。理由は複数ありますが、最大の理由は「紙がなかったから」です。

筆談の最大の欠点は、筆談用の紙をわざわざ準備しなければいけないという事です。筆談を最も必要としているのは、Mさん本人。当然Mさんや彼女の親が筆談用紙を準備すべきです。しかし、Mさんは絶対持っていないのです(なんでやねん)。しょうがないので周囲の人が準備する羽目になる。んで、それは大抵グループを組まされている私の役割になってしまうのです。でも、当然持ってないので筆談に至らない。私が準備しておけば、スムーズに筆談できたのかもしれません。が、やった事はなかったです。なぜかいっつも忘れてしまっていました。それに

なんで私がそこまでしなくちゃいけないんだ?

という反発が、内心盛大に発生しておりました。単なるクラスメイトなのに、なんで私が?そこまでお膳立てしなくちゃ、意思表示してくれないのか?あんたは何様だ?と。

Mさんとの筆談の必要性が生まれるのは、大抵グループ学習の時です。その時の流れを分かりやすく書くと、以下こんな感じ。

Mさんの考え・意見が知りたい! →筆談しよう!→筆談用の紙(メモ帳等)がない ! (ハタと気付く)→慌てて探すが見つからない→筆談できない→そこで諦めて終了

そもそも私自身Mさんとの筆談の必要性を認めながら、なぜか乗り気ではありませんでした。その理由は、前述したものの他に三つ。第一にMさんの書く字を読みたくなかった。そう、例の「釘を曲げたようなカクカクした字」のことです。なぜかあの字が生理的に受け付けなかったのです。じっと見ていると鳥肌が立ってくるのです。第二に、そもそもMさんとそこまでコミュニケートしたくなかった。私にとって彼女は友達ではありません。「押しつけられた変人」でしかなかった。友情を結ぶ相手ではなく、同情の相手に過ぎない人。そこまでして意思疎通しなくてはいけない重要人物、ではなかったのです。別に筆談しなくても、MさんはYes/Noは首振りで答えます。彼女の意見をわざわざ聞かなくても、それでグループ学習は進むのですから。この方法でMさん本人も特に不満はないようでした。第三に、先生の指示がなかったから。先生は「この子と2人組みを組んであげて?」とは言ってくるものの、「筆談してあげて?」とは言わなかったのです。だからこそ、私は筆談用紙を毎度毎度忘れていたのかもしれませんが。

先ほど「筆談を最も必要としているのは、Mさん本人」と書きましたが、この認識自体が間違っていたのかもしれません。彼女の意見を聞こうとした、私が必要としていただけで。えーっと、つまり、全ては私の独り相撲?ってことですか。なんか虚しいですねぇ。まぁ仮に、私が筆談用紙を用意したとしても、それが吉と出たかどうかは疑問です。「うちの子を障害者扱いするな! 」とMさんの親が怒鳴り込んでくる可能性もあった訳で。

蛇足:筆談に限らず、Mさんが周囲と交流したがっているような様子は、全くありませんでした。「口で話せないなら手で話したらどうか?」と、手話で話しかけようと考えた事もあるのですが、私は手話を知らなかったので無理でした。手話を自習してやってみればよかったのですが、Mさんのためにそこまでする気にはなれなかったんですよね。

「蓮舫」という謎

「参議院議員の蓮舫」といえば、2009年に仕分け人として一躍名を馳せ、それ以後も何かと政界ニュースに登場するあの人。最近離婚されたとか。実は旧民主党が政権取るまで、私にとってこの人は謎の存在でした。

初めて存在を認識したのは、2004年夏の参院選。都内に出かけた際に見た、選挙ポスターで。確か短髪の女性の写真に、こんな文字が添えられてましたっけ。

蓮舫  母として立つ

感想は、

? 何だこりゃ?

でした(笑)。何だこりゃ?って、もちろん選挙ポスターですが。なんというか、わからなかったのです。もちろん、写真の人物が候補者だ、ということはわかるんですが、「蓮舫」が丸々わからないのです。詳しく解説すると、

どこまでが苗字(姓)で、どこまでが名前なのかがさっぱりわからない

のです。ずっと眺めていると、新たな熟語にも見えてくるこの二つの漢字。どこまでが姓か名か。自分なりに考えた結果、「蓮」が苗字(姓)で「舫」が名前なのだろう、と結論が出ました。(検索するほどの関心はなかったため、検索しないで漠然と考えていた)なので、ニュースで「蓮舫議員」「蓮舫議員」と報道されているのを聞いて、「なぜこの人だけ、いつもフルネームで報道されているのか」大変疑問でした。

2009年になってから改めて調べたところ、「蓮舫」全てが名前で、苗字(姓)が「村田」(当時)だということが判明(旧姓は謝)。当初の?は解けたものの、なぜフルネームを名乗らないのか、これまたギモン。選択制夫婦別姓論者として言行を一致させた結果なのか、苗字(姓)を名乗りたくないくらい、夫が気に食わないのか(TVでのペット以下、という発言は衝撃)、名前で目立つことで議員の「その他大勢」に埋没することを避けるためなのか。

しかしこの選挙ポスター、ポスターとしての存在意義はあったのでしょうか?「候補者を知ってもらう」ために作られたのに後々頭に残るのが疑問だけ、というのは選挙ポスターとしてどうよ。それともこんな風に考えてるのは、私だけですかね?

「母として立つ」というキャッチコピーにも違和感を持ちました。「父として立つ」という政治家は、きいたことがありません。なぜことさら「母」を強調するのか。あんたに「母」以外の属性はないのか、と。あえて擁護するなら、当時は今以上に女性の「仕事と家庭の両立」が難しかった。しかしそれをやっている!というのは、貴重なアピールポイントだったのでしょう。「夫と子供がいる」というのが一種のステータス、というか。「夫」・「子供」は自分に付加価値をつけるためのアクセサリー、というか。

この様に考えると、「ペット以下」の夫と長年離婚しなかったのも納得がいきます。そりゃ、「夫がいる」という事自体に価値があるのだから、よっぽどのことがない限り、自分から切り捨てる事はしないでしょう(例え「ペット以下」でも)。離婚なんてしたら「私は、仕事と家庭の両立をしている! 」というアピールができなくなり、ひいては選挙に影響するかもしれませんから。2020年になって離婚したのは、「子供が成人したから」だけでなく、「政治家として一定の知名度と影響力が持てたので、離婚してもマイナスに響く可能性が低くなったから」というもあるでしょう。

寸借詐欺?な兄妹の話

もう四半世紀も前、私が小学校高学年の時。その兄妹に遭遇したのは某市営バスの車内でした。当時私は、少し離れたスイミングスクールに市営バスで通っていたのです。(スクールのバスでなく)

ある日のスクールの帰りのこと、いつものバス停でいつもの様に降りようとしたら、小学生くらいの兄妹が乗ってきました。最初に、お兄ちゃんがそのままスーッと乗ってきたので、後から乗る妹ちゃんがお金払うんかな?と思って見ていたら、なんとその子も払わず乗ってくる!アレっと思って見ていたら、運転手が声をかけました。

運:ちょっとお客さん、お金払ってくださいよー!

ま、当然ですな。んで、この後に続く兄妹のやりとりが、以下こんなんでした↓。

兄:おい、お前払えよ!(←妹に対して)

妹:えぇ!お金お兄ちゃんに渡したでしょ?

兄:何言ってんだよ。お前に渡したじゃん!

妹:私、持ってないよー!

とかなんとか、うだうだと。当然バスは発車できず、車内に嫌な空気が立ちこめ始めた…その時、1人の中年女性が進み出ました。「もういいわ、今日のところはオバちゃんが払ったげる」と。ヲイヲイ、オバちゃん払っちゃうんかい、と私内心ツッコミましたね。甘やかしちゃダメでしょ、と。そして次の瞬間、返ってきた運転手のセリフにぶったまげました。

運:やめてください。この子たち、いっつもこうなんです!

常習犯かよ!しかも有名人かよ!?

私はここでバスを降りてしまったので、その後バスがどうなったのかはわかりません。帰宅後母にこの出来事を話しました。かなりの衝撃だったので。「今日ね、変な子たちがいたんだよ。お金落としちゃったのかな?私も気をつけるわー」と。そしたら返ってきた母の推理がコチラ↓

母:その子達、きっとジュースとか買ってお金使っちゃったのよ。最初から、親切な人にたかる気だったんじゃないかしら?

そんなヤツいるんかい!?再び驚きましたが、少なくとも2人は確実にいたんですよね。まぁ「いつも」お金を落としてちゃって払えない、というのは不自然。誰かにたかる前提でお金を使ってしまった、と考える方が自然です。この兄妹のことは、しばらく我が家で話題になりました。「バスただ乗り兄妹」として。私、これが「寸借詐欺」という犯罪であることを知ったのは、成人後です。

終わり

ではありません。この話には後日談があるのです。

バスでの出来事から、数年後。私が中学校を卒業した後、この兄妹の兄の方が中学校に入学してきました。どうやら、学区が同じだった由。んでこの兄貴、なんと

中学校の制服姿のままバスのただ乗りをやらかし、学校に通報が来たらしい

のですorz。あいつら、治ってなかったのか…とウチの一家全員思わず脱力。そしてその後、この兄貴が障害があるんだかないんだか、といった話が聞こえてきました。人にたかる為に一芝居打つアタマがあるのに、障害?と一瞬不思議に思いました。が、制服姿で(≠身元特定容易な姿で)堂々とタダ乗りをやらかすという考えの浅さを見ると、やっぱり障害があるの?とも思えてきます。人にたかる障害ってあるのでしょうか?それともこれは「誤学習」の結果なんでしょうか?(以前、偶然お金を落としてしまった時、偶然誰かに払ってもらい、それ以後それがデフォルトになってしまった、といったケース)

口がきけない子の話 8 理由を考えてみた2

引き続き「なぜMさんは口がきけないのか?」を分析した記事です。もう一度前回の「理由」リストを載せておきます。

  1. 喉が痛くて話せない
  2. 耳が聞こえない
  3. 生まれつき声帯がない
  4. 言葉が理解できない(要は知的障害)
  5. (知的以外の)何かの障害
  6. 極度の恥ずかしがり屋・人見知り
  7. 幼稚園の頃、ひどいイジメに遭い言葉を失った
  8. 願掛けをしている
  9. 家の中でいつも邪険にされていた結果、話せなくなった
  10. 私が嫌い
  11. ぶりっ子している

上記のうち、7.までを前回分析した結果、5.以外は可能性が低いという結論が出ました。

さて8.です。「願掛けとは何ぞや?」って感じですが、以前書いた「童話に出てくる口がきけない人」から出た発想です。「童話に出てくる口がきけない人」って大抵、神様や妖精に願いごとをしていたり、何か契約をしていたりするんですよね。「●年間口をきかない代わりに、どうか私の願いを叶えてください !」の様に。だからMさんも何か願い事でもしているのだろうか、と思ったのです。「学校では絶対口をきかないので、私の願いを叶えてくださいみたいに。しかし、小学校高学年になってまで、そんなメルヘン頭だとはちょっと考えづらい。(例:サンタの存在を信じる6年生はほぼ0)これについては私、9割は否定的に見ていたのですが、たまに1割位は信じてしまう所があり、たまに「あんた、いい歳してどんだけメルヘンだよ!」と内心激怒していました。

次の9.は、私が一番可能性が高いと思っていた、いわば本丸です。以前の記事でも書きましたが、Mさんはひたすら放置されていた人です。なので、家庭内でも日常的に放置されているのだろう、と推測するのは自然なことでした。例えば、何か発言しても返事をしてもらえなかったり、テキトーにあしらわれたり。毎日毎日そんな扱いをされているうちに、萎縮して話せなくなってしまったのだろう、と。(精神的虐待か?)もう、Mさんの両親は本当にどうしようもない人達なんだな、と子供心に怒りつつ呆れていました。とは言っても、子供がよその大人相手にできる事など碌にないため、その感情はMさんに向けるしかありませんでした。こうしてますますMさんが嫌いになるのです。

10.を考えつくのは、ある意味当然でしょう。Mさんは私と口をきかない・目も合わせない→その位私の事が嫌いなんだろう、と。(その割に、先生ともクラスの皆とも口をきかない、先生に手を引かれるまま私の所へやってくるのは変ですが)なのに、いつも私の金魚の糞をやっているのか。一瞬疑問に思いましたが、解答はすぐに見つかりました。それはおそらく私を利用するため。Mさんは自分の成績が悪いのを誤魔化すために、成績の良い私にはりついているのだろう、直感しました。(グループ学習は連帯責任、グループの皆が同じ成績、なので)

全ての理由の中で一番腹が立ちましたね。嫌いだったら側に来るなきちんと「私、富永さんと同じグループ、嫌です」って自己主張しろって。

でも、面と向かって聞く勇気はありませんでしたorz。もし聞いてみて「うん、私も富永さんが嫌い★でも一緒にいると、あなたが私の分まで課題を仕上げてくれて、私の頭が悪いの誤魔化せるから、はりついて利用してるの☆」なんて笑顔で言われた日にゃ、立ち直れませんよ。聞いたらうだうだ悩まなくて済んだかもしれませんが。えぇ、私はチキンです(泣)。

「無視された」と思ったことはないですが、これは当時の私の頭には「無視」という概念がなかっただけで、実質同じことですかね。

最後の11.は、いつもモジモジしているMさんを見ていて自然と思いつきました。てっきりMさんは、

「内気で恥ずかしがり屋のカワイイ女の子」をフルパワーでアピールして、モテモテ街道を驀進してやるぜ!!

という計画を進行中なのかと。ちなみにMさん、はっきり言って全くモテない人でした。(モテ以前に友達がいない)まぁ、肌がボロボロで年中異臭を放っているのだから、当然っちゃ当然。モテたいんなら、ぶりっ子するよりも先に風呂に入ってこいよ、と私内心毒づいておりました。この可能性は否定できない、そこそこあり得る、と考えていました。

結果私は、「Mさんが口をきかない理由」は、基本5,9,10の混成かな?と総合的に判断しました。たまに、4,8,11 を強烈に信じてしまう、という感じです。

口がきけない子の話 7 理由を考えてみた1

なぜ、Mさんは口がきけないのか?

この疑問は、彼女とセットにされていた間、ずーっと頭の中で回っていました。そしてその理由を自分なりに、アレコレ考えていました。誰かに聞くことなんてできなかったし、調べようにもどこから調べたらいいのかわからなかったので、それ以外できなかったんですよね。それらを(以前の投稿と一部重複しますが)ざっと書き出してみました。

  1. 喉が痛くて話せない
  2. 耳が聞こえない
  3. 生まれつき声帯がない
  4. 言葉が理解できない(要は知的障害)
  5. (知的以外の)何かの障害
  6. 極度の恥ずかしがり屋・人見知り
  7. 幼稚園の頃、ひどいイジメに遭い言葉を失った
  8. 願掛けをしている
  9. 家の中でいつも邪険にされていた結果、話せなくなった
  10. 私が嫌い
  11. ぶりっ子している

まぁ、こんな感じです。こうして並べてみると、精神的なものから肉体的なものまで色々ですね。んで、1.、2.、6.に対しては小5の秋までに、「違うだろう」という結論が出ました。1ヶ月以上喉が痛くて話せないなんて、まずありえない。耳が聞こえないのなら4月の聴力検査で判明するはずです。そしていくら恥ずかしがり屋でも、半年以上話せないのは異常です。

では、その他は?と言いますと、まず3.を疑いました。「生まれつき体の一部が欠損した人が一定数いる」というのは知っていたので、可能性として無くは無いとは思ったのですが、絶対そうだ! とは言い切れない。「声帯の欠損」という実例は、聞いたことがなかったので。この可能性は低い、と考えました。

ついで4.です。が、さりげなくMさんを観察していると、どうも話の内容は理解している様なのです。なので違う。で、5.の「知的以外の何かの障害なのか?」となるのですが、一体何の障害なのか?見当すらつきませんでした。当時「障害」と言ったら「知的障害」・「身体障害」だけ。ですが、Mさんはどちらにも該当しません(多分)。(「発達障害」・「情緒障害」は概念すら無い)では、Mさんは普通の子、なのかというと、明らかに普通では無い。その状況でも、Mさんの親も先生も、Mさんがについて何も説明しないのです。まさかMさん本人に「あなたは障害児なの?」と聞くわけにもいかない(絶対先生に怒られますし、聞いたところで沈黙しか返ってこないのは、わかっていた)。可能性として5.はそこそこ高いかな?という結論が出ました。

7.の考えですが、「小1の時点で話せないという事は、その前に原因があったのだろう」との推測から出てきました。しかし、はたして「幼稚園児が言葉を失う程、酷いイジメをするのだろうか?」。当時の私には想像もつきませんでした。(もしかしたらあるかもしれませんが)もしそうだとしても、それから5年以上経過しているのに全く話せないというのは、少し変です。ので、この可能性は低いだろうと思いました。仮にイジメがあったとしてもその後のケアの問題、つまりMさんの両親や幼稚園の問題であり、私は関係ない訳で。なんで部外者の私が不利益を被っているんだ?理不尽だ!とは、うっすら思っていましたが。

予想より長くなってしまったので、次回に続きます。

口がきけない子の話 6 慈悲か見下しか

Mさんとセットにされていた私は、彼女に対して同情と妙な義務感をもっていた、と以前書きました。そしてうんざりしながらも、担任の頼みを断れなかったとも。断れなかった理由として、その二つの感情が変な方向に影響し合った結果、もあったかもしれないとも思えます。そして、「変な方向に影響し合った」結果として生まれたのは、

私にできることをしよう!

という決意でした。一見何の問題もない決意です。が、そこに至るまでの思考回路が小学生にしてはややアレなものでした。当時の思考を簡単にまとめたのが、以下の段落の内容です。

この子は親から愛されない可哀想な子なんだ。 私は親じゃないから愛はあげられない。でもクラスメートとして優しくすることはできる。たくさん優しくしてあげよう。だって可哀想じゃない!2人組みを組んであげよう!グループに入れてあげよう!私にできることを目一杯しよう!

慈悲なんだか、見下しなんだか。よくわからない考えでした。自分としては当然!慈悲のつもりでした。

また、同情と妙な義務感以外の感情も一応持っていました。その一つは

ホントにこんな人いるんだ!

という感動?でした。こんな人、というのは「耳が聞こえているのに喋らない人」のこと。童話などでたまに「耳が聞こえているのに喋らない人」が登場します。が、幼少期の私は「そんな人っているのか?」と半信半疑でした。聞こえているのに喋らない、ということが想像できなかったのです。しかし、今現在そんな人が目の前にいる!!ホントにいるよ!!と。まるで珍獣を発見した様な感覚でした。

もう一つは

なんて頑固な、強情な子なんだろう!

という驚き。宥めても透かしてもぜーったいに口をきかない、その姿勢に対してでした。学校生活において「口をきかないメリット」なんて全くないのに、なぜそこまで意地を張るのかが全然わからない。驚くやら呆れるやら。

さて、あらゆる意味で普通でないMさん。に対してこの子は障害児なのか?という疑問は当然持っていました(月に一度は心に浮かんでいた)。しかし、一体何の障害なのか。「耳が聞こえているのに喋らない障害」なんて果たしてあるのか。小学生には見当もつきません。周囲に聞くことすらできませんでした。何か怒られそうな気がして。そもそも誰にきけば良いのかがわからない。そして、Mさんの親も学校も何も言ってこない。親が何も言ってこない以上、外野としては何もできない。当然Mさんが特殊学級に移動することもない。彼女を特別扱いすることはできないし、どんな配慮をすればいいのかもわからない。もうそのまま放置するしかありませんでした。

Mさんは、障害児なのか健常児なのかよくわからない謎の人、「普通でないのに普通学級に通っている」超ド級の変人でした。

口がきけない子の話 5 親への疑念1

小5の6月のグループ学習をきっかけに、いつもMさんとセットにされる様になってしまった私。ほぼ毎日その子と向き合っていた中で内心、ある疑問が膨らんでいきました。前回も少し書きましたが、それは、

この子の親はどういう人なのか?

ということ。まぁ、当然ですわな。欠点のカタマリの様な我が子を、ひたすら放置している(様に見える)のですから。普通子供は、学校での出来事を家で家族に話すもの。親もそれを聞いてあれこれ動くもの、だと思っていたのですが、M家では違ったのでしょうか?Mさんが家族とも話せない人だったら、そうかもしれません。でもその可能性は低いでしょう(理由は後々書きます)。

Mさんの抱える問題は

  1. 口がきけない
  2. 異臭を放つ
  3. 勉強ができない
  4. 肌がボロボロ
  5. 字がかなりの癖字
  6. 異常な程痩せている

の6つ。まず、1.は可視化出来ないので気づくのが遅れた、としても後半の4つは目に見える訳です。しかも一つ一つそれなりに対処法があるのに、小学1年時から何一つ改善していない、というのはどう見ても変でした。Mさんの親がいい病院を探している、という話は聞かなかったし(病院の評判なんて、おかんネットで即出回るものです)、いい塾や家庭教師を探している、という話もこれまたナシ。子供心に、我が子に関心がないのか?と思うレベルでした。

さて、2.はどうか。やっぱり可視化できない、とはいえ事は「ニオイ」です。なぜ気付かない?なぜ異臭を放つ我が子を(少なくとも半年以上)放置するのか。一家全員が鼻の病気なのか、全員臭っていて気づかないのか。それとも異臭をフェロモンだと勘違いしているのか。私はてっきり

「M家は風呂無しアパートに住んでいて、銭湯に行くお金もない可哀想な貧乏人」

だと思ってしまいましたね。これがまた、「一家全員臭いから、当然Mさんが臭っていることに気づかず、父親も臭っているから出世できず、貧乏暮らしのままなのか!」と、脳内で辻褄合いまくり。なんでこんな発想になったのか?と言いますと、当時読んでいた本の影響でしょうね。「昔の暮らし」みたいな本で「入浴、というのはキレイな水を何十リットルも沸かして使う、とても贅沢なことだった」と書かれていたので。M家はそんな「贅沢」が許されない家なんだな、きっとガス代も水道代も払えないのだろう、と早合点。

「Mさんちは貧乏だった、という結論が出ると、もう彼女に対しては表向き同情するしかありません。そしてこの強烈な結論でもって、その他5つの問題が解決されない理由すら説明ができてしまうのです。「貧乏だから」・「教育相談にも連れて行ってもらえないんだな」「塾も通信添削もお習字もやらせてもらえないんだな」「病院にも連れて行ってもらえないんだな」「まともにご飯ももらえないんだな」と。

「病院にも〜」というのも前述の本の影響ですね。「医者にかかるのはお金がかかった」と書いてあったので。(当時は国民皆保険、なんて知りませんでした)

そんなこんなで、小5の3学期末の時点で、私は気がついたらMさんとセットでクラスから孤立していました。ノーブレス・オブリージュもどきの義務感と前述の同情とで、なんとか自分を奮い立たせていましたが、この頃から漠然とした不満としんどさを感じてるようになっていました。(当時はあまり自覚してなかったのですが)

1.についてはそれから延々と、なんと中学卒業時まで悩み続け、イラつき続けることになります…

蛇足:Mさんには、2歳上の姉がいたらしいのですが、私はこの人に会ったことがありません。どんな人かわかっていれば、耐えるだけでなくて、もう少しまともに対処ができたかも、と考えてしまいます。

乙武サンについて10 親戚編

一連のブログ記事を書くために、乙武氏絡みの本やネット記事を読み込んでいて、ふと疑問に思った事があります。それは

乙武さんって親戚いないの?

でした。「五体不満足」では、両親との温かなエピソードが、当然ながら沢山書かれていました。近所の人や友人との感動的な話も、それなりにありました。が、おじ・おば・いとこ、といった親戚との話が何一つなかったのです。どこか不自然な気がしました。「クラスメートとケンカした」、「いつもクラスの中心だった」というエピソードを堂々と載せる位なんだから、「いとこと取っ組み合いの喧嘩をした」やら「親戚が集まるといつも話題をさらっていた」やらの話が出てきてもおかしくないのですが。(こんな疑問が沸いたのは、私自身がそれなりに親戚付合いのある家庭に育った、という背景が影響しているのかもしれません)

「五体不満足」(完全版)を読み返しましたら、氏が小学生の時点で、祖母は1人実在したことは確認できました。が、それ以外の祖父母は、全く出てこない。もしや全員他界済みか?そしてその他の親戚については、「し」の字すら出てこない。早稲田大学教授との対談(こちら)では、「上の世代の親戚」と言う言葉がでてきます。この「上の世代の親戚」がおじ・おばを意味しているなら、彼には親戚がいるということになりますが、この対談ではそれ以上の言及はありません。そして、「乙武 親戚」と検索をかけてみてもほとんどヒットしない。なぜなのか、ちょっと仮説をまとめてみました。

  1. 本当に親戚がいない(祖父母は既に他界の上、両親ともに一人っ子、等)。
  2. 親戚が本に書かれるのを嫌がった(プライバシーの問題)。
  3. 単純に、書く機会がなかっただけ(インタビューや著作の本筋に関係がないため)。
  4. 「感動的」なエピソードが無いため、書けなかった。

まぁ、こんな所ですか。その他では、4.の発展形として「障害が原因で縁遠くなった」ということも考えられます。よく障害児の親の回想録等で、「子供の障害のことで親戚から責められた」やら「障害が原因で縁を切られた」等の話が出てきますが、乙武家ではそんなことはなかったのか?と、多少疑ってしまいます。が、これはゲスの勘繰りになってしまうのでしょうか。

そういえば、乙武氏が母と対面したのは生後1ヶ月の時。退院は当然その後ですが、その1ヶ月の間に両家の祖父母が面会を希望して来院した、ということはなかったのでしょうか?父親がシャットアウトしていたのか?一体どんな風に?その方法が知りたくなってしまいます。

口がきけない子の話 4 確信

小学5年も3学期に入り、またしてもグループ学習の時、先生はMさんを私のグループに連れてきました。「二度ある事は三度ある」のことわざ通りに。鈍チンの私はここでようやっと気づくわけです。

「これは絶対に偶然じゃない。明らかに、先生はこの子を私に押し付けている」

と。正直に心の声を書いてしまうと「うわぁ……またかよ…」という明らかなうんざりモードが大半でした。実は前回の2度のグループ学習の他にも、授業で「(好きな人同士)2人組を作りましょう」という時に、Mさんと組んだことが何度かあったんですよね。理由は当然、先生が連れてきたから! 「なんで私は、この子といつも一緒なんだろう?」と、疑問が芽生え出した所でして。状況的に、Mさんの意思だとは考えづらかったのです。なにせMさんは、先生とも話せなかったのですから。

うんざりしてるなら断れよ、と思われるかもしれませんが、断れませんでした(泣)。理由は以下の3つです。

  1. 先生が巧妙
  2. 私が「前向きな勘違い」をしてしまった
  3. 私がMさんに同情してしまった

と言っても、2. と3.が主になりますが。

まず、1.の理由。先生がMさんをわたしのグループに連れて来る時は、必ずその他全てのグループに断られた後だったのです。その状態で断わるなんて、とてもとても。Mさんの行く所がなくなってしまって、こちらがいかにも悪人、になってしまいます。

次に2. の理由。「前向きな勘違い」とはなんぞや?というと、私の頭に一瞬浮かんだ、以下の様な考えのことです。

「私は心優しい優等生だから、先生から信頼されているんだ!!よーし!頑張っちゃうぞー!!」

とorz。実にオメデタイ。しかも「心優しい優等生」って、自分で言うなって感じです。が、当時の私はクラスでは成績上位者。特に周囲とトラブルを起こしたこともない。「心優しい優等生」と言う単語が、そこそこマッチしていました(はず)。うんざりしながらも、私って頼りにされている!期待されてる!と多少の誇らしさを感じて引き受けてしまいました。

で、大半はうんざりモードで始まったグループ学習。私がMさんに話しかける頻度は、明らかに減りました。幾ら話しかけてもMさんは、ひたすらだんまり状態。もう、「耳聞こえないのか?」と疑うレベル。どころかちょっと話しかけると、ビクッと硬直してしまう。そして話しかければ話しかけるほど、下を向いて小さくなってしまうのです。なんだかこちらが悪い事をしているみたいで、実に気まずい。当然Mさんと一緒にいてもぜーんぜん楽しくない。Mさん本人も、私達といてもあまり楽しそうに見えませんでした。

その他の面でもMさんは、相変わらずでした(悪い意味で)。成績は低空飛行。授業中教科書の読みが当たっても、そちらの方向からは何も聞こえてこない。恥ずかしがり屋にも程がある、というかいつまで恥ずかしがってんだ?と苛立ちすら覚えましたね。肌も小1の頃と同様、ボロボロのまんま、顔が赤と白のホルスタイン状態になってました。(赤→炎症を起こしている所・白→乾燥して粉を吹いている所)私も少しよくなったとは言えアトピー体質。なのでそれが辛い・酷い状態なのはよくわかる。で、彼女を見ているとこっちまで痒くなってしまうのです。それを避けるため、出来るだけ彼女を凝視しないことを心がける様になりました。痒くなっても、Mさんが薬代を払ってくれるわけではないので。そして、真冬なのに臭う。その上Mさんは、異常なほどの痩せ型。単に痩せているだけ、なら別に気になりませんが、ここまで欠点が揃い踏みだと、どうしても穿った目で見てしまいます。「この子の家庭ってどうなってんの?何で欠点だらけのまま放置されてるの?」と。

これが3. の「同情」の理由です。欠点のカタマリの様なMさんを、突き放すなんて酷いことはできませんでした。だって私は「先生から信頼され、期待されている」・「心優しい優等生」。期待に応えなければ!という使命感?と、落ちこぼれには優しくしなくては!と言う謎の義務感?の様なものが、私を縛っていました。ノーブレス・オブリージュの亜種みたいなものでしょうか。