口がきけない子の話12  小5の12月の発見2

同時期に、もう一つ気づいたことがあります。それは、

なぜ、先生は私を褒めてくれないのか?

でした。

私が先生の頼みで、Mさんをグループに入れたり、二人組を組んだりするようになって半年経っても、先生は一度も私を褒めてくれなかったのです。

その間、Mさんとトラブルもケンカもなく、当然私がMさんをいじめたこともありません。話し合いに全く参加せず、黙って固まったままのMさんに、少々イラつきながらも、漂う異臭に辟易し時々息を止めながらも、私は嫌味一つ言うことなく、彼女に優しく接していました。たまに不満そうな他のメンバーを抑えながらも、頑張ってグループ学習に取り組んでいました。

もし、先生が「あなたは優しい子ね」やら「いつもありがとうね」だか「富永さんのおかげで先生、とても助かるわ!」とでも言ってくれたら、私はとても嬉しかったでしょう。先生は、私をちゃんと見ててくれてる!私は人の役に立っているんだ!自分のやったことが正当に評価された!という実感が持てて。

しかし、先生は褒めてくれませんでした。「褒める」という行為は、所要時間10秒未満、かつ特別な準備もいりません。何より経費は¥0です。なのに、なぜ?

いや、「褒める」がマイナスに働く場合がある、ということは知っています(例:断れない性格の人が誉め殺しにされて、退路を絶たれる、等)。が、当時の私の置かれた状況は、明らかにそうではなかった。

「お前は褒められなきゃ何もしないのか?」と言われたらそれまでなんですが、全く評価されないのも、嫌なものでした。別に私は、好きでMさんとつるんでいた訳ではないし、彼女と一緒にいてもいいことは何もないのです。なのに、私はなぜこの子と一緒にいるんだろう?毎日がとても虚しかったです。

しかし、自分から先生に「なんで、褒めてくれないんですか?」と質問する気にはなれませんでした。人からの見返りとプラスの評価を露骨に期待するのは、どこかカッコ悪くて浅ましい気がしたのです。何より、そんなこと自分から言うもんじゃないと思っていました。

結局、私は考え方を変えて無理矢理自分を納得させ、上記の不満を封印しました。「半年」じゃなくて「まだ半年」だと。「先生はまだ様子見をしているんだろう。3学期が終わるまで、このことは考えないでおこう」と。要は先送りしたのです。「その頃には事態は好転しているかもしれない。先生だって大人なんだ。色々考えてるさ」とも考えました。次いで、「私はいいことをしてるんだ絶対誰かが見ていてくれる!そのうち正当に評価されるに決まってる!」と、これまた無理矢理自分を鼓舞しました。

さて、結果は、というと

大ハズレ

でした

なぜ、先生は私を褒めてくれないのか?という疑問と不満を混ぜた気持ちは、約1年後、さらに巨大化・深刻化して私を襲うことになるのです。

しかし、私はなぜこんなにも「先生から褒められたい!」と、思っていたのか?改めて考えてみると、どうも元凶はMさんとその親にあった気がします。この人たちは、盛大に私に世話になっておきながら、「ありがとう」の一言すらありませんでした。その分、Mさんのお守りを私に頼んだ、先生に対する期待値が上がってしまったのかもしれません。「世話になっている当人(とその親)がノーリアクションなんだから、そうなるように仕向けた人が責任をとって褒めてくれ(血涙)!」と。