「蓮舫」という謎

「参議院議員の蓮舫」といえば、2009年に仕分け人として一躍名を馳せ、それ以後も何かと政界ニュースに登場するあの人。最近離婚されたとか。実は旧民主党が政権取るまで、私にとってこの人は謎の存在でした。

初めて存在を認識したのは、2004年夏の参院選。都内に出かけた際に見た、選挙ポスターで。確か短髪の女性の写真に、こんな文字が添えられてましたっけ。

蓮舫  母として立つ

感想は、

? 何だこりゃ?

でした(笑)。何だこりゃ?って、もちろん選挙ポスターですが。なんというか、わからなかったのです。もちろん、写真の人物が候補者だ、ということはわかるんですが、「蓮舫」が丸々わからないのです。詳しく解説すると、

どこまでが苗字(姓)で、どこまでが名前なのかがさっぱりわからない

のです。ずっと眺めていると、新たな熟語にも見えてくるこの二つの漢字。どこまでが姓か名か。自分なりに考えた結果、「蓮」が苗字(姓)で「舫」が名前なのだろう、と結論が出ました。(検索するほどの関心はなかったため、検索しないで漠然と考えていた)なので、ニュースで「蓮舫議員」「蓮舫議員」と報道されているのを聞いて、「なぜこの人だけ、いつもフルネームで報道されているのか」大変疑問でした。

2009年になってから改めて調べたところ、「蓮舫」全てが名前で、苗字(姓)が「村田」(当時)だということが判明(旧姓は謝)。当初の?は解けたものの、なぜフルネームを名乗らないのか、これまたギモン。選択制夫婦別姓論者として言行を一致させた結果なのか、苗字(姓)を名乗りたくないくらい、夫が気に食わないのか(TVでのペット以下、という発言は衝撃)、名前で目立つことで議員の「その他大勢」に埋没することを避けるためなのか。

しかしこの選挙ポスター、ポスターとしての存在意義はあったのでしょうか?「候補者を知ってもらう」ために作られたのに後々頭に残るのが疑問だけ、というのは選挙ポスターとしてどうよ。それともこんな風に考えてるのは、私だけですかね?

「母として立つ」というキャッチコピーにも違和感を持ちました。「父として立つ」という政治家は、きいたことがありません。なぜことさら「母」を強調するのか。あんたに「母」以外の属性はないのか、と。あえて擁護するなら、当時は今以上に女性の「仕事と家庭の両立」が難しかった。しかしそれをやっている!というのは、貴重なアピールポイントだったのでしょう。「夫と子供がいる」というのが一種のステータス、というか。「夫」・「子供」は自分に付加価値をつけるためのアクセサリー、というか。

この様に考えると、「ペット以下」の夫と長年離婚しなかったのも納得がいきます。そりゃ、「夫がいる」という事自体に価値があるのだから、よっぽどのことがない限り、自分から切り捨てる事はしないでしょう(例え「ペット以下」でも)。離婚なんてしたら「私は、仕事と家庭の両立をしている! 」というアピールができなくなり、ひいては選挙に影響するかもしれませんから。2020年になって離婚したのは、「子供が成人したから」だけでなく、「政治家として一定の知名度と影響力が持てたので、離婚してもマイナスに響く可能性が低くなったから」というもあるでしょう。

寸借詐欺?な兄妹の話

もう四半世紀も前、私が小学校高学年の時。その兄妹に遭遇したのは某市営バスの車内でした。当時私は、少し離れたスイミングスクールに市営バスで通っていたのです。(スクールのバスでなく)

ある日のスクールの帰りのこと、いつものバス停でいつもの様に降りようとしたら、小学生くらいの兄妹が乗ってきました。最初に、お兄ちゃんがそのままスーッと乗ってきたので、後から乗る妹ちゃんがお金払うんかな?と思って見ていたら、なんとその子も払わず乗ってくる!アレっと思って見ていたら、運転手が声をかけました。

運:ちょっとお客さん、お金払ってくださいよー!

ま、当然ですな。んで、この後に続く兄妹のやりとりが、以下こんなんでした↓。

兄:おい、お前払えよ!(←妹に対して)

妹:えぇ!お金お兄ちゃんに渡したでしょ?

兄:何言ってんだよ。お前に渡したじゃん!

妹:私、持ってないよー!

とかなんとか、うだうだと。当然バスは発車できず、車内に嫌な空気が立ちこめ始めた…その時、1人の中年女性が進み出ました。「もういいわ、今日のところはオバちゃんが払ったげる」と。ヲイヲイ、オバちゃん払っちゃうんかい、と私内心ツッコミましたね。甘やかしちゃダメでしょ、と。そして次の瞬間、返ってきた運転手のセリフにぶったまげました。

運:やめてください。この子たち、いっつもこうなんです!

常習犯かよ!しかも有名人かよ!?

私はここでバスを降りてしまったので、その後バスがどうなったのかはわかりません。帰宅後母にこの出来事を話しました。かなりの衝撃だったので。「今日ね、変な子たちがいたんだよ。お金落としちゃったのかな?私も気をつけるわー」と。そしたら返ってきた母の推理がコチラ↓

母:その子達、きっとジュースとか買ってお金使っちゃったのよ。最初から、親切な人にたかる気だったんじゃないかしら?

そんなヤツいるんかい!?再び驚きましたが、少なくとも2人は確実にいたんですよね。まぁ「いつも」お金を落としてちゃって払えない、というのは不自然。誰かにたかる前提でお金を使ってしまった、と考える方が自然です。この兄妹のことは、しばらく我が家で話題になりました。「バスただ乗り兄妹」として。私、これが「寸借詐欺」という犯罪であることを知ったのは、成人後です。

終わり

ではありません。この話には後日談があるのです。

バスでの出来事から、数年後。私が中学校を卒業した後、この兄妹の兄の方が中学校に入学してきました。どうやら、学区が同じだった由。んでこの兄貴、なんと

中学校の制服姿のままバスのただ乗りをやらかし、学校に通報が来たらしい

のですorz。あいつら、治ってなかったのか…とウチの一家全員思わず脱力。そしてその後、この兄貴が障害があるんだかないんだか、といった話が聞こえてきました。人にたかる為に一芝居打つアタマがあるのに、障害?と一瞬不思議に思いました。が、制服姿で(≠身元特定容易な姿で)堂々とタダ乗りをやらかすという考えの浅さを見ると、やっぱり障害があるの?とも思えてきます。人にたかる障害ってあるのでしょうか?それともこれは「誤学習」の結果なんでしょうか?(以前、偶然お金を落としてしまった時、偶然誰かに払ってもらい、それ以後それがデフォルトになってしまった、といったケース)