注意!今回の記事は、少女漫画「7SEEDS」のネタバレを含みます。知りたくない方は読まないで下さい。
最初にざっくり結論を書いてしまうと、脳科学者・中野信子氏の
「努力不要論」(フォレスト出版)と、SFサバイバル少女漫画「7SEEDS」(田村由美 小学館)の内容が脳内でオーバーラップした
という内容です。(7SEEDSアニメ化、おめでとうございます!!)
なかでも「努力不要論」第二章の「そもそも日本人にとって努力とは何か」の内容が肝です。まとめると以下のようになります。
- 遊びは脳の栄養
- 本来「遊ぶ」というのは、とても高尚なこと
- ヒトは、努力よりずっと、遊びが必要な生き物
- 役に立つことしかしない人間は家畜と同じ
- 野蛮というのは要するに「役に立つ」とか「儲かる」ということ
- 役に立たないことができるのは、人間が高度な文化を持つ証
- エジプトのピラミッドも(中略)ゴダールの映画も手塚治虫の漫画も、生きていくうえではまったく必要のない、場合によってはぜいたくな事物。しかし、だからこそ、人間にとって、大切なもの
- 無駄な部分への視線がない人は、人を傷つけることを厭わないもの
そして中野氏は言っています、「努力家は野蛮人」だと。
さて「7SEEDS」ですが、14巻の中盤以降、サバイバルの訓練を受けたエリートチームである「夏のA」と、その他のメンバーとの間でいざこざが起こるようになります。特に「夏のA」の「安吾」が「春チーム」の「雪間ハル」を殴った挙句、最終的に沼に突き落とすという事態に発展。この「安吾」という人は、元々その他チームのメンバーを「一般人」と呼んで見下し、「ハル」が他の「夏のA」のメンバー・小瑠璃と仲良くしていることに苛立っていた、という描写があったのですが、読んだ当時は上手く理解できませんでした。「ここまでするか?そしてなぜこんな形で爆発する?」と。
それが、上記の「努力不要論」の内容によってようやく理解できました。安吾がハルを沼に突き落とす、その直前のやり取り(p173以降)にヒントがありました。
野球だのサッカーだの 生きるのに必要ないだろう 暇と余裕のある人間のすることだ
7SEEDS、14巻 p173より
と言った安吾に対し、ハルが行なった反論が(他キャラのセリフが間にあるのですが、割愛します)以下。
ハル:あんたら趣味とか生きがいとか ないの
安居:だからそんなのは暇なヤツが
ハル:じゃあなんで 戦時下でピアノを弾くのさ 絵を描きながら飢え死にするのさ 内戦のさなか歌を歌うのさ ボールを蹴るのさ 人として生きていくためじゃないか そういうことがわからないから すぐ暴力に走るんだよ
7SEEDS、14巻 p174より
というもの。
「無駄な部分への視線がない人は、人を傷つけること厭わないもの」という文章、初めて読んだ時はイマイチピンとこなかったのですが、「7SEEDS」にて「実例」を見せつけられた感じです。なるほど、こうなるのか、と。
音楽一家に育ったハル。チームに入れられたのは、音楽の才能を買われて、の事。そんなハルにとって、「生き残り技術はピカイチだが、それ以外は何もない」という「夏のA」のメンバーは「空虚な野蛮人」であり、そしてその空虚さに無自覚なまま高圧的に振る舞う安吾への反発が、上記のセリフにつながったのではないか。そして安吾としては、生き残る事すら危うく、特技が「無駄な事」なのにチーム入りし、挙句小瑠璃に近づくハルは足手纏いの上、身の程知らず。両者の間の「超えられない壁」が事件を引き起こしたのではないか、と思うわけです。
蛇足:「7SEEDS」の該当部分を読んだのは、2年程前(漫画喫茶にて)。そして「努力不要論」を読んだのが2019年の5月頃。脳内で両者が結びついたのが、2019年の晩秋。どうやら、脳内化学反応に時間がかかったようです。しかし、意外な所で意外な物が結び付くのは結構楽しいです。